キヨミズ准教授の法学入門

木村草太

「ほら、これが法的三段論法ですね。美しいでしょう」「えっ? あ、はい・・・」山の上の高校に通う2年生の僕は、放課後に寄り道した喫茶店「赤ひげ小人」で、近所にある港湾大学のキヨミズ准教授と出会う。大学で「受講生0人の法学入門」を受け持つ少しヘンなその先生は、お願いもしてないのに、法的思考のすばらしさを高校生相手に嬉々として語り出して――。「高度な内容を分かりやすく」を信条に首都大学東京で教鞭をとる若手憲法学者の木村草太准教授が、進路に迷う高校生や法学に拒絶反応を示す文学部生にも分かるように、物語の手法を用いて生き生きと、そして最高に面白く語る「日本一敷居の低い法学入門」誕生!

Prologue
疲れる通学路から始まる物語

駅を出て、山を登る。それから、谷を下り、再び山を登る。これが、僕の通う高校に至る道だ。ごくひかえ目に言って、かなり疲れる通学路だ。

通学の苛酷かこくさの穴埋めなのか、カリキュラムはゆるい。僕たち2年I組は、水曜午後の授業がない。3年生になるとさらに授業は減り、月曜から金曜まで午後の授業がまったくなく、日によっては1限もない。なぜ、これほど緩いカリキュラムになったのか、については、おいおい語る(かもしれない)

僕は、4月の第2水曜日の放課後、ちょっと変わった社会人、というより、半社会人、あるいは反社会人たちに「赤ひげ小人こびと」で出会った。それがキヨミズじゅん教授とワタベ先生だった。

「赤ひげ小人」は、県立図書館のわきにある古ぼけた喫茶店だ。マスターの倉井さんは、ロボットのように生真面目きまじめで、掃除と紅茶をこよなく愛する初老の紳士である。午後1時30分、図書館に行く前にランチを食べようと店に入ると、先客がいた。めがねをかけた細身の男性で、歳は30代後半といったところだろうか。熱心にランチメニューをにらんでいる。

僕は、そのとなりのテーブルに座った。窓から通行人をながめられるこの席が、お気に入りなのだ。ランチメニューを見ていると、先客が、ふいに話しかけてきた。

今年の法学入門は受講生が0名である

「やあ、いいところにいらっしゃった。私、今、サンドイッチセットとパスタセットのどっちにしようか迷っているんです。どちらがお勧めか、教えてくれませんか?」

ずいぶん決断力のない人だ。

。どちらもおいしいですよ。好きな方、頼んだらいいじゃないですか」

「いや、そうなんですけどね、私、すごく迷いまして。あ、そうだ、一つずつ頼んで、半分こすれば万事ばんじ解決ですね」

ずいぶんなれなれしい提案である。ただ、あまりに自然な口調だったので、僕は思わず、「ええ、いいですよ」と言ってしまった。

「ありがとうございます。とてもうれしいですね」

こう言うと、彼は、「ああ、自己紹介を忘れていましたね。『きよい水』と書いて、よくシミズって呼ばれますが、読み方はキヨミズで、近所の港湾こうわん大学という大学で准教授をやっています」と言った。

「はあ。大学の先生ですか。今日は、お休みなんですか?」

僕は、何を話していいか分からず、適当に話をふってみた。

「いいえ。講義日です。3限、つまり午後1時から2時30分の講義ですね」

かなりどうかと思う発言である。今、時計は午後1時40分。これは、平気で遅刻をり返す「名物教授」という奴ではなかろうか。いぶかしそうな僕の気配を察したのか、キヨミズ准教授は、弁明を始めた。

「あ、いや、べつに、講義さぼっているんじゃないんですよ。実は、講義をやろうとして教室に行ったんですが、誰もいなくて、しばらく待っても誰も来そうにないので、意を決して教室を出てきたんですね」

「はあ。

大学では、履修りしゅうしたい授業を学生が自分で選ぶらしいが、その結果、誰も来ない授業というのが発生することもあるのか。ずいぶんな状況だ。その場合、教授はお給料を減らされたりしないんだろうか? そう思っていると、キヨミズ准教授は続けた。

