世界史をつくった最強の三〇〇人
小前 亮 Illustration/マサオ
つまらない教科書はうんざり。世界史はこう教えてほしかった!——本書は、世界史に登場する何千、何万人もの人物の中から、歴史小説家である私(小前亮)が「こいつが主人公の小説を書きたい!」という基準で321人を選んだ人物事典です。事典といっても、教科書みたいに退屈なものではありません。小説家である以上、歴史の面白さを皆さんに伝えることが使命です。ですので、人物の解説には「エンタメ性」を持たせました。つまり、あら探しだったり、誹謗中傷だったり、著者の好みが思いきり反映されていたり……。とにかく、肩の力を抜いて自分の好きな時代や人物から読んでいってみてください。人物が単なる記号から等身大の「キャラクター」に変われば、歴史はもっともっと面白く見えてくるはずです。
目次
紀元前Ⅰ(前7世紀以前)
- ク フ 18
- ハンムラビ 18
- ハトシェプスト 19
- アメンホテプ四世 20
- モーセ 20
- ムワタリ 21
- 帝 辛 22
- アッシュール・バニパル 22
- ネブカドネザル二世 23
- ソロモン 24
- サッフォー 24
紀元前Ⅱ(前6世紀〜前4世紀)
- ガウタマ・シッダールタ 28
- ペイシストラトス 28
- ダレイオス一世 29
- 孔 子 30
- 孫 武 31
- テミストクレス 31
- ペリクレス 32
- ソクラテス 32
- トゥキディデス 33
- アリストファネス 34
- フィリッポス二世 35
- 蘇 秦 35
- アレクサンドロス三世 36
- チャンドラグプタ 37
紀元前Ⅲ(前3世紀〜前1世紀)
- 韓 非 40
- アショカ 40
- 李 斯 41
- ハンニバル 42
- 項 羽 42
- 冒 頓 43
- カトー 44
- 衛 青 44
- マリウス 45
- 司馬遷 46
- ユリウス・カエサル 47
- キケロ 48
- オクタヴィアヌス 48
- クレオパトラ七世 49
- ユリア 50
1世紀〜2世紀
- イエス 52
- リヴィウス 52
- 光武帝 53
- ネ ロ 54
- 班 昭 54
- タキトゥス 55
- トラヤヌス 56
- 蔡 倫 57
- カニシカ 57
- アシュバゴーシャ 58
- マルクス・アウレリウス・アントニヌス 58
- 檀石槐 59
- 張 角 60
3世紀〜4世紀
- カラカラ 62
- 諸葛亮 62
- 卑弥呼 63
- シャープール一世 64
- 嵆 康 64
- マ ニ 65
- 陳 寿 66
- 恵 帝 66
- コンスタンティヌス一世 67
- 王羲之 68
- シャープール二世 69
- 桓 温 69
- ユリアヌス 70
- 苻 堅 71
- 顧愷之 71
- テオドシウス一世 72
- チャンドラグプタ二世 72
5世紀〜6世紀
- 法 顕 76
- 寇謙之 76
- 雄略天皇 77
- ネストリウス 78
- ガイセリック 78
- アッティラ 79
- オドアケル 80
- 蕭 衍 80
- クローヴィス一世 81
- 酈道元 82
- ユスティニアヌス一世 82
- 昭明太子 83
- テオドラ 84
- 宇文泰 85
- ホスロー一世 85
7世紀
- 煬 帝 88
- 厩戸皇子 88
- ムハンマド 89
- プラケーシン二世 90
- ハルシャ・ヴァルダナ 90
- ソンツェン・ガンポ 91
- アリー 91
- 李世民 92
- 孔穎達 93
- ムアーウィヤ 94
- 天武天皇 94
- 武則天 95
8世紀
- 大祚栄 98
- 藤原不比等 98
- レオーン三世 99
- 聖武天皇 99
- カール・マルテル 100
- 玄 宗 101
- 鑑 真 101
- 安禄山 102
- 李 白 103
- 道 鏡 103
- 阿倍仲麻呂 104
- マンスール 104
- アテルイ 105
- アブド・アッラフマーン一世 106
- エイレーネー 106
9世紀
- 徳 宗 110
- ハールーン・アッラシード 110
- ニケフォロス一世 111
- フワーリズミー 111
- カール大帝 112
- リューリク 113
- 小野小町 114
- 黄 巣 114
- 菅原道真 115
- シャルル二世 116
10世紀
- アブー・アブドゥッラー 118
- シメオン 118
- 王 建 119
- ロ ロ 120
- 馮 道 120
- オットー一世 121
- 柴 栄 122
- 趙匡胤 122
- 太 宗 123
- 趙 普 124
- ミェシュコ一世 124
- ユーグ・カペー 125
11世紀
- バシレイオス二世 128
- フェルドウシー 129
- ボレスワフ一世 129
- 紫式部 130
- マフムード 130
- イブン・スィーナー 131
