本書は、2016年米大統領選の4候補であるトランプ、ヒラリー、クルーズ、サンダースの出馬表明スピーチを和訳するとともに、米大統領選がどのような仕組になっているのかを解説した書である。冒頭では有権者の心を掴むためには、下記のどちらか(ないしは両方)が必要だと説く。
A:演説の内容(政策)が支持者にウケる
B:内容が希薄でも演説がうまい
今回の候補では、ヒラリーとサンダースがAで、トランプはBで、クルーズが演説もうまく内容も充実していたと説明する。そうした前提を元に本書で4人の候補全員のスピーチを読んだのだが、もっとも納得性が高いのがなんと、トランプだったのだ――。
著者はトランプについて「内容が希薄でも演説がうまい」と書いている。そしてクルーズを絶賛している。だが、結局4人のスピーチを読んで頭の中に残ったのはトランプなのである。さらにいうと、国際問題に言及していたのはトランプだけだったのである。ヒラリーは多少は述べているものの、遥か遠い国の話をしているように感じられ、パスポート所持率がやたらと低くアメリカこそ最高! と信じて疑わないアメリカ国民には響かない。一方でトランプは、大袈裟かつ偏見に満ちてはいるものの海外の脅威が自国にどんな悪影響を与えるか、まで述べている。
そうして分かってくるのが、米大統領選候補者が言っていることは、基本的には
【1】驚くほど国内のことしか語らない
【2】庶民は賢くて被害者、金持ち・為政者は薄汚い連中であると訴える
【3】聴衆にとっていいことしか言わない
【4】自分の半生をドラマチックに語る
【5】連帯を求める
の5点なのだ。そして、この5点を突き詰めれば突き詰めるほど名スピーチということになってくる。つまり、言葉は悪いのだがバカをどれだけ心地良くさせるかといったところが勝利への道となるのだ。
さらに気付いたのが、民主党=リベラル、共和党=保守という分類が通常はされているのだが、全員がマインドとしては「U.S.A.! U.S.A.!」と叫びそうな勢いの話ばかりしており、結局は「保守の中の左右」が米大統領には求められる資質なのだと分かる。
サンダースは極左とされてはいるものの、主張は極右とされるトランプと同じである。サンダースは格差是正を訴え、富が一部の超富裕層に偏っていることを批判する。トランプは「オレは頑張って金持ちになった」とは言いつつも、中国やメキシコのせいでアメリカ人の労働者が低賃金になっていると批判する。アメリカ人とは、虐げられた無辜の民であると規定し、そこから脱却するためにも自由貿易を否定し、海外の米工場を国内拠点に移し、外国製品には高い関税をかけ、メキシコとの国境に万里の長城をメキシコのカネで建設せよ、と訴える。両人とも庶民に寄り添った政治が必要であると宣言しているのだ。
だが、結局トランプのスピーチが最も頭に残る理由は、よりバカ度合が強いからである。4人の中でバカ度合が強い順番はトランプ→ヒラリー→サンダース→クルーズ、の順番だ。そして、結果的にバカ転がしの名手2人が両党の代表指名を受けることになった。
その反面、クルーズはその抜群の記憶力から具体的年号を挙げ、『レインマン』の如く立て板に水のスピーチを展開する。聴衆のことはホメるものの、結局は自分の能力の高さアピールに終始してしまい、麻薬の入った「ブラックカレー」(『包丁人味平』より)を食べた者のごとく観客を陶酔の彼方に誘うことができなかったのである。
〈1979年、みなさんと私がロナルド・レーガンの演説を聴いていると想像してみてください。彼は私たちにこう言うのです。トップの限界税率を70%から28%まで大幅に引き下げ、苦しい経済低迷から高度経済成長へと移行し、何百万人もが貧困を脱して繁栄と富を手に入れるのです、と〉
確かにファクトに基いたきっちりとしたスピーチだ。ただし、残念ながらクルーズは「何かを変えてくれる」という空気がトランプほどはない。ヒラリーは、「大統領になると皆髪の毛が白くなってしまう(ほどの落ち込みよう)が、私はもうすでに白い」と言うなど適宜自虐とユーモアを述べ、聴衆を味方につける。さらにはオバマとの対立を明確に否定したりもするバランス感覚もある。トランプはとにかく言ってる内容が聴衆を鼓舞してくれ、サンダースは「皆さんは被害者だ」と優しく認めてくれる。
こうした特徴を各人が持っているのだが、クルーズは「私の父は共産圏のキューバ出身で、そんな父に育てられたから自由の尊さを誰よりも知っている」という論法で話す。そして、妙なマーケティングをし過ぎていると感じられた。というのも、クルーズの演説は、保守派キリスト系大学で行われたのだが、キリスト教についての言及が多く、あまりにも目の前の聴衆を重視し過ぎているきらいがあったのだ。第一回目の演説というものは、その後全米に何度もテレビで流されるわけだから、目の前の聴衆だけを考慮してはいけない。そういった点でトランプのうまさが際立ってしまう。
現在(2016年7月25日)は東京都知事選の真っ最中である。どの候補が、とは言わないが、最後の最後に都民が投票したくなるかもしれないスピーチをトランプから学んで書いてみることにする。
「東京都民の皆さん! 私はここに立てたことを誇りに思う! そして、わざわざ暑い中、ここまで来て下さった皆様の熱意に心からの感謝を述べます!(頭を深々と5秒ほど下げる)。さて、東京の予算は13.7兆円。これは、世界10位のGDPに相当するのです。我々東京は、日本の重要なエンジンです。しかし、現在『地方創生』のもと、東京の予算が相当東京から外に出て行ってしまっている。
地方創生が重要なのは分かる。しかし、その財源は、ここにいらっしゃる都民の皆様が汗水垂らして働いた結果のものなのです。皆さん、こうしたお金を東京都のためだけに使いたいとは思わないのでしょうか! いや、これまで勤勉な都民が頑張ったことをもう少し都民一人一人に還元できる政治を私は実現する。
具体的には、地方に渡すお金を今までの半分にし、その代わり都民には以下3つを約束する。【1】保育所増設【2】都営地下鉄・都営バスの年間パスポート導入【3】都内大学での生涯学習推進で年間5万円までの講座を無料で受けられるようにする。
しかし、我々東京都民は日本全体のことも考えなくてはいけない。そのため、全国のアンテナショップをさらに誘致し、日本全体の繁栄を考えていきたい! 他の候補者が言ってることは、あまりにもぼんやりとし過ぎているか、都政とは関係ないだろ? それって国がやることだろ! というものが多過ぎる。今こそこの、○山×太郎に皆さんの一票を! 私は東京都民が報われる東京を作る。この一点しか考えておりません!」
また、本書は、「完全対訳」を謳っているだけあり、英語で読みながら和訳で答え合わせをするという英語レッスン書の側面もある。そして、ここが重要なのだが、米大統領選はいかにバカを心地良くさせるか、にあると前に述べた。よって言葉も分かりやすく平易なものが多く、様々な言い回しを学ぶ良い機会となることだろう。
中川 淳一郎
1973年東京都立川市出身。ネットニュース編集者・PRプランナー。著書に『夢、死ね! 若者を殺す自己実現という嘘』『内定童貞』(ともに星海社新書)など。
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