1976年10月、新宿ロフトオープン
いま蘇る、伝説の10日間(オープンセレモニー)の舞台裏
平野悠×牧村憲一(音楽プロデューサー)
対談及び貴重資料収録!
日本のロック・ミュージックが真の意味で市民権を勝ち取る前哨戦を、ライブハウス「ロフト」の創設者が回顧する壮大なクロニクル
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ライブハウスという新たなカルチャーが胎動した時代の息吹と熱狂
1970年代に日本のロック・シーンはわずか数年で怒涛の如く成長し、やがて国内の音楽業界全体を席巻する存在として巨大な発展を遂げていった。この熱狂の先頭をいく気鋭の音楽家たちと常に併走してきたのが、ライブハウス「ロフト」だ。本書は、日本のロック及びフォーク界のスーパースターを育てた「聖地」の創設者である著者が、いまや伝説として語り継がれる「1976年の新宿ロフト」のエピソードを大きな軸として、日本のロック・ミュージックの長く曲がりくねった歴史を、アーティストたちの素顔や業界の生々しい実情とともに明らかにする。歌謡曲に対するカウンターカルチャーとして、ロックが市民権を得ていった軌跡を堪能してほしい。
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「80年代に入ると空前のバンド・ブームが訪れ、ホコ天にイカ天と、多くの若者から絶大な支持を得た日本のロックは全盛を極めるようになった。その発火点として新宿ロフトが果たした功績は大きい。そして、その新宿ロフトがオープンに至る過程もまた重要であり、そこからさらに遡り、前時代的だった60年代後半の日本の音楽業界の在り方や、それに異を唱えるべく1971年3月に烏山ロフトが生まれた時代背景を再検証する必要がある」
──プロローグより
平野悠(ひらの・ゆう)
ライブハウス経営者。1944年8月10日、東京生まれ。ライブハウス「ロフト」創業者、またの名を「ロフト席亭」。70年代に烏山、西荻窪、荻窪、下北沢、新宿にライブハウス「ロフト」を次々とオープン。その後、海外でのバックパッカー生活、ドミニカ共和国での日本レストランと貿易会社設立を経て90年代初頭に帰国。1995年、世界初のトークライブハウス「ロフトプラスワン」をオープンし、トークライブの文化を日本に定着させる。著作「旅人の唄を聞いてくれ!~ライブハウス親父の世界84ヵ国放浪記~」(ロフトブックス/1999年刊)、「ライブハウス『ロフト』青春記」(講談社/2012年刊)、『セルロイドの海』(世界書院/2020年刊)など
牧村憲一(まきむら・けんいち)
音楽プロデューサー。1946年、東京都渋谷区生まれ。シュガー・ベイブ、山下達郎、大貫妙子、竹内まりや、加藤和彦などの制作・宣伝を手掛け、84年に細野晴臣主宰のノン・スタンダード・レーベルに参加。80年代後半からはポリスターでフリッパーズ・ギターをプロデュース。フリッパーズ・ギター解散後は「トラットリア」レーベルを設立。2007年より2012年まで昭和音楽大学非常勤講師を勤め、2014年から2016年まで音学校を主宰。現在、慶應義塾大学アート・センター訪問所員。felicity+(プラス)プロデューサー。著作『ニッポン・ポップス・クロニクル1969-1989』(スペースシャワーネットワーク/2013年刊)、共著『渋谷音楽図鑑』(太田出版/2017年刊)『commmons: schola vol.16 Ryuichi Sakamoto Selections:Japanese Pop Music 日本の歌謡曲・ポップス』(エイベックス・ミュージック・クリエイティヴ/2017年刊)、監修『エゴ ~ 加藤和彦、加藤和彦を語る』(スペースシャワーネットワーク/2013年刊)『ポップ・ミュージックを語る10の視点(〈music is music〉レクチャー・シリーズ)』(アルテスパブリッシング/2020年刊)など。本書の監修を担当。
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