- ラージェンドラ一世 132
- トゥグリル・ベク 132
- 李元昊 133
- ニザーム・アルムルク 133
- ウルバヌス二世 134
- 王安石 135
- 司馬光 135
- ハインリヒ四世 136
12世紀
- ウマル・ハイヤーム 138
- ハサン・サッバーフ 138
- 徽 宗 139
- アベラール 139
- 岳 飛 140
- 耶律大石 141
- アンナ・コムネナ 141
- 源義経 142
- フリードリヒ一世 142
- サラーフ・アッディーン 143
- リチャード一世 144
- 朱 熹 145
13世紀
- アイバク 148
- ジョン 148
- ジャヤヴァルマン七世 149
- 北条政子 149
- チンギス・カン 150
- 耶律楚材 150
- プラノ・カルピニ 151
- フリードリヒ二世 152
- シャジャル・アッ・ドゥッル 152
- ルイ九世 153
- バイバルス 154
- クビライ 154
- ソーマ 156
- チャン・フンダオ 156
14世紀
- ラーム・カムヘン 158
- ラシード・ウッディーン 158
- マルコ・ポーロ 159
- フィリップ四世 160
- ダンテ 160
- 後醍醐天皇 161
- イブン・バットゥータ 162
- マンサ・ムーサ 162
- エドワード三世 163
- ガジャ・マダ 164
- ボッカチオ 164
- フィールーズ・シャー 165
- 朱元璋 166
- ティムール 167
- イブン・ハルドゥーン 168
15世紀
- 李成桂 170
- マルグレーテ一世 170
- 足利義満 171
- 永楽帝 171
- 鄭 和 172
- ジャンヌ・ダルク 173
- ジョアン一世 173
- 尚巴志 174
- シャー・ルフ 174
- エセン・ハン 175
- グーテンベルク、ヨハネス 176
- メフメト二世 176
- 日野富子 177
- ロレンツォ・デ・メディチ 178
- ディアス、バルトロメウ 178
- イサベル一世 179
16世紀
- コロンブス、クリストファー 182
- ボルジア、チェーザレ 183
- レオナルド・ダ・ヴィンチ 183
- セリム一世 184
- マゼラン、フェルディナンド 184
- イスマーイール一世 185
- フッガー、ヤコブ 185
- マキャベッリ、ニッコロ 186
- 王守仁 186
- マリンティン 187
- バーブル 188
- ナーナク 188
- ピサロ、フランシスコ 189
- ルター、マルティン 189
- ザビエル、フランシスコ 190
- ヘンリー八世 191
- カール五世 191
- ミケランジェロ 192
- スレイマン一世 192
- ラス・カサス 193
- 張居正 193
- イヴァン四世 194
- 織田信長 194
- メアリー・ステュアート 195
- ドレーク、フランシス 196
- エリザベス一世 196
17世紀
- 徳川家康 198
- シェークスピア、ウィリアム 198
- ヌルハチ 199
- ベーコン、フランシス 199
- シャー・アッバース 200
- ルーベンス、ピーテル・パウル 201
- グロティウス、フーゴー 201
- ガリレオ・ガリレイ 202
- 李自成 202
- デカルト、ルネ 203
- クロムウェル、オリヴァー 204
- マザラン、ジュール 204
- 鄭成功 205
- シャー・ジャハーン 205
- シャクシャイン 206
- ラージン、ステンカ 207
- ミルトン、ジョン 207
- 呉三桂 208
- ラ・ロシュフコー 208
- クリスティーナ 209
- ダライ・ラマ五世 209
- 徳川光圀 210
- ジェームズ二世 210
18世紀
- 吉良上野介義央 214
- ルイ十四世 214
- カール十二世 215
- ピョートル一世 215
- 康熙帝 216
- スウィフト、ジョナサン 217
- ナーディル・シャー 217
- ニュートン、アイザック 218
- 徳川吉宗 218
- ポンパドゥール夫人 219
- ルソー、ジャン・ジャック 220
- クライブ、ロバート 220
- マリア・テレジア 221
- ダランベール、ジャン 222
- フリードリヒ二世 222
- フランクリン、ベンジャミン 223
- スミス、アダム 223
- ミラボー、オノーレ 224
- モーツァルト、ウォルフガング・アマデウス 224
- ムハンマド・イブン・アブドゥル・ワッハーブ 225
- エカチェリーナ二世 225
- ワシントン、ジョージ 226
- ロベスピエール、マクシミリアン 227
- トゥーサン・ルーヴェルチュール 227
19世紀
- 銭大昕 230
- ネルソン、ホレイショ 230
- カメハメハ一世 231
