[前編] 新書『夢、死ね!』刊行記念 中川淳一郎&担当編集者全裸対談!
[中編] 新書『夢、死ね!』刊行記念 中川淳一郎&担当編集者全裸対談!
[後編] 新書『夢、死ね!』刊行記念 中川淳一郎&担当編集者全裸対談!
今井:中川さんって夢持っていたことあるんですか?
中川:小学校の卒業アルバムには「先生になる」って書いていました。
今井:へぇー、意外に現実的な目標に近いじゃないですか。
中川:オレの父親はサラリーマンなんですよ。なんかインドネシアに赴任したり、朝、背広を着て電車に乗ったりしていました。ただ、まったく何をやっているかは分からなかったんです。当時のオレは「仕事」というものはクワ持って畑を耕すことと、先生、レジ打ち、焼き鳥屋しかないと思っていたんです。この4つの職業だけは接したことがありましたからね。
今井:歌手、芸人、作家……そういった華やかなもの職業への憧れはなかったのですか?
中川:あれは職業ではなく、あくまでも観る対象だと思っていて、生身の人間がなるようなものではないと思っていたんですよ。仕事って「働く」ことではありますが、「苦役」でもあるんだと思っていて……。今も思ってますが。
今井:で、その後、アメリカに行ったんですね?
中川:そうです。オレは今、「夢、死ね!」とか「ウェブを使ってもバカはバカのまま」みたいな身も蓋もない現実的なことを言っているのですが、アメリカでこの現実的な考え方を学んだんです。
今井:高校で?
中川:中学と高校ですね。
今井:具体的には、何があったのですか?
中川:レイシズムですよ。有色人種差別です。さらに、当時のアメリカ(1987年頃)は、ソニーが映画会社のコロンビアを買収したりして、反日感情が高まっていた。デトロイトでは日本車をアメリカ人がハンマーで叩き壊すパフォーマンスなんてのもやっていた。当時、『ガンホー』っていう映画が少し流行っていたんです。
今井:それはどんな映画ですか?
中川:アメリカの田舎町に、日本の自動車メーカーがやってきて、アメリカ人労働者と日本人管理職の間で文化の違い、労働観の違いから発生する摩擦を描いた映画です。映画では日本人が「アメリカ人は定時の5分遅れで工場に来て、2分早く出社する」なんて言い、アメリカ人は「ここはアメリカだぜ。アメリカのやり方がある」なんて反論したら「お前はクビだ」なんて冷酷な扱いをする。こうしたこともあり、日本人というだけで嫌われていた時代があったんです。
「人権問題には、つい熱くなってしまう。悪いクセです(苦笑)」と中川氏。
今井:それが現実的な考えの獲得にどうつながるのですか?
中川:レイシズムで言えば、オレのロッカーに「てめぇが本来属する場所にさっさと帰りやがれ、このジャップ。オレらがもう一回原爆落とす前にな」なんてことが書かれているわけです。学校当局もこれを消そうとしない。アメリカ史の授業では真珠湾攻撃の説明の時、教師が「そこにいるヤツの国がやったことだ、な、お前?」なんてことを平気で言うような雰囲気があった。
中川:そこでオレは悟ったんですよ。「他人を変えることはできない」と。世の中には、人種差別のようにいかにおかしな考えであろうが、それを肯定する人がいるわけで、彼らを変えることはできないんですよ。いや、できるかもしれないけど、相当な根気と労力が必要。自分の力では変えられない大きなうねりがあり、そこに立ち向かうよりも、自分が変わることの方が簡単なんです。
どう自分を変えるか? オレの場合は黒人と仲良くしたり、白人の中でもリベラルな考えを持ち、モテないけど頭だけはいい連中とつるんだりすることによって、レイシズムの考えを持っているヤツらを避けていった。そして、最終手段は、高校を卒業したら、日本に戻ることを決めたんですね。
今井:なるほど、現実的ですね。
中川:中学生くらいまでってファーブルとかシートンとかエジソンとかの伝記を読んでるじゃないですか。
今井:はい。そうですね。
中川:伝記って白人の話ばっかりなんですよ。
今井:有色人種では、ぎりぎりキング牧師ですね。
中川:でも、彼も白人の憎悪により死ぬ。こうした伝記を読み、さらにアメリカでレイシズムを身をもって体験したことから、地球、世界、アメリカは白人が支配していることが分かった。前回の「ありのまま」と関係していますが、オレが言いたいのは「状況を読め、それに合わせて行動変えろ」ということです。
今井:他人を変えるのが無理だと悟ったってことですね。大学ではどうでしたか?
