あなたは西寺郷太という男を、どのように知っているだろうか。
物書きとしての彼の名を一躍有名にしたのは、マイケル・ジャクソンだった。2009年に刊行された『新しい「マイケル・ジャクソン」の教科書』。そして翌年の『マイケル・ジャクソン』。この2冊は、ゴシップとスキャンダルと没後の過剰な美談によって彩られたマイケル・ジャクソン像を、大きく刷新する名著だった。そして2015年、西寺郷太は『プリンス論』を刊行する。「キング・オブ・ポップ」と呼ばれたマイケル最大のライバルにして、数多くのファン、批評家、ミュージシャンから絶大なる支持と尊敬を集めた天才、プリンス。そんな神にも近いアーティストを、正面から論じた画期的な一冊である。
さて。音楽界の「キング」、そして「プリンス」とくれば、次はあの「女帝」だろう。マイケル、プリンスと同じ1958年に生まれ、同じ時代にスターダムの階段を駆け上がり、圧倒的な意志の力でいまなおポップ・シーンの頂点に君臨し続ける女帝。すなわち「マドンナ」だろう。
......そんな読み手の期待と邪推は、一瞬にして振り払われてしまう。西寺郷太のライフワークとも思えた80年代洋楽ポップ・ミュージック研究書、その「最後の一冊」の主人公として採り上げられたディーバは、なんとジャネット・ジャクソンだったのだ。
もちろん、本書のタイトルは『ジャネット・ジャクソンと80'sディーバたち』であり、ジャネットのほかに、マドンナとホイットニー・ヒューストンについても論じられている。しかし、本書の主人公はあくまでもジャネットだ。ここに疑問を感じる読者は多いに違いない。
たとえばマドンナと聞いて、「ああ、あのショーン・ペンの元嫁ね」と答える人は皆無に等しい。ホイットニー・ヒューストンについて「ああ、あのボビー・ブラウンの元嫁ね」と答える人もいない。むしろ、ショーン・ペンのほうが「マドンナの元ダンナ」なんだろうし、ボビー・ブラウンが「ホイットニーの元DVダンナ」と呼ばれるはずだ。ところが、ジャネット・ジャクソンに対する一般的な認識は、どうしたって「マイケル・ジャクソンの妹」である。つまりはサブキャラである。呼ばれ方としては、クリス・ジャガー(ミック・ジャガーの弟)と変わらない。ご存じない方はぜひ、「クリス・ジャガー」で画像検索していただきたい。兄に似せようとベロを出しておどけるその笑顔に、涙が出そうになるはずだ。
それではなぜ、ジャネット・ジャクソンなのか?
そんな疑問を胸に本書を読みはじめると、驚くべき事実を突きつけられる。たしかに80年代以降、社会全体に与えた影響でいえば、女帝マドンナの右に出るディーバはいない。そしてセールスを中心に考えれば、ホイットニー・ヒューストンの「オールウェイズ・ラブ・ユー」にかなう楽曲はない。映画『ボディガード』は黒人女性をヒロインに据えた、ポリティカルコレクトネス的にも画期的な作品でもあった。マドンナの「ライク・ア・ヴァージン」やホイットニーの「オールウェイズ・ラブ・ユー」のように、誰もが知るシングルヒットも、ジャネットは持っていない。おかしいじゃないか。やっぱりここではマドンナこそを、語るべきじゃないのか。しかし、ミュージシャン・西寺郷太の真骨頂はここから発揮される。
「80~90年代以降の『音』を決定づけたのは、誰だったのか?」
そう。その人物こそ誰あろう、ジャネット・ジャクソンなのである。
80年代の音楽シーンに発生した「フィクションからノンフィクションへ」、そして「ファンタジーからリアルへ」というパラダイムシフトを解き明かしながら本書は、ジャネット・ジャクソンが起こした「1986年の革命」が何だったのか、その核心を浮き彫りにしていく。
ネタバレにならない程度にぼくなりの言葉を付け加えるならば、それは「あぶれ者たちによる革命」だった。革命の中核を担うのは3人。20世紀最大の音楽一家ジャクソン家からあぶれ、逃げるように父親と決別した、ジャネット・ジャクソン。そして天才プリンスのお抱えバンドであるザ・タイムを解雇された、ジミー・ジャムとテリー・ルイス(ジャム&ルイス)。
ポップス界の「キング」と「プリンス」のファミリーから放逐された3人が手を結び、そこからどでかい革命をやってのけるのだ。その、あまりにロック的な下克上の構造には、あらためて驚かざるをえない。
いったいジャネットがどのような生い立ちを経て、1986年の革命にたどり着いたのか。ジャネットの天才性とは、彼女が示した方向性とはどんなものだったのか。その詳細については、ぜひ本書のなかで確かめていただきたい。作家・西寺郷太が「ノンフィクションの時代」における影の主役、ラスボスとして挙げるひとりの人物の名にあなたは膝を打ち、ポピュラー・ミュージックが抱える業の深さに思いを馳せるはずだ。
思えば西寺郷太は、一貫して「語られてこなかったスーパースター」を丁寧に語り続けてきた男だった。彼がマイケル・ジャクソンの本質を語りはじめる以前、マイケルの音楽性を真顔で語る人物など、ほとんどいなかった。度重なる整形と崩壊していく顔面、少年への性的虐待疑惑、エレファントマンの遺骨購入疑惑、その他さまざまな奇行やスキャンダルばかりがメディアを賑わせていた。プリンスの場合は、まったく逆である。「あの殿下を語る」「あのスーパー大天才を語る」という行為の無謀さと畏れ多さに尻込みし、プリンスを正面から論じた本はほとんど存在しなかった。
そして今回、ジャネット・ジャクソンである。おそらく西寺郷太が採り上げなければ、彼女を軸とした80~90年代ポップ・ミュージック論考など、永遠に出版されることはなかっただろう。同時代を生きた音楽ファンがうすうす感じていた「変化」を、言葉で理解することは永遠にかなわなかっただろう。
ジャネット・ジャクソンは、「マイケルの妹」である。
しかし同時に、マイケル・ジャクソンは「ジャネットの兄」でもある。
そして本書では、ジャネットとマドンナとホイットニーという時代を彩った3人のディーバが、意外な「姉妹」関係であったことも明らかにされるのだが、そこを掘り下げるのは蛇足というものだ。
さて、1973年生まれの野郎どもが集まる「73会」仲間でもある西寺郷太くん。『プリンス論』に引き続き、また郷太くんとビール片手に語り合いたいテーマが増えちゃったじゃないか。この責任、ぜひ次回の「73会」でたっぷり返してもらおう。
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