- ナポレオン 232
- ボリバル、シモン 232
- シャンポリオン、ジャン・フランソワ 233
- ゲーテ、ヨハン・ウォルフガング 233
- ムハンマド・アリー 234
- メッテルニヒ、クレメンス 234
- 林則徐 235
- 洪秀全 236
- リンカーン、エイブラハム 236
- 坂本龍馬 237
- リヴィングストン、デイヴィッド 237
- ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世 238
- ディズレイリ、ベンジャミン 238
- マルクス、カール 239
- シュリーマン、ハインリヒ 240
- グラント、ユリシーズ 240
- ゴッホ、フィンセント・ファン 241
- コシュート・ラヨシュ 241
- レセップス、フェルディナン・ド 242
- ビスマルク、オットー 242
20世紀
- 西太后 246
- 伊藤博文 246
- トルストイ、レフ 247
- オー・ヘンリー 248
- ナイチンゲール、フローレンス 248
- ラーマ五世 249
- ピュリッツァー、ジョゼフ 249
- アフマド・アラービー 250
- フランツ・ヨーゼフ一世 250
- ラスプーチン、グリゴリー 251
- 劉永福 252
- ピアリー、ロバート 252
- レーニン、ウラジーミル 253
- 孫 文 253
- エジソン、トーマス 254
- キュリー夫人 254
- 野口英世 255
- ロレンス、トーマス・エドワード 256
- ロックフェラー、ジョン 256
- レザー・シャー・パフラヴィー 257
- ムスタファ・ケマル 257
- ルーズヴェルト、フランクリン 258
- ヒトラー、アドルフ 258
はじめに つまらなくない「世界史の教科書」へようこそ
私は日頃、真面目に歴史小説を書いています。
地味に、堅実に、こつこつとやっているのですが、なぜか性格が悪いとか、ひねくれているとか、言われることが多くて戸惑っています。でも、言われっぱなしでいるわけにはいきません。それを仕事に生かそうと思って出来たのが本書です。
本書は人物事典の体裁をとっています。ただ、研究者でも評論家でも学校の先生でもなく、歴史小説家――それもかなり性格の悪い、の視点で書いてますので、既存の事典とはまるで異なる内容になっています。
題名にある「最強」は、武力や政治力だけではありません。紹介するのは三二四人ですが、個性やアクの強さ、独特の業績……要するにキャラクター性を重視して選定しています。
世界史の教科書にかならず載っているような有名人は、なるべく拾ったつもりですが、ネタやバランスを考えて選外とした人物もいます。逆に、そうとう歴史にくわしい人でも知らないようなマイナーな人物も、おもしろいと思ったら紛れこませています。
女性が多いとか、歴史家が多いとか、明らかな傾向もあります。小説に登場させたいと思った人物や、書くときにお世話になった人物を入れこんだら、こうなってしまったのです。そうした趣味的な人選も楽しんでいただければ幸いです。
選定方法でわかるとおり、本書は高尚な人物事典ではないので、人物の事績よりも、性格やエピソードやゴシップに重きをおいています。なにしろ性格が悪いと評判の筆者ですから、あら探しだったり、揚げ足取りだったり、偉人を揶揄するような記述が多くなります。たまに噓を書くかもしれません。
ですから、本書で得た知識を試験に使ってはいけません。そのかわり、試験勉強に使う人物事典よりはおもしろいと思います。
歴史のおもしろさを伝えたい――。
本書の執筆動機は、これに尽きます。そのために選んだのが、人物列伝という形式なのです。
教科書の無味乾燥な記述で、歴史から離れた方も多いでしょう。教科書はどうしても事項を詰めこんでしまいますので、人物も記号のように扱われます。
しかし、歴史上の人物だって、生身の人間です。私たちと同じように、恋に悩み、勉強を嫌がり、格好つけては失敗して、懸命に生きてきました。そんな生身の人間の部分に注目すれば、歴史がもっと身近に感じられるでしょう。
短い記述を読んでその人物に興味を持ったら、もう少し厚い本やら事典やらで調べてみてください。また、本書を読んでから、教科書や資料集を見ると、ずいぶんと印象が異なるでしょう。人物が単なる記号から、等身大の「キャラクター」に変われば、歴史が物語に見えてきます。
そこで、歴史小説に手を伸ばしてもらえたら……という腹黒い願望はさておき、世界史が好き、という人が増えてくれたら嬉しく思います。
さて、以下は取り扱いの説明です。
人物はほぼ活躍した年代の順に並んでいます。どの人物が何世紀に属するかについては、没年をもとに決めていますが、例外もあります。そもそも西暦で章分けするのは、ほとんどの時代や地域で意味を成さないので、あくまで便宜上のことと考えてください。
