僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?
木暮太一
マルクスと金持ち父さんが教えてくれた?目指すべき働き方?私は、大学時代に経済学の古典『資本論』と、お金の哲学を扱った世界的ベストセラー『金持ち父さん貧乏父さん』を深く読み込むことで、その後の人生が大きく変わりました。実はこの2冊は全く同じことを言っています。それは、資本主義経済の中で私たち?労働者?が必然的に置かれている状況についてであり、そこから考え始めることで、どういう「働き方」を選択すればラットレースに巻き込まれず、幸せに暮らしていけるかがよくわかるのです。今の働き方に疑問を持っているのであれば、転職や独立、ワークライフバランスを考えても意味はありません。しんどい働き方は、もっと根本的なところから考え、変えていかないといけないのです。
はじめに しんどい働き方は根本から変えていこう
みなさんは、いまの自分の働き方に満足していますか?
みなさんは、いまのその働き方をずっと続けていきたいと思っていますか?
そう聞かれて、力強く頷ける人は少ないのではないでしょうか。
昨今、いまの日本の「しんどい働き方」について、疑問を投げかける声が増えてきたように思います。
働いても働いても一向に給料は上がらないし、どんどん仕事の量が増えて、忙しくなってきているような感じもします。滅私奉公的なサービス残業は相変わらずあたりまえだし、土日もがんばって働かないとノルマを達成できません。
まるでラットレースです。
いくら全力で走っても、一向に前には進めないのです。
生活が苦しいので夫婦共働きを選択すると、今度は子どもを生み育てるのが大変になってきます。
「ワークライフバランス」や「残業ゼロ」などといった言葉をよく見かけるようになりましたが、裏を返せば、それが全然できていないということです。
一部の若い人からは「働いたら負け」という声まであがってくるようになりました。
なぜ、わたしたちの働き方はこんなにもしんどいのか?
なぜ、社会や経済は十分豊かになったのに、働き方は豊かにならないのか?
どうすれば、「しんどい働き方」から抜け出せるのか?
じつはその答えは、資本主義経済の構造・仕組みを理解しなければ導き出すことができません。なぜなら、いくら会社や仕事をかえても、現代の日本にいるかぎり資本主義経済からは逃れられないからです。
他社に移っても、しんどい働き方自体は変わりません。
もちろん、転職や独立、ライフワークバランスや仕事の業務改善を考えることも大切ですが、それでは根本的な問題解決にはならないでしょう。
多少、ラクになるくらいです。場合によっては、もっとしんどくなることも考えられます。
そうではなく、資本主義経済の本質的なルールを熟知して、そのルールのなかでうまくやっていく方法を模索していく必要があるのです。
それがわかれば、いまと同じ会社、同じ仕事であっても、「しんどい働き方」から「幸せな働き方」に変えていくことができるようになるかもしれません。
ラットレースから逃れることもできるかもしれないのです。
わたしは、大学時代に経済学の古典『資本論』と、お金の哲学を扱った大ベストセラー『金持ち父さん貧乏父さん』の2冊を深く読み込むことで、その後の人生が大きく変わりました。
この一見なんの共通性もない2冊の本が、じつはまったく同じことを言っていることに気づいたからです。
それはいったいどういうことか、説明しましょう。
『資本論』は、19世紀のドイツ人経済学者カール・マルクスが書いた経済学の古典です。実際にちゃんと読んだことはなくても、名前だけは聞いたことがあるという人は多いのではないでしょうか。
一方の『金持ち父さん貧乏父さん』は、ハワイ在住の投資家ロバート・キヨサキが書いた資産運用についての本です。
真面目に働き、高給取りになったものの、最終的には貧乏になってしまった「貧乏父さん(実の父)」と、自分が働くのではなく、自分のお金を働かせることを追求して、最終的に莫大な富を築いた「金持ち父さん(著者の幼なじみの父)」。
この2人の「父さん」の働き方、考え方を比較しながら、「お金持ちになるためには、何をすればいいか?」を説いています。
この本は、1997年にアメリカで発売され、世界的ベストセラーとなりました。
日本でもシリーズで300万部以上売れたそうですし、いまでもずっと売れ続けているといいます。
どちらも世界的に有名な本です。
そして一見、2冊の本にはまったく関連がないように見えます。
『資本論』は、資本主義経済の限界と目指すべき共産主義思想について説いたカタい本ですし、一方の『金持ち父さん貧乏父さん』は、どうすれば「ラクに」お金を儲けることができるか、という「ザ・資本主義」のような本です。
しかし、大学生だったわたしは「この2冊の本が言いたいことは本質的に同じではないか?」と感じ取りました。
どこが「同じ」かというと、じつは2冊の本はともに、資本主義経済の本質的な構造・仕組みと、そのなかで働く労働者たちが必然的に置かれる状況について、深く分析を行っていたのです。
企業で働く労働者はどのような立場に置かれているのか?
