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HOME > 星海社新書 > 星海社新書 > 信繁にとどまらず、歴史学全般への導きの糸(レビュアー:歴史作家 桐野作人)

星海社新書

信繁にとどまらず、歴史学全般への導きの糸(レビュアー:歴史作家 桐野作人)

真田信繁の書状を読む

現代語訳は「冒険」

 丸島和洋さんには幾度か強い印象を受けたことを思い出している。

 数年前、一度だけ会ったことがある。都内の某研究会で丸島さんの研究報告を拝聴したとき、挨拶を交わした。たったそれだけの出会いだったが、その報告は面白かった。膨大な史料を引用しつつも、論旨が明晰で首尾一貫しており、結論もすっきりと強調されていたからである。

 次に、丸島さんが一般書として初めて書き下ろしたと思われる著書『戦国大名の「外交」』(講談社メチエ、二〇一三年)にも驚かされた。何かといえば、引用史料の多くを現代語訳するという「冒険」を試みていたことである。あえて「冒険」という言葉を使ったが、じつは研究者にとって、この作業は簡単なようで、なかなか難しいことである。中世や戦国時代の用語は多義的だったり、適切な現代語に置き換えるのが難しかったりする。研究者はその「冒険」を回避することが多いだけに、丸島さんの果敢な挑戦に驚くとともに、その訳文を読んで個人的にも学ぶところが多かった。

 そして、この「冒険」は本書でも引き続いて試みられている。年次や人名の比定という難問に挑みつつ、現代語訳を試みた丸島さんの労作をじっくりと味わってほしい。

 同書で意外な感に打たれたことがもうひとつある。東国の武田氏や真田氏の研究者として知られている丸島さんが、薩摩島津氏の「外交」について論じていたことである。戦国島津氏の一級史料『上井覚兼日記』を読み込みながら、境目の国衆に対する取次となった島津家久や上井覚兼の動向を的確にとらえたものだった。考えてみれば、これは東国とか九州という地域の違いではなく、戦国大名や統一権力の特質を探るうえで、重要かつ普遍的な課題である「取次」論に取り組んだもので、題材がたまたま薩摩島津氏だったということにすぎない。不肖、私も戦国島津氏を専門にしているだけに、大変興味深く読ませてもらった。

至れり尽くせりの1冊

 ところで、そろそろ本書について語らなければならない。まず、本書は新書ながら、真田信繁ファンや戦国ファンはむろん、研究者にとっても示唆に富み、得るところが多いに違いないと思う。

 本書では、現存する真田信繁文書(書状・判物・覚書など。写しも含む)全十七点をすべて網羅したうえ、その写真版も掲載してある。有名な人物にもかかわらず、これまで信繁文書が集成されたことはなかった。だから、これだけでもじつに貴重な仕事というべきである。とくに九度山時代は信繁の自筆書状も含まれており、その筆跡からさまざまなことを想像することができる。加えて、受給文書(信繁が受け取った書状など)や関連文書まで紹介してあり、至れり尽くせりである。

 そして、丸島さんが現代語訳に再び挑戦しているのは先に述べたとおりだが、本書のもうひとつの魅力を紹介しよう。それは「第一章 史料を読むということ」で、本書の入口、導入部分である。

 いわゆる古文書を読み解くのは、一般の歴史ファンにはハードルが高い作業である。独特の和式漢文体(候文)が難解なのはむろん、短い書状ひとつとっても、「書札礼」と呼ばれる決まり事が伏流水のように紙背に張りめぐらされている。それを解きほぐして理解するのは大変なうえ、専門家である研究者の解説書や解説文も難解な専門用語が多いときている。

 その点、丸島さんは本当にわかりやすい解説をしてくれている。第一章を読むだけで、信繁文書だけでなく、古文書全般への理解が拡がること請け合いである。

新説も多数

 私は信繁や真田氏の研究史には不勉強だが、本書にはどうやら丸島さんの新説や独自の解釈が少なからず含まれていると思われ、その意外性や新たな史実に多くの人が驚かされるのではないだろうか。以下、知らなかった点や個人的に興味深かった点を挙げてみたい。

① 信繁の年齢や家族関係に関するもの

 〇信繁の生年は通説の永禄十年(一五六七)よりも五歳も若く、元亀三年(一五七二)ではないかという。そうなると、第一次上田合戦のときは十四歳であり、参戦していない可能性が大きいこと。