本書はどこから読んでもかまいません。最初から読むほうがわかりやすいとは思いますが、ぱらぱらとめくって目にとまったところを読むのもいいですし、目次から興味のある人物を引くのもいいでしょう。
イラストレーターのマサオさんにすばらしいイラストをつけていただきましたので、それをたどっていくのもひとつの方法です。
ただし……大事なことなので繰りかえします……本書で得た知識を試験に使ってはいけません。
では、歴史の扉を開きましょう。
ソクラテス(前四七〇/六九頃〜前三九九 古代ギリシア)
「悪い妻を持てば、哲学者になれる」
ソクラテスの妻クサンチッペは、悪妻として有名だが、具体的なエピソードは口うるさいとか頭から水をかけたとかいう程度である。ソクラテスは貧乏暮らしをしながら哲学問答を繰りかえしており、しかも年をとってから三人の子供に恵まれている。これで口うるさくならない妻などいない。さらに最後は、不当な裁判によって死刑を宣告され、「悪法も法なり」と格好つけて、刑を受け入れてしまう。夫としても父としても最低だ。クサンチッペは結婚相手をまちがえただけの、かわいそうな女性であった。そのおかげで歴史に名前が残ったのだけど。
ユリウス・カエサル(前一〇〇〜前四四 古代ローマ)
「天は彼に全てを与えた……××以外」
天に五物くらい与えられた人。元老院勢力を打破してローマの最高権力を手中におさめ、帝政への道を開いた。いまの国名でいうと、フランス、ドイツ、イングランド、エジプト、トルコなどを征服し、ローマの版図としている。卓越した軍事的能力と政治力をあわせもち、弁舌さわやかで明るく、男女を問わず相手を惹きつける魅力を持っていた(たぐいまれなる女たらしでもあった)。文章も抜群にうまく、「賽は投げられた」「来た、見た、勝った」など、多くの名言を残している。非の打ち所がない個性だが、本人が唯一気にする弱点があった。……頭髪が少ないことである。ちなみに、主要な業績は四十代以降にあげており、世界三大晩成英雄のひとりに数えられる。英雄とか天才には早熟なタイプが多いので、カエサルのような例は珍しい。中年の希望の星でもあるのだ(別に髪の話ではない)。
トラヤヌス(五三〜一一七 ローマ帝国)
「ゲイでショタ」
酒好きの少年愛者である。ついでに、五賢帝のひとりで、ローマ史上最高の名君でもある。トラヤヌスはスペイン生まれのローマ貴族で、軍人としても政治家としても一流の手腕を発揮し、先帝に見込まれて養子となった。即位してからは、積極的な遠征でローマの版図を最大に広げるとともに、内政では元老院と協調して減税や公共福祉に力を入れ、あらゆる層から支持された。趣味のほうでも、酒での失敗はなく、少年には優しかったというから、非難するには当たらない。してみると、ゲイの皇帝というのは理想ではないか。優しくて気配りができそうだし、何より世襲がないので、無能な後継者が生まれる可能性が少ない。いや、かえって後継者争いが激しくなるのかな。
シャープール二世(三〇九〜三七九 ササン朝)
「最年少皇帝」
ササン朝九代皇帝。世界史上、もっとも若くして皇帝になった人物である。なにしろ、胎児のときに即位しているのだ。しかも、何人もいた兄たちをさしおいて。そこには当然、貴族やら聖職者やらの思惑がからんでいる。だが、シャープール二世は才気あふれる皇帝であり、長じて傀儡の境遇を脱すると、軍事でも内政でも実績をあげた。幼くして即位した君主というのは、周りの大人たちにスポイルされることが多く、シャープール二世のような例は珍しい。それにしても、才能どころか性別もわからない胎児を皇帝にしようなんて、よく思いついたものである。
ガイセリック(三八九?〜四七七 ヴァンダル)
「地中海沿いを大移動」
大移動を行ったゲルマン民族のなかでも、ヴァンダル族の移動距離は最長を誇る。東ヨーロッパからガリアを経てスペインへ、そしてジブラルタル海峡を渡って北アフリカに達し、そこから東進して今のチュニジア付近に国を建てたのだ。移動といってもただの旅ではなく、他の部族やローマ帝国と戦い、街を略奪しながら進むのである。女子供も連れており、総員八万とも十八万ともいわれる部族を統率するには、並大抵の器量ではつとまらない。これを指揮したガイセリックは略奪や破壊で悪名高いが、傑出した指導者でもあった。ちなみに、ヴァンダル族はヴァンダリズム(破壊行為)の語源であると同時に、アンダルシアの語源でもある。
テオドラ(五〇〇頃〜五四八 ビザンツ帝国)
「娼婦から皇后へ」
ユスティニアヌス一世の皇后。サーカスの踊り子(踊るだけではない)で、しかもバツイチだったが、当時皇帝の腹心であったユスティニアヌスに見初められた。ユスティニアヌスは、身分違いの結婚を禁じる法律を改正して、テオドラを妻に迎える。テオドラは聡明かつ勇気ある女性で、夫を助けて政治をおこない、貧しい女性や孤児の救済につとめた。都で反乱が起き、ユスティニアヌス一世が鎮圧をあきらめて逃げだそうとしたとき、彼女は古い言葉を引用してそれを戒める。「帝衣は最高の死装束です」……地位を捨てて生き延びても仕方ない、逃げるくらいなら皇帝として死ね、とテオドラは言ったのだ。この言葉に発奮したユスティニアヌスは、三万人の市民を虐殺して反乱を鎮圧する。いやはや、すさまじい夫婦である。