労働者が「がんばる」とは、どういうことなのか?
どうして労働者は、働いても働いても貧しいままなのか?
これらの問いに対してカール・マルクスが出した結論は、「資本主義経済のなかでは、労働者は搾取され続ける。豊かになれない。だから、共産主義経済に移行しなければいけない。労働者よ、団結せよ! 革命を起こせ!」でした。
一方のロバート・キヨサキが出した結論は、「資本主義経済のなかでは、労働者はラットレースに巻き込まれて、豊かになることができない。だから、自分の労働と時間を切り売りするのではなく、不労所得を得なければならない。不動産投資や株式投資を行って資産を作ろう!」でした。
カール・マルクス、ロバート・キヨサキの両氏が「解決策」として提示した内容はまったく異なります。
一方は革命、一方は投資です。
しかし、「資本主義経済のなかでは労働者は豊かになれない」という主張の前提の部分は、まったく共通していたのです。
わたしはこの2冊の本を読んで、資本主義経済の前提条件を十分に理解したうえで「自分の働き方」について考えていかないと、いつまで経っても「目指すべき幸せな働き方」には近づけないことを深く理解しました。
仕事のやり方やノウハウを教えてくれる人はいくらでもいますが、会社選びでも仕事選びでもなく、根本的な「働き方」について教えてくれる人はほとんどいません。
わたしにとっては、マルクスと金持ち父さんが先生でした。
この2冊に出会っていなければ、いまも毎日しんどい思いをしながら、我慢して働き続けていたと思います。
いつか楽になることを夢見ながら、今日も終電で帰宅していたはずです。
現代のビジネスパーソンは、就職活動以降、自分の働き方について真剣に考える機会がほとんどありません。
もちろん、もっと良い条件を求めて転職を考える人はいるでしょう。
しかし、大きな病気や事故、災害などを経験しなければ、自分の働き方、そして生き方を根本から見つめ直すことは、ほとんどないのではないでしょうか。
いろいろと深く考える機会があったとしても、「どうしてこんなにしんどいのか」「どうすれば状況を改善できるのか」という問題に一向に答えが出せず、結局もとの日常に戻っていってしまいます。
仕事に関して抱えている具体的な悩みは、ひとそれぞれ違うでしょう。
しかし、その悩みの根本には、共通の原因があります。
もはや個別の企業や仕事ではなく、資本主義経済自体に問題があるのです。
おそらくほとんどの方が、この「根底」にある問題に気づかず、表面に表れている企業の問題、職種の問題に目を奪われていたことでしょう。
だから、何年悩んでも解決策が見い出せなかったのです。
本書では、いちばん重要でありながら、これまで誰も教えてくれなかった資本主義経済における「目指すべき働き方」について解説していきます。
大学時代にわたしが『資本論』と『金持ち父さん貧乏父さん』の2冊から「気づき」を得て、その後、サラリーマン生活の10年をかけて追究・実践してきた知見を1冊に凝縮しました。
前半では、マルクスの『資本論』をベースに、資本主義経済の構造・仕組みと、労働者の置かれている状況について順番に述べていきます。
『資本論』に触れたことのない方にとっては少しショッキングな内容かもしれませんが、わたしたちが今どういう世界に生きているのかを知ることから、思考をスタートさせなければなりません。
後半では、資本主義経済で働くわたしたち労働者がどのような働き方、そして生き方を目指していくべきかを具体的に説明していきます。
この部分は、『資本論』と『金持ち父さん貧乏父さん』の両方の視点を取り入れた、わたしなりのアイデアになります。
いまの働き方に疑問を持っているのであえば、転職や独立、ワークライフバランスを考えてもあまり意味はありません。
しんどい働き方は、もっと根本的なところから考え、変えていかないといけないのです―。
第1章 僕たちの「給料」は、なぜその金額なのか?