中川:大学ではモテなかったですね……。でも、この時も女がオレに振り向いてくれないのに、その気持ちを変えることはできないって分かっていたから、告白してフラれても、さらにしつこく食い下がることはしなかった。そこで思ったのは「男女比7:1の一橋でモテるのは無理だ」ってこと。社会に出てからモテようと思った。そして、私学の連中がモテまくってリア充プレイしている中、オレは復讐の機会を狙っていたんですよ。
今井:たんなるひがみじゃないですか!
二人:ガハハハハハハハ。
中川:まぁ、そうなんだけど、社会人になってモテるにはどうするか? ってことを考えるわけですよ。手っ取り早いのは給料が高い会社に入るってことですよね。あとは『週刊SPA!』とかに出てくる「企業別合コン偏差値ランキング」みたいなのの上位に入る会社に入れば良いと思った。そして、就職活動で国立大学の一橋が強いことは分かってたので、オレは「ウヒヒ、ここで私学の連中に逆襲すっか、ウヒヒ」なんて思ったわけです。これも与えられた条件でどう行動するか--をひたすら実践しているだけです。
今井:博報堂を選んだのはなんでですか?
中川:いやぁ、「就職活動で一橋は強い」なんて言っておいてなんですが、実は博報堂一社しか内定もらえなかったんです……。
今井:で、モテに関しては現実的になり、それを達成するためにモテそうな会社に入った、と。でも、就職する、という考えを持つ前に、なんか大きな夢とか大学時代に持っていなかったんですか?
中川:いやぁ、多分当時の一橋の学生のうち、300人くらいはだOBの作家、田中康夫みたいになりたかったんじゃないの? 彼は大学4年生の時に大学の図書館で『なんとなくクリスタル』を書いて、見事100万部売った。そして女にモテた。だから、オレも田中康夫みたいになるべく、新しくできた青春文学を募集する「坊ちゃん文学大賞」ってのに応募したんですよ。初年度だから応募者少なくて通るんじゃねぇの、ウヒヒ、ってな考えもありましてね。当然、田中康夫スタイルを踏襲し、図書館で原稿用紙に向かうのよ。
今井:どんな話を書いたんですか?
中川:タイトルは『大金持ち田岡俊郎悶絶』なんだけど、カネが欲しい大学生が、ウンコを食うバイトを始めて、大金を得て成り上がっていくという話なんだよね。
今井:ガハハハハハハハハハ! それが青春小説ですか!
中川:そうよ。だって、大学生の話だぜ。大学生の欲望を忠実に描いているんだもん。でも、当然そんな話で坊ちゃん文学賞を通るわけもなく、田中康夫になる夢は諦めたのです。そうなると「次は、給料が高い会社に行くか」という、当時自分が置かれていた環境からすると、現実的な目標を描くようになりました。それ以後、夢は持っていないし、言われたことをやっているだけ。
今井:「ありのままで」の才能がないことに気付いたってことですね。
中川:そうですね。でも、田中康夫には「ありのままの」才能があったのでしょうね。
例の動画を観ながら「指示の〜ままの〜直し入れるのよ〜 エライ〜ひとの〜手足になるの〜」と替え歌を作り出す中川氏。
今井:博報堂では? コピーライターとか、憧れあったんじゃないですか? 当時相当キラキラしてたでしょ?
中川:いやぁ、していましたね! だって、クリエイティブの打ち合わせでは飲み物とか弁当が出るんですよ! 営業は「会議に来てくださいましてありがとうございます」なんて平身低頭でクリエイティブディレクターのオッサンは「ウム」なんて言っている。そして、クリエーターの若いヤツも営業に「なんで、今日の弁当、ピーコック(会社のビルの地下のスーパー)なんですか? 宅配弁当が良かったですよ!」なんてフザけたことを言っていた。
オレだって、田中康夫は諦めたけど、博報堂に入った時点でまた中二病のごとく「糸井重里になろう」と思うわけですよ。そうしたら、クリエイティブに配属されない。往生際悪いやつは、営業いっても、いずれクリエイティブ行ける、とか、電通の佐藤雅彦さんは営業だったのに後にクリエイティブに行けたからオレも……なんて言っていた。
今井:「パブリックビューイング」をやった、電通の高松聡さんなんかもそうですよね。みんな、自己正当化のために、自分と同じ人を探すんですね……。広告代理店に入りたいのに、新卒で入れなかったら、「今広告業界で活躍しているあの人も、新卒で入れなかったけど、転職をして……」なんて思ったり。中川さんが『夢、死ね!』で書いていたここと同じですよね。
2007年、結成から9年後にサンドウィッチマンはM‐1グランプリで優勝し、一夜にしてメジャーな存在になり、その後も売れっ子でい続けているが、これはあくまでも例外中の例外である。これこそ奇跡である。