ホスロー一世(?〜五七九 ササン朝)
「『三国志』か『信長の野望』か」
ササン朝の黄金時代を築いた名君中の名君。軍事、内政、文化のすべての面で国を発展させた。ビザンツ帝国のユスティニアヌス一世とは繰りかえし戦い、勝利して、貢納を条件とした平和条約を結んでいる。ビザンツ帝国で迫害されたギリシア人学者を保護し、古代ギリシアの知識を後世に伝えた功績も大きい。しかしまあ……開墾と灌漑で農地を広げ、商業を発展させて収入を増やし、反乱の芽をつぶして治安をよくし、満を持して外征に出て敵を打ち破る……まるで戦略シミュレーションゲームのような治世である。
プラケーシン二世(?〜六四二頃 インド・チャールキヤ朝)
「飲酒運転の象部隊」
チャールキヤ朝(インド南部)の王。デカン高原をほぼ統一し、ヴァルダナ朝を破ってその南下を防いだ。軍の主力は象部隊だが、戦の前には兵士にも象にも大量の酒を飲ませ、酔っ払わせてから突撃させたという。そんな極端な戦法を使いながらも、プラケーシンは善政を布いていたが、宿敵のパッラヴァ朝との戦いで戦死した。酒が足りなかったのだろうか。
李世民〔唐の太宗〕(五九九〜六四九 中国・唐)
「名君になりたい」
唐の二代皇帝。クーデターを起こして兄と弟を殺し、父を幽閉して即位している。その負い目からか、自分が後世の人間にどう評価されるかを非常に気にしていた。正史の編纂を国家事業にして歴史を都合の良いように書き換え、また、煬帝を反面教師として、どうすれば名君として讃えられるか研究し、貞観の治と呼ばれる善政をおこなった。唐の繁栄の基礎を築いたのは、まぎれもなくこの人だ。名君になろうとして名君になったのだから、素直に褒めればよいのだが、どうも釈然としない。父や兄の功績を奪って自分ひとりで建国したような顔をしているところが、もやもやとした気持ちにさせるのだ。
シャルル二世(八二三〜八七七 西フランク王国)
「王冠が欠かせない」
フランク族の相続制度には困ったものである。すべての息子に分割して相続させるので、決まって兄弟喧嘩が起こるのだ(ひとりが相続する制度でも争いは起こるが)。カール大帝が死んだときは息子がひとりだったので良かったが、そのあとは相続人が三人いた。シャルルは末弟で、次弟と結んで長男を破り、西フランク王国を継いだ。このときの三分割が、フランス、ドイツ、イタリアのもとになっている。しかし、「禿頭王」というあだ名はあんまりだと思うのである。
おわりに 小説家が語る「歴史の描き方」
歴史のおもしろさは伝わっただろうか。
興味をひいた人物がいれば、あるいは時代や王朝があったら、ぜひそれを題材にした小説や、解説した本を読んでほしいと思う。
とりあげられなかった人物や地域に興味を抱いた方もいるかもしれない。誤解をおそれずに言えば、私自身もこの人選に完全に満足しているわけではない。もっと地味な人物や辺境の小国にも目を向けたかった。イサナヴァルマン(チャンパ王国の女王)とか、テオティワカン(メキシコの古代都市)とか、モノモタパ王国(アフリカ南部)について語りたかった。
しかし、史料的制約や研究状況や、単なる私の力不足から、ピックアップするにはいたらなかった。
史料的制約といっても、ピンとこないかもしれない。たとえば、テオティワカンは、紀元前二世紀頃から後六世紀頃まで栄えた都市だ。太陽のピラミッドと呼ばれる巨大建造物や、下水道を備えた計画的な都市建設が、往事の繁栄をしのばせる。最盛期の人口は二十万を算えたと推定されており、古代においては世界でも有数の大都市であった。しかし、その文明の実態は謎に包まれている。文字がなく、同時代の記録が残されていないからだ。人名すらわからないのであれば、人物事典に載せようがない。
だが、小説に書くことはできる。名前は後の文明であるアステカあたりから引っ張ってくればいいし、遺跡や出土物を手がかりにすれば、ストーリーも浮かびそうだ。もっとも、たとえ書けたとしても、出版できるかどうかは別の問題である。需要がなければ、商業出版はかなわない。
ついこのようなことを考えてしまうのは、私の経歴ゆえである。歴史学の研究者を志しながら、途中で小説の世界に転んだので、いつも歴史と物語の境目あたりをうろうろしているのだ。
よく言われるように、歴史(history)と物語(story)の語源は同じである。歴史と物語には多くの共通項が存在する。当然、違いもある。その点に留意しつつ、あとがき代わりに「歴史を描くとは」というテーマについて述べてみたい。
史料がないと歴史は描けない