あなたは自分の「給料」に満足していますか?
まずはじめに、みなさんの「給料」について質問があります。
会社員の方は、ぜひ自分の給与明細を見ながらお答えください。
質問
- あなたは、自分がもらっている「給料の金額」に満足していますか?
- その金額は、あなたが行っている仕事内容に対して「妥当」な額ですか?
こう聞かれると、「給料が少ない!」「自分はもっともらってもいいはず」と感じる方も多いのではないでしょうか。
そしてまた、「もっと給料を上げたい」と思って、そのための努力をされている方もたくさんいると思います。自分を向上させようとがんばることは大事なことですし、そのために努力する姿は素晴らしいと思います。
ただしその前に、再度みなさんに質問があります。
質問
- あなたは、自分の「給料の金額」がどうやって決まっているのか、ご存じですか?
- 給与明細を見て、なぜその金額をもらっているのか、「論理的に説明」できますか?
- 「もっともらってもいいはず」と感じる方は、では論理的にいくらが「正しい金額」だと思いますか?
これらの質問にすぐに答えられる方は、あまりいないでしょう。
なぜなら、誰もこんなことは教えてくれないからです。
もちろん、学校では習いませんし、会社の「新入社員研修」で教わることもありません。それどころか、経営者や人事部でさえ、必ずしも明確に意図してみなさんの給料額を決めているわけではないのです。
みんななんとなく、慣例的に「ある方式」に従って給料を決めています。
その方式とは何か?
答えは「経済学」が教えてくれます。経済学とは、社会全般の経済活動を分析する学問であり、そのなかには当然、企業と労働者間の取引(雇用し、給料を払う)も含まれています。
つまり、経済学の分析を知ることで、わたしたちの給料がどうやって決まっているのかを、論理的に知ることができるのです。
それはいったい、どんなものなのか?
これからじっくり時間をかけて、一からお話ししていきたいと思います。
給料の決まり方には2種類ある
経済学的に考えると、給料の決まり方には、
- ① 必要経費方式
- ② 利益分け前方式(成果報酬方式)
の2種類があります。
この①と②はまったくの「別モノ」なのですが、よく混同されています。どこがどう違うのか、順番に説明していきましょう。
①の方式を採用しているのが、主に伝統的な日本企業です。
日本企業では、その社員を家族として考え、その家族が生活できる分のお金を給料として支払っています。
これが、「必要経費方式」という考え方です。
家庭における「お父さんのお小遣い」をイメージしてください。それと考え方がよく似ています。
お父さんは毎日、お昼ごはんを食べなければいけないので、500円×20日(出勤日数)分。たまに同僚と飲みに行くだろうから、3000円×2回分。ときには好きな雑誌も買いたいだろうから、400円×4冊分……。
こんな感じで、月にだいたい必要な「経費」(家庭の「外」で使うお金)を積み上げて、お父さんのお小遣いの金額を決めている家庭は多いのではないでしょうか。
実は、日本企業の社員への給料も、同じように「経費の積み上げ」によって決まっています。社員という家族が生活するのに必要なお金を算出して、その分を支払っているのです。
具体的にどうやってその金額を決めているかについては、のちほど詳しく見ていきましょう。
まずここで押さえてほしいのは、
- 必要経費方式では、生活に必要なお金しかもらえない
ということです。
給与体系がこのような考えに基づいていると、「その社員がいくら稼いだか」「いくら会社に利益をもたらしたか」などの成果・業績と給料は無関係になります。
どんなに会社に利益をもたらしても、基本的に給料は変わらないのです。
