大塚明夫の魅力とは何か?
おそらく多くの人が「声」をあげるだろう「待たせたな」、「ソロモンよ、私は帰ってきた」、「狭い! 小さい! 阿呆らしい!」、「ゼハハハハハハ!」----輝かしい経歴の中で放たれてきたこれらのセリフは、いずれも私たちの心に鮮烈な印象を残している。「あの声」が素晴らしいものであることに疑いの余地はないし、正直、何度もお会いしている今でもドキドキしてしまう。本人も幾度となく声について称賛を受けてきたはずだ。私もイベントなどに同席させていただく中で、声を褒められている大塚さんを目の当たりにしてきた。
しかし、これは極めて主観的な感覚だが、「いい声ですね!」と言われた大塚さんの喜びようは、控えめだ。真に彼が破顔するのは、キャラクターが好き、作品が好きと言われたときであったように思う。大塚さんにとって声は大きな武器だが、ないと戦えないものでもないのだ。大塚明夫は声が変わっても名優であり、名優だから声が変わっても問題がない。「それは言い過ぎだろう」とお思いの方。あなたにぜひ読んでいただきたいのが、新刊『大塚明夫の声優塾』である。
『大塚明夫の声優塾』は、2015年の秋に行われた実際の授業の内容をそのまま収録した本だ。授業に出席したのは、全国から集まった本気の声優志望社たち。先生役となったのは、大塚明夫と、大塚さんが所属するマウスプロモーション代表の納谷僚介。基本的な心構えについて語られる1限と、あらかじめ提示した課題文に登場するキャラクターの分析レポートおよび、同課題文を読み上げた音源にフィードバックをしていく2限〜4限という構成だ。現場の空気を感じてもらうため、参加者のみなさんの音源をネットにアップしている。読者は、スマートフォンで本文中のQRコードを読み込むことで、参加者と全く同じ環境で授業を受けることができる。
冒頭で大塚さんは、声優の能力を決定づける二つの要素について語る。「キャッチする力」と、「音を出す技術」。そこに、「いい声」は含まれていない。キャッチする力とは、担当するキャラクターの性格・心情・状況を読み取る力を指す。ここで大塚さんが用いるのは、建築の例えだ。
"家を建てるにあたって、自分の役は大黒柱なのか、コンクリートの基礎なのか、雨戸なのか......"
これを正しく理解してはじめて、マイクの前に立つことができると言う。課題文が短くわかりやすいものだったこともあり、多くの生徒がおおむね正しいと言える分析をしていた。にもかかわらず、音源を聴くとどうもしっくり来ない。このズレを生んでいるのが、二つ目にあげた「音を出す技術」の有無である。例えば「普段は自分の感情を表現するのが苦手な女の子だが、このときばかりは我慢ならず、声を荒らげた」ということが読み取れても、それを表現するための適切な発声ができなければ意味がない。大塚さんはこれを、敢えて「殺す」という強い言葉で実演してみせた。
"例えば「殺す」って言葉がある。その「殺す」って言葉を、自分の内から出して人に向けるとするね。「殺す!」( 激昂気味に)って言い方もあるし「殺す!」(押し殺して)って言い方もあるし「殺す」(淡々と)って言い方もある。でもさ、一番不気味なのって、無表情に「コ・ロ・ス」、と音をポツポツって置いてやることだったりするでしょう。それって不思議なことだけど、やっぱり言霊なんだよ。聞いている側がそこに、より大きな意味づけをするんだね。"
全く違う音階で表現される「殺す」の迫力に、会場が静まり返ったのをおぼえている。
「キャッチする力」についての実例も、驚嘆すべき深度だ。
"ご存じの通り、私はスティーブン・セガールの吹き替えをたくさん担当しているんだけど、彼は面白い役者でね。彼って、アクション映画で戦いのシーンを演じることが多いだろう。でも、彼はいざ戦いが始まるって時に、全然緊張していないんだよ。なんでかと言えば、「絶対に自分が勝つ」という確信があるから。構えすぎるとかえって動けないから、ちょっと弛し緩かんして、どの方向にも動ける重心にしている。"
こんな実践的なやり取りが、マンツーマンで繰り返されていく。
本書の最後には、生徒の前を去ったあとに交わされた、大塚さんと納谷さんの会話を収録した。声優という仕事の本質を知る二人が口にする未来予想の厳しさに思わず閉口してしまう内容だが、私はそれを聴いて、現役の声優たちへのリスペクトを強くした。
前作『声優魂』の帯には、大塚さんの名優である小島秀夫さんから「"ボス"の生き様が、あなたの声優観を破壊する。」という力強いメッセージをいただいた。『大塚明夫の声優塾』は、『声優魂』で破壊された声優観を再構築する1冊となった。声だけで、顔だけでできる仕事では決してないことが伝われば、編集担当として嬉しい。
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