最初に確認しておこう。歴史研究の対象となる文明やら文化やら民族やらのあいだに、優劣はない。研究の蓄積があって、多くの史実が明らかになっているからといって、その文明が優れていたということにはならない。
古代には世界各地に多くの文明が存在していたが、詳細な歴史が判明しているのはエジプトとメソポタミアくらいである。たいていの文明には文字かその原形はあるが、充分なサンプルと手がかりがなければ解読できない。古代エジプトではヒエログリフの碑文が多く残されており、メソポタミアでは楔形文字の粘土板が大量に発見された。ゆえに、人名もわかれば、何年にどんな出来事があったかも、ある程度まで再現できる。
一方、メソアメリカの古代文字やインダス文字、線文字Aなどは解読できていないし、中国の甲骨文字や金石文は読めるものもあるが、占いの結果や青銅器の所有に関わる情報が多くて、史実の確定に用いるのは難しい。湿潤地域では、文字を記したものが残りにくいという問題もある。
史料が少なくてよくわかっていないからといって、そこに歴史がない、人間の生活や社会がなかったとはいえないのだ。それは、古代だけではなく、すべての時代にあてはまる。
では、史料というのは具体的にどういうものをさすのだろうか。まず、文字が書かれたもの(文字史料)、文書類(文献史料)は、すべて歴史研究に用いることが可能だ。古い時代では、建造物や自然の岩などに刻んだ碑文が重要になる。保存されやすく、造った者の意思が明確なため(死者の業績を記録しようとか、大勝利を後世に伝えようとか)、利用しやすいのだ。文献史料は多岐にわたる。歴史書や年代記から、個人の日記、文学作品、仕事の命令書や報告書、商売の帳簿、土地台帳、裁判の記録、税収の記録……それこそ枚挙にいとまがない。
書かれたもの以外の史料(資料)もある。考古学的な遺跡や出土物、遺物にくわえ、絵画などの芸術作品も史料になりうる。銘が入った剣や、出土した木簡など、文字の入った考古学的史料も多い。
これらの史料は、一次史料と二次史料に分けられる。一次史料というのは、同時代史料といいかえてもよい。そのときその場にいた人の生の声であって、もっとも史料的価値が高いものだ。
二次史料は後世の編纂物や回想などで、すでに当事者でない人の手や、後代の価値判断がくわえられているものである。中国や日本の「正史」や、歴史書、年代記の多くはこれにあたる。史料的価値は劣るが、無視して研究するわけにもいかない。利用には細心の注意が必要だ。
「史料批判」という言葉がある。史料の性格を把握し、信頼性をチェックして、いかにして用いるべきか検討する作業だ。どんな史料であれ、すべて信用することはできない。この史料批判こそが、近代歴史学のよってたつ基礎になる。
もう少しおつきあいしてほしい。史料批判はまず、その史料が本物かどうか確かめることからはじまる。例は少ないが、偽史料というのは実際に存在して、「ユダヤ議定書」や「竹内文書」などの事件が知られている。記憶に新しい旧石器捏造事件もその一種だ。次に、その外形と来歴を確認する。信頼できる校訂本が出版されていれば問題ないが、写本であれば、途中で異同が生じている恐れがある。
いよいよ内容の検討だ。あらゆる文献史料は、何らかの意図のもとに書かれている(落書きにだって理由がある)。その意図が「事実の記録」であれば、信用してもいい。ただし、これは土地台帳とか帳簿とか、単なるデータにすぎない場合が多い。日記とか歴史書になると、より綿密な検証が必要になる。書いたのは誰でどういう立場にあるのか、書かれたのはいつか、発表されたのはいつか、それらの情報をふまえたうえで、内容の真偽や誇張のほどを判断する。
たとえば、暴虐な君主が統治する時代に、政治を非難するような本は発表できないだろう。国家編纂物には政治的意図が混じるし、年代記などでは過去を賛美することが多い。日記や自伝では、自己を美化したり卑下したりする。これらは真偽はもちろん、何を書いて何を書かないかにも影響してくる。
こう説明してくると、何もかも信用できないように思われるかもしれない。事実、ひとつの史料で史実を確定させることは難しい。史料批判をおこなったら、複数の史料をつきあわせていくことになる。
異なった系統の複数の史料が一致すれば、確かさは増し、史実とみなせるようになる。史料がたくさんある時代や地域では、他国の史料とつきあわせるとよい。古代では、文献史料の記述が遺跡発掘の成果で裏付けされる、というのがよくあるパターンだ。
誰も伝説だと思っていたトロイが実在を証明されたり、大げさだと思われていた始皇帝陵に関する『史記』の記述が真実とみとめられたり、と、考古学的発見は、鮮やかに認識を改めてくれる。
歴史家の仕事は「解釈」