これは、給料が増えてもお小遣いを増やしてもらえないお父さんに似ています。「いくら家族に利益をもたらしたか」は、お小遣いの金額とは関係ないのです。
成果に応じて給料を払うやり方
こういった「必要経費方式」に対して、②の「利益分け前方式」を採用している会社があります。外資系金融機関や、歩合制で給料が決まる会社です。
そこでは「利益分け前方式」という名の通り、自分が稼ぎ出した利益の一部を給料としてもらう考え方が基本です。
考え方としては、こちらのほうがシンプルで、公平・明瞭でしょう。
ただし、この方式では、自分が利益をあげられなければ給料は減ります。「一生懸命がんばった」とか「あともう少しで成功できた」などといったことは、まったく考慮してもらえません。給料が下がって「こんなんじゃ生活できなくなる」と言っても、「では辞めますか?」と聞かれるだけで、給料が上がることはないのです。
「利益分け前方式」における給料の基準は、社員のあげた成果・業績であり、会社にもたらした利益です。それ以外の要素は関係ありません。
最近、日本企業でも「成果主義」を取り入れるケースが増えてきています。そのため、①と②の区別はないと感じている人もいるかもしれません。
しかし、それは大きな間違いです。
日本企業が採用している成果主義は、「必要経費方式の一環」として採用されていることが多く、もともと「②利益分け前方式(成果報酬方式)」を採用している外資系金融機関などとは根本的に考え方が異なります。
日本型成果主義の多くは、成果に応じて「多少のプラスアルファ」をもともとの給料に上乗せしている(もしくは、成果をあげられない場合は多少減らされる)だけであって、「利益分け前方式」のように、その社員があげた成果に100%応じて給料を支払っているわけではありません。
その証拠に、2倍の業績を達成しても、給料は2倍にはならないはずです。
査定でプラス評価をされて、出世が少し早くなったり、ベースの給料がちょっと上がるだけでしょう。
決して、利益(成果)が「分け前」として分配されるわけではないのです。
どうすれば給料を上げることができるのか?
さて、以上のように「給料の決まり方」について見ていくと、日本の企業に勤めている多くの方は、①の「必要経費方式」で働いていることに気がつきます。
では、ここであらためてみなさんに質問をしたいと思います。
質問
- 給与明細を見て、なぜその金額をもらっているのか、「論理的に説明」できますか?質問>
- 「もっともらってもいいはず」と感じる方は、では論理的にいくらが「正しい金額」だと思いますか?質問>
- さらに、どのような「努力」をすれば、自分の給料を上げることができますか? 質問>
いかがでしょう?
ここでは、特に最後の質問に注目してください。
どうすれば給料を上げることができるのか―これは、労働者なら誰にとっても気になるテーマでしょう。億万長者にはなれなくても、お金の心配をすることなく「余裕のある暮らし」をしたいというのは、わたしを含め、みんなが思うことです。
がんばって努力すれば、給料は上がる
成果をあげれば、給料は上がる
みなさんはそう思われているかもしれませんが、それは正しい答えではありません。
多くの人が働いている日本企業(=必要経費方式の会社)においては、さきほど述べたように「どんなに努力して会社に利益をもたらしても、基本的に給料は変わらない」からです。
では、具体的にどうすればいいのか?
どうすれば給料が上がって、余裕のある暮らしを送れるようになるのか?
そのカギは、「必要経費方式」の仕組みをもっと根本から理解することにありました。
ここで、ちょっとまた別の角度から、「給料」というものについてみなさんと一緒に考えていきたいと思います。
年収1000万円でも、生活に余裕がない?