 〇真田源八郎という昌幸の庶長子と思われる人物がおり、信繁は昌幸の二男ではないかもしれないこと。

 〇大河ドラマ「真田丸」の前半、信繁の最初の側室「梅」を黒木華さんが演じていた。ドラマでは第一次上田合戦で戦死したが、実際はそれから十五年後の慶長四年(一五九九)まで存命していた可能性が高いこと。

 〇九度山時代、信之が昌幸たちに年間一〇〇両の援助を行っていただけでなく、慶長十年(一六〇五)に上洛した信之が九度山を訪れていたこと。おそらくこれが親子兄弟の今生の別れだったのだろう。

②秀吉の馬廻としての信繁

 今年の大河ドラマで、信繁が豊臣秀吉とその家族のそば近くに仕えていたことに驚いたり、違和感をもった人も多いだろう。ドラマなので過剰な演出もあったものの、信繁の描き方に新境地を開いた時代考証の勝利でもあった。信繁が人質ではなく秀吉の馬廻だったことが確定されたことは、研究史上も大きな成果で、信繁の実像に相当の修正を迫ることになった。

 また秀吉馬廻として父昌幸や兄信幸とは独立した存在であり、上田周辺などに独立した知行地をもち、知行高も一万九〇〇〇石という予想以上の大身馬廻だったことにも驚かされる。

 そして、信繁が関ヶ原合戦や大坂の両陣で選んだ進退の背景にある事情として姻戚関係を無視できない。豊臣政権の有力奉行である大谷吉継との姻戚関係はむろんだが、もうひとつ、馬廻時代の上役である石川光元とその弟の同光吉(貞清)も吉継と婚姻関係でつながっており、吉継と石川一族の動向が信繁の進退に影響を与えたことを指摘しているのは非常に重要である。

③蘊蓄や専門的な知見も多い

 〇有名な「犬伏の別れ」だが、親子三人が密議した場所は手前の天明だった可能性が高く、「天明の別れ」と呼ぶべきである。

 〇関ヶ原合戦における石田三成との交渉では昌幸の巧みな駆け引きが目立つ。それは信幸が徳川方に属したことを隠し、沼田を自分が支配していると三成に思わせ、真田家の値打ちをつり上げていること。

 〇関ヶ原合戦のときの昌幸・信繁宛ての三成書状一点が真田家ではなく、なぜか浅野家に伝来している。その謎解きとして、大坂の夏の陣で信繁正室の竹林院殿が浅野長晟に捕らえられていることから、そのとき、家宝を奪われたせいではないかと推定する。

 〇九度山時代、信繁が「左京殿」に宛てて、焼酎を無心した有名な書状がある。従来、これは親戚の河原右京亮綱家の誤記だとされていたそうだが、将軍足利義輝の孫にあたる「西山左京」という人物ではないかという。この説は丸島さんが最初に唱えたかどうかよくわからないが、意外な人物だったことにとても驚いた。ちなみに、焼酎の本場薩摩で焼酎の史料上の初出は永禄二年(一五五九)である。

 〇真田丸での籠城のとき、将軍足利義昭の最側近だった真木島昭光の息子が信繁の与力になっていたこと。また夏の陣で信繁を討ち取った西尾仁左衛門がじつは武田家旧臣だったことなど、意外な人間関係があやなしていた。

 以上、本書の見所をアトランダムに紹介してみた。

歴史学への導き

 ところで、丸島さんは著書や論文だけでなく、ネットでの発信も盛んに行っている。とくに今年は大河ドラマの時代考証についての時宜に応じた、労を厭わぬ懇切丁寧な解説は、一般の視聴者にとっても、歴史学者との双方向の交流になり、歴史への認識を新たにさせてくれる効果もあるように感じている。

 本書でも同様に、丸島さんは史料の読み方を一般の歴史ファンにもわかりやすく解説してくれている。それは真田家や信繁に限らず、歴史学全般への導きの糸になっている。そのような意味で、本書は丸島さんのサービス精神が巧まずして発揮された好著だといえる。

ライターの紹介

桐野作人(きりの・さくじん)

歴史作家。鹿児島県出水市出身。立命館大学文学部東洋史学専攻卒業。武蔵野大学政治経済研究所客員研究員。織田信長や鹿児島の歴史を主要なフィールドにしている。主著に『真説 本能寺』、『関ヶ原 島津退き口』など。『南日本新聞』にて「さつま人国誌」を連載中。

書籍情報

タイトル 真田信繁の書状を読む
著者 丸島和洋
ISBN 978-4061386013
発売日 2016年09月21日
定価 900円(税別)
amazon.co.jpで詳細を見る

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