史実を確定させても、そこで終わりではない。むしろ歴史家の仕事はそこからはじまる。重要なのは、何が起こったのかよりも、それがどんな意味を持つかだ。史実について考察し、解釈して、歴史の文脈に正しく位置づけることが歴史家の仕事であり、歴史家にとって「歴史を描く」ということになる。近年ますます盛んになっている社会史、経済史などは、まさに事象をどう解釈するかという分野なので、歴史家のセンスが問われるといえる。
史実と解釈について、ひとつ例をあげてみよう。
鎌倉幕府の成立年代についての議論がある。以前は「いいくにつくろう鎌倉幕府」と覚えたとおり、一一九二年に成立したとされていた。現在では、一一八五年成立説が主流になりつつある。
一一九二年は源頼朝が征夷大将軍に任じられた年で、一一八五年は平氏が滅び、頼朝が軍事・警察・土地支配権を認められた(守護・地頭の設置)年だ。何年に何が起こったかという史実はもう動かない。しかし、何をもって幕府の成立とみなすかは、解釈の問題なので、様々な議論がおこなわれて、定説がくつがえることもあるのだ。成立年の議論は、幕府とは何か、というより大きな議論につながるので、簡単には決着がつかないだろう。
いや、決着をつける必要などないのだ。解釈を固定して思考を停止するより、議論をつづけたほうが理解は深まるし、その研究分野が活性化される。議論のための議論になると問題だが、つねに新説は出されるべきだし、新しい概念や史実の発見があれば、それにしたがった解釈も考えるべきだ。
では、史実が確定できない場合はどうなるだろうか。
日本の古代史などはその例だ。七世紀以前の日本史は謎だらけである。一次史料が残っていないので、二次史料の『日本書紀』に頼るしかないのだが、この史料の信憑性は高くない。七世紀の記述には大幅な曲筆の跡があるし、数百年も前の出来事が正確に伝えられていたとは考えにくいからだ。
さらに、中国の史書で裏付けられることは少なく、考古学の発見も限定的である。後者の理由は、天皇陵とみなされる遺跡の発掘が許可されないためであって、何とも歯がゆいのだが、これは宮内庁の意識が変わるのを待つしかない。
ただ、史料が乏しいのは必ずしも悪いことばかりではない。独自の解釈をする余地は多分にあるし、端から見ているといろいろな奇説珍説があふれていて楽しい。なかにはかなり説得力を持った説もある。
こう言うと、心配になる人もいるかもしれない。日本史の教科書に書いてあることは噓なのか、史実とは言えないことを教えていいのか、と。
個人的には、別にかまわないと思う。明らかな噓を教えるのはよくないが、確からしいことや有力な説のひとつを教えるのに、目くじらをたてるのは潔癖すぎるだろう。歴史教育の目的は唯一無二の知識を与えることではない。
だいいち、教科書に載っていることが全部正しかったら、大人になってから、教科書が間違っていることに気づく楽しみがなくなってしまうではないか。
作家の仕事は「解釈」と「解決」
ホメロスの時代、ヒストリーとストーリーの区別はなかった。史料を批判的に分析して、客観的な事実を伝えようという歴史家は近代以前にもいたが、決して主流ではない。歴史書で伝えようとする内容は、多くの場合、物語に近かった。ある国なり民族なりがどうやって生まれ、広がり、今に至ったか。もともとが伝承、神話、伝説だ。足りないところは想像力で補う。読んで頭に入りやすいように、話を創る。昔の歴史書はいまの歴史小説に似ている。
最後に、作家の仕事についても私見を述べたい。
歴史家に比べれば、作家の仕事は自由度が高い。史実にこだわる必要はなく、極論を言えば、史実と結末を変えることだってできるし、登場人物をみんな女性にすることもできる。そうした作品にも需要はあるだろう。
しかし、歴史小説好きの読者の多くが望んでいるのは、史実をふまえたうえで、大胆な解釈を披露したり、あまり知られていなかった人物の魅力を引き出したり、あるいは好きな人物をとことん格好良く描いたりする作品だと思う。そこでは、歴史書や史料に描かれていない部分が重要になってくる。
史料に描かれてない部分といえば、たとえば英雄の幼少期や陰謀の真相などもそのひとつだが、最たるものは人物の心情である。
何を思っていたかというのは、推測はできても断定はできない。歴史家の扱う領域ではなく、作家の扱う領域なのだ。
本能寺の変を描いた小説が多いのは、明智光秀の謀叛の理由という謎が、本人の心情に行きつくからである。いくら客観的な証拠を積みあげたところで、誰もが納得する結論は出ない。その意味で、光秀謀叛の謎を解くのは、歴史家ではなくて、作家の仕事になる。そして作品の数だけ、答えがあっていい。
そう、「謎を解く」というのも、歴史小説の醍醐味のひとつだ。歴史上には、「邪馬台国」のように、史料の不足から、歴史家が解決できない謎がたくさんある。
断片的な史実をもとに想像力を働かせ、こうした謎に対して小説的解決をつける。作家が描いた全体図に、史実のピースがぴたりとはまっていくのは痛快だ。書いていても楽しいし(苦しいときもあるが)、読んでも楽しいと思う。