昨今、生活に余裕がない人が増えている印象を受けます。
「あなたの生活に余裕はありますか?」
こう聞くと、ほとんどの方は「NO」と答えるでしょう。
ここで非常に興味深いのは、あらゆる年収層で「生活に余裕がない」と感じている方がいるということです。
年収100万円の人が「生活に余裕がない」というのは、誰でも納得できるでしょう。親のスネでもかじっていないかぎり、誰が見ても生活に余裕がなさそうです。
ところが現実には、年収1000万円のお金持ちの人も「生活に余裕がない」と感じています。
たとえば以前、インターネットのサイトに「年収1000万円だと楽な生活ができますか?」という質問が投稿されていたのを目にしました。実際に1000万円近くの給料をもらっている十数人が回答していましたが、そのうちの多くは「切羽詰まっているわけではないが、とても余裕はない」と答えていました。
また、わたしの友人にも何人か年収1000万円を稼いでいる人がいますが、彼らも「なぜか余裕がないんだよ」と愚痴っていました。
年収1000万円でも「生活に余裕がない」のです。
これはいったい、どういうことなのでしょうか? 年収100万円の人から見れば、「どんな贅沢を言っているのか?」と言いたくもなるでしょう。
ですが、これは年収1000万円の人が贅沢を言っているわけでも、わがままなわけでもありません。年収1000万円でも「生活に余裕がない」ことが、論理的にありえるのです。
なぜそういうことが起こるのか、順番に説明していきたいと思います。
「収入が増えれば裕福になる」という幻想
まず、
- 給料が安くて、生活に余裕がない
という状況から、あらためて見ていきましょう。
これは容易に想像できる状況でしょう。
日本人の平均可処分所得(給料から税金や社会保険料などを引いた、実際に自由に使える金額)は、1997年をピークに下がり続けています。「デフレ」と言われるようになって久しいですが、「年収300万円時代」どころか、近い将来「年収100万円時代」になってもおかしくはなさそうです。
年収100万円といえば、月収では8万円ちょっとです。そんな状態では、生活に余裕など生まれるはずがありません。
少し前に「ワーキングプア」という言葉が流行りました。働いているのに「プア(貧乏)」なのです。かつて石川啄木が「はたらけど はたらけど猶わが生活楽にならざり ぢっと手を見る」という歌を詠みましたが、まさにその世界でしょう。
働いても働いても、一向に暮らしが楽にならないのです。
ではつぎに、
- 給料は高いのに、生活に余裕がない
という、「おかしな状況」について見ていきましょう。
給料が絶対的に少ないので生活に余裕がない、というのは誰もが納得できます。しかし一方で、世間的には「高給取り」と思われている人たちも「生活に余裕がない」と感じています。
高額の給料をもらっている人は生活に余裕があるのかと思いきや、そうではないようなのです。
「お金は、いくらあっても足りない」
「給料が入ってくるのに、いつの間にか貯金がなくなっている」
そういうコメントを聞いたことがあるでしょう。そう聞くたびにみなさんは「お金にルーズな人だな」「金遣いが荒いんだな」と思っていたかもしれません。
では、そう言っている人が実際にお金にルーズだったり、金遣いが荒かったりした現場を見たことがありますか?
もしくは、他人に大盤振る舞いしているところを目撃したことがありますか?
おそらく、ないはずです(もちろん、なかにはそういう人もいるかもしれませんが、ごく少数でしょう)。
給料が高くても生活に余裕がないのは、「金遣いが荒いから」ではありません。
自分ではそれほど無駄遣いをしているつもりはないでしょう。ましてや大盤振る舞いなど、「絶対にしていない」と感じているはずです。
でも、月末が近づくとお金がなくなっており、「来月は切り詰めなければ……」となってしまうのです。
「そんなはずはない、どこかで必ず贅沢をしているはずだ!」
そう思う方は、自分自身の生活を振り返ってみてください。学生のときと比べて収入は何倍になっていますか?
大学生がアルバイトで稼ぐお金は平均で年30万円だそうです。一方で、社会人の平均年収は400万円くらいです。単純に比較すると、日本人は学生のときと比べて10倍以上稼いでいることになります。
働き始めて数年も経てば、学生時代のアルバイト代の20倍以上を稼ぐ人も出てくるでしょう。
学生のとき、「月々あと数万円あれば、かなりいい暮らしができるのに」と思いませんでしたか? そしてその「あと数万円」は、現在手にしていませんか?
ところが、いまだに「月々あと○○万円あれば、かなりいい暮らしができるのに」と感じているのではないでしょうか?