サンドウィッチマンは9年でようやく売れたが、他の人はこの成功事例を持ち出して「サ ンドウィッチマンさんは9年凌いだ後に売れた。だから僕も諦めない」と言わない方が良い。彼らは特別である。
中川:そういうことです。結果的にオレはクリエイティブとは程遠い部署に入り、出世できないことにも気づき、会社を辞め、無職になることになるのです。あと、補足しておくが、ネットではオレが不祥事起こして博報堂をクビになったという情報があるが、それは全部ウソだからな。経緯については『夢、死ね!』に書いてありますので、ぜひご一読のほどよろしくお願いいたします。
今井:そこから、野球でいえば、「来た球をとにかく打つ」スタイルに変えたというわけですね。絶好球が来ても、中川さんはバックスクリーンに運べないことに気付いたってことですね。
中川:そうそう。オレは毎回100点を取ろうとしていないんですよ。自分は現場作業員なので、80点くらいは取ろうかな、と思っています。100点は滅多にない。別の誰かの手で85点にするお膳立てをすればいいと思っている。
今井:プライド高いのか完璧主義なのかはわからないですが、「100点でないと出したくない」と考える人も多いですよね。こちらは、まずは期限に間に合わせてほしいのに、「納得いかないので1日待って下さい」なんて言う。
中川:よっぽどの才能ない限り、現実主義者の方がいいんですよ。
今井:今の夢は? いや、目標は?
中川:46歳でリタイア。
今井:なんで45じゃないんですか?
中川:今41なんですけど、あとは5年は持つと思ってるからです。
今井:その後は、中川淳一郎という存在に需要がなくなると思ってる?
中川:そうですね。
今井:需要がなくなったらニラの農家やるって昔仰ってましたよね?
中川:そうです。
今井:で、国立で居酒屋をやる、とも。
中川:そうです。あとは、アメリカに行こうかと思っているんですよ。オレ、35歳くらいの時、39歳までにアメリカに行こうと思ってたんです。
今井:初耳! 移住ですか?
中川:いや、それはありません。あくまでも、アメリカの大衆文化を学ぼうと思ったんです。地元のバーとかで働いてバイト代を稼ぎ、日本にそうしたことをレポートする原稿料で年収300万円を狙おうと思っていたんです。そうしたライターってあんまりいないじゃないですか。そこのニッチなところを取ろうと思ったんです。
今井:永住権は取れるんですか?
中川:無理ですね。できたとしても、アメリカにはずっと住みたくないです。人種差別があるからね。あとは、語学能力で、バカに負けるわけですよ。罵り合っても語学が堪能なバカな方が、賢いけど語学がそれほどでもないヤツに勝つ。これは実にハンデだと思う。
今井:どんなに賢いことを言っていても、カタコトだと0.1がけぐらいになりますもんね。で、なんでアメリカに行かなかったんですか?
中川:36歳の時に『ウェブはバカと暇人のもの』が売れてから、仕事が殺到したからなんです。
今井:なんと! 柿内さんのせいなんですね! 柿内さんさえいなければ今頃中川さんはアメリカに行けてたのにっ!!
中川氏「この恰好、そろそろちょっと寒くない?」
[前編] 新書『夢、死ね!』刊行記念 中川淳一郎&担当編集者全裸対談!
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文:セルジオ苺 撮影:キング・カス
ライター、編集者、PRプランナー。
1973年生まれ。東京都立川市出身。一橋大学商学部卒業後、博報堂CC局で企業のPR業務を担当。2001年に退社し、しばらく無職となったあとフリーライターになり、その後『テレビブロス』のフリー編集者に。企業のPR活動、ライター、雑誌編集などを経て『NEWSポストセブン』など様々な、ネットニュースサイトの編集者となる。主な著書に、当時主流だったネット礼賛主義を真っ向から否定しベストセラーとなった『ウェブはバカと暇人のもの』(光文社新書)、『ネットのバカ』(新潮新書)などがある。割りと頻繁に物議を醸す、歯に衣着せぬ物言いに定評がある。口癖は「うんこ食ってろ!」。ビール党で、水以上の頻度でサッポロ黒ラベルを飲む。
86年生まれ(早生まれ)。滋賀生まれ滋賀育ち。大学では、京都でロックのイベントをしつつ、マネジメントについて割りとまじめに勉強。就職を機に 上京し、新卒でリクルートメディアコミュニケーションズに入社。営業→ディレクターを経験した。「Webと紙の書籍、イベントを組み合わせた新しい出版事 業 をつくる」という志に共感し、2012年5月、星海社に合流。尊敬する人物は、小谷正一。
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