史実は架空の話のように、架空の話は史実のように
よく議論になるのは、どこまで調べるべきか、史実の改変は許されるのか、という問題である。もちろん、決まった答えなどない。作品の性格や、読者の嗜好などから、作者が判断すればよい話だ。個人的には、あまり瑣事にこだわりたくはない。
極端な例を言えば、日にちがわかれば月の満ち欠けはすぐに調べられるし(陰暦ならそのままだ)、江戸時代などであれば、その日の天気もわかっていることが多い。だからといって、史実通りじゃないと駄目だ、というのはナンセンスだろう。仇討ちの夜にはやはり雪が降っていてほしい。せっかく小説なのだから、場面に一番ふさわしい背景を描くべきだ。
私は、史実は架空の話のように、架空の話は史実のように、描きたいと思っている。騙したいというわけではない。もとになった史実と虚構が一体になってはじめて、小説になるのだと考えるからだ。
そういえば、歴史小説を史実と思いこんでいる人が多い、といった苦言もよく聞く。それだけよくできた小説だということだ。
これもまた、あまり目くじらを立てることではないように思う。正確な歴史を知ってほしいのは確かだが、それ以上に、歴史を好きでいてほしいからだ。
いま現在、史実とみなされていることでも、もとは誰かが創った物語かもしれない。
有名な例をあげると、明を滅ぼした李自成を支えた李巌は教科書に載るほどの重要人物であったが、後に架空の人物であることが判明した(203ページ参照)。二次史料が参照した史料のなかに小説や説話が混じっていたため、史実とフィクションが混同されていたのである。
近代歴史学は実証主義にたって、多くのフィクションを排してきたが、おそらくまだ充分ではない。歴史と物語は根っこのところでつながっており、簡単に分離できるものではないのだ。
最後になるが、本書のなかに、ひとりだけ架空の人物をまぎれこませておいた。……というネタをやろうと思ったのだが、良識ある方々に止められてしまった。なので、とりあげたのはみな実在の人物である。
いまのところは。
歴史はやっぱり役に立つのか、立たないのか?
最後に、「星海社新書」のコンセプトである「武器としての教養」について考えてみよう。歴史を学ぶ、そして教養として身につけることに、どんな意味があるだろうか。
本書を読んだみなさんは気づいていよう。
歴史は繰りかえす。
農民反乱で建てられた国はすぐに滅びるし、革命は成功した瞬間から仲間割れがはじまるし、粛清するのは成りあがり者だし、名君でありつづけるのは難しい。
この前提からは相反するふたつの結論が導ける。すなわち、繰りかえすのだから、歴史を学んで未来に生かさなければならない。いや、どうせ繰りかえすのだから、学んだって仕方ない。
性格の悪い人は言うだろう。
「歴史を学ぶのは、繰りかえしたときに、『やっぱり』って言うためだ」
しかし、それでは身も蓋もないので、少しまじめに主張してみよう。歴史を学んでも役に立たない、などということになったら、私も困る。
まず、単純な知識として、基本的な歴史、とくに日本史は押さえておくべきだろう。たとえば、外国からの客人を案内して皇居に行ったとき、そこが江戸城であったことを説明したいではないか。一万円札を出して、この人は誰、と聞かれたら、よどみなく答えたいではないか。
しかし、教養、とくに「武器としての教養」と言ったとき、それは単なる知識にとどまらない。教養は思考のための土台であり、換言すれば、考える力である。いまでは少なくなってしまったが、大学によっては専門に進む前に教養課程をおいている。専門分野を深く学ぶ前に、土台をかためるためだ。
この点に立つと、歴史はまさに必須の教養といえる。歴史は人類の営みの蓄積であって、人間の心理や行動のパターン、社会のあり方やその変遷を鮮やかにしめしている。現代の経済や社会問題、あるいは個人の人生を考えるうえで、歴史という土台があるかないかは、大きなちがいになる。
たとえば、エジプトの民主化運動のニュースを見たとき、古代エジプトからはじまってローマ時代、イスラーム時代を経て、ナセルに至る歴史の流れを知っていれば、受けとる印象がちがってくるだろう。また、現代の欧米中心の世界が、ほんの二百年ほどしかつづいていないことを知れば、より相対的な見方ができるようになるだろう。
心得ておくべきは、教養はあくまで土台なので、それをもとに思考を積みあげなければ意味がないということだ。歴史も役立てようと思ったら、知っているだけではなくて、考えなければならない。
と、書きながら、私はお酒の効能を主張しているような気持ちになっている。お酒の効能というのはたいてい言い訳であって、酒飲みは飲みたいから飲むものだ。
結局、歴史は楽しんで、おもしろがってほしいと思う。そのうえで、何かの拍子に役に立ったり、思考に深みを与えたりしてくれたら、これほどうれしいことはない。
二〇一一年九月 少しひねくれた歴史小説家 小前亮