学生時代に比べると何倍も「裕福」になったにもかかわらず、依然として生活が苦しいのです。まさに「給料は高いのに、生活に余裕がない」状態です。
これはみなさんだけではありません。多くの方が同じように、学生時代と比べて金銭的に裕福になっているにもかかわらず、現在の生活に余裕を感じていないのです。
転職しても問題は解決しない
生活に余裕がないことを自分の会社のせいだと考える人もいます。そういう人は「うちの会社の給料が安いからだ」「違う会社に転職すれば、生活が楽になる」と考えています。
しかし、実際はそうではありません。
もちろん、いわゆる「ブラック企業」に勤めている場合は、超長時間労働、超低賃金のために、生活に余裕を感じることもないでしょう。ですが、一般的な企業に勤めている人が生活に余裕を感じられないのは、その企業が原因ではないのです。
転職を斡旋する会社が「年収800万円以上の求人案件あります!」などといった広告を出しているのを、よく見かけます。仕事の内容ではなく、年収を前面に打ち出しているわけです。
この広告の裏メッセージは「これだけの収入があったらいいでしょう? いい生活ができますよ? 人生に余裕も生まれますよ」です。そう言われると「そんなにいい収入が得られるんだったら……」と感じ、応募する人も多いでしょう。
当人は、それで自分の生活が変わると思って応募するわけですが、残念ながら現実的にはそうはなりません。
実際、かつてわたしが会社員だった時代に同じ会社で働いていた同僚も、「隣の青い芝生」を見て転職していきましたが、数年後、また同じ不満を抱えて再び別の会社に転職しました。その後も「理想の条件」を求めて転職をくり返し、結局いまだにたどりつけていないようです。
そして、先日久しぶりに会ったときは「不景気な日本経済が悪い」と愚痴っていました。
おそらく彼は、これからも不満を抱えながら、愚痴りながら、転職をくり返すはずです。ですが、考え方を根本から変えないかぎり、一生「理想の条件」の会社に就職することはできないでしょう。
なぜなら、問題の本質は、個別のA社、B社、C社の給与体系や条件にあるわけではないからです。一見、条件が良さそうに見える同業他社に転職しても、本質的には何も解決しないのです。
もっと根本に流れている「理屈」を理解し、そのうえで対処法を考えなければ、課題は解決されません。
わたしたちが生活に余裕を感じられないのは、「わたしたち自身の働き方」と「給料の構造」、さらには人間の「満足感の本質」にありました。これらのことを知らずに、いくら熱心に仕事に取り組んだとしても、問題は一向に解決しないのです。
「働き方」「給料の構造」と聞くと、どうしても人事論や組織論をイメージしてしまいがちですが、これはまったく違う話です。その前提にある、もっと本質的な「資本主義経済の構造・仕組み」の話になります。
それは、日本の企業が「暗黙の前提」として持っている構造なのです。
給料は、そもそも努力や成果をベースに決まっているわけではない
「なぜ、こんなにがんばったのに、給料が大して上がらないのか?」
「なぜ、こんなに成果をあげたのに、給料が大して上がらないのか?」
そう考えて、「うちの会社は自分を評価してくれない」とか「労働者は搾取されている」と考える人がいます。
また、マスコミが「貧困問題」を取り上げる際にも、「こんなにがんばっているのに、給料が少ない。この人は社会からイジメられている可哀想な人だ」というような描写をすることがありますが、そう描く背景には、「がんばったら給料が高くなるはず」という思い込みがあります。
また一方で、「自分は会社に対してこれだけ貢献しているのに、まったく成果を出していない同僚と同じ給料だなんて納得できない」などという不満を口にする人がいます。そういう人は、「成果を出したら給料が高くなるはずだ」と考えています。
しかし、こうした考えは大きな間違いであり、勘違いです。
すでに少し述べましたが、日本の企業において給料は「努力」や「成果」に応じて決まっているわけではないからです。
給料の金額は、「努力の量」によって決まっているわけではありません。ですから、「あの人はがんばっているのに給料が少ない」という問題提起は的外れです。
給料の金額は、「成果」によって決まっているわけでもありません。ですから仮に「自分が成果を出していて、同僚が成果を出していない」という主張が事実だったとしても、「それとこれとは別の話」なのです。
これはいったい、どういうことでしょうか?
このようにお伝えしても、まだ多くの読者の方は納得することができないでしょう。
みなさんは「がんばったら給料が上がる」「成果を出したら給料が上がる」と考えているし、また会社からもそのように言われてきたからです。
前置きがずいぶんと長くなりましたが、この章では「労働者の給料がどのように決まっているのか?」という問題について、資本主義経済の本質から解き明かしていきます。
「給料の構造」は、いくら企業の組織論や人事論に詳しくなったとしても、理解することはできません。もっと本源的な「資本主義経済の本質」「商品とは何か?」「商品の価値はどのように決まるのか?」といったことがわからないと、「給料とは何か?」という質問には答えられないのです。