「それで、図書館にでも行こうとフラフラ歩いていたら、この素敵なお店を見つけたんですね」

僕は、この先生にふと興味を持った。一人も受講生がいない講義をやる、というのは、かえってすごい気がする。

「その受講生が一人もいない講義って、なんの講義なんですか?」

「講義の名前は、『法学入門2』ですね」

「法学入門? それって、法学部の人ならみんな受けたがるんじゃないですか? なんだって、一人も受講生がいないんですか?」

キヨミズ准教授は、ちょっと困った顔をした。そして、なんとか説明しようとする。

「それは、私の講義をきっと誤解してますね。法学入門って、刑法とか民法とか独占禁止法とか著作権法とか、世の中にある法律をかいつまんで、要点教える講義だと思っていませんか? それは、私の大学だと『法学入門1=法学通論』ってやつですね。そちらは、受講生たくさんいるんです。各法律の入門的な内容をいっぺんに聞ける、魅力的な講義ですからね。法学部以外の学部の学生さんも、たくさん受講します。

でも、私が担当しているのは『法学入門2=法学原論』っていって、法の概念・法解釈の方法論・法命題の構造・法秩序論といったテーマで、抽象的な話ばかりやる講義なんですね」

。テーマを聞いただけでは、何が何やら分からない。敬遠されるのも仕方なさそうだ。そう思っていると、キヨミズ准教授は続けた。

「実は、私が学生だった頃も、この法学原論ってのは不人気でしてね。いやあ、しかし、残念だなあ」

あまり残念そうではないけれど、キヨミズ准教授は、そう言った。

マスターの倉井さんが、サンドイッチとパスタを運んできた。ハムチーズサンドにはピクルスがはさんであり、パスタはなんとナポリタンだ。古き良き日本の喫茶店は、こうでなければ。

「ああ、取り分け用のお皿をお願いします」

キヨミズ准教授が頼んだ。倉井さんは、特に不快そうな顔もせず、いつもの笑顔でそれに応じてくれた。キヨミズ准教授は、当たり前の顔をして、僕の向かいの席に移り、サンドイッチとパスタをきっちり半分に分ける。話題に困った僕は、つい失礼な質問をしてしまった。

「あのう、そんなに不人気なら、なんでそんな講義やるんですか? 『法学通論』だけにしちゃえば、いいじゃないですか?」

「ははは。もっともですねえ。でも、そういうわけにもいかないんですね。『法学原論』は、法学というものの考え方の基本の基本を教えるんですね。うーんと、そうだなあ、強い野球部を作るには、バッティングとか紅白戦みたい実践練習だけじゃなくて、走り込みとか、筋力トレーニングとかが必要でしょ。

法学原論もそんな感じで、基礎をしっかりやらないで、いきなり不動産売買の契約のやり方とか、窃盗せっとう犯をつかまえて有罪にするやり方とかを教えても、法学部生として、力がつかないんですね」

それなりに、法学原論の大事さが伝わってくる発言だ。どうやら、キヨミズ准教授は、見た目ほどは無茶苦茶な人間ではなさそうだ。いや、見た目だって、いわゆるソフトインテリで、それほど無茶苦茶じゃない。無茶苦茶なのは、いきなりサンドイッチセットとパスタセットを半分こしようとか言い出す言動だ。

「なるほど。でも、結局、受講生はゼロ名なんですよね?」

僕が聞くと、キヨミズ准教授は、走り込みの不足を指摘された投手のように、痛いところをつかれた、という顔をした。

せっかくなので「法的三段論法」について

と、そのとき、新たな客が入ってきた。「性格の悪そうなサラリーマン選手権」の日中韓三国の代表の顔を足して、3をかけたような人相にんそうの男だった。そのお客さんは、キヨミズ准教授の顔を見ると、「あっ、キヨミズさん、こんな所で会うとは意外だな。確か、今日、講義だったよね? もしかして、今年も受講者ゼロ?」と声をかけ、彼の隣に座った。

「あはは。お察しの通りです。まだ、履修登録締め切りには時間がありますが、今年も履修者がいなくて閉講へいこうかもしれませんね」

キヨミズ准教授は、笑いながら答えると、僕にそのお客さんを紹介してくれた。

「紹介します。同僚のワタベ先生です。知的財産法っていう分野で、えーっと、著作権とか特許とっきょとか、そういうのが専門の先生ですね」

すると、紹介されたワタベ先生は、「こんにちは」と僕に会釈えしゃくをして、キヨミズ准教授に聞いた。「この人、誰?」

。まっとうな疑問だ。

「このお店のお勧めメニューを教えてくれた方です。お勧めに従って、サンドイッチセットとパスタセットを半分こしたんですね」

その言い方では、僕の方から半分こを提案したようだ。誤解されなきゃいいやと思っていると、キヨミズ准教授は続けた。

「えーと、そういえば、お名前を聞いていなかったですね」

しょうがないので、僕は名乗った。「どうも、こんにちは。キタムラです。三つ隣の駅の山の上にある高校の2年生です」

「どうも。同僚がお世話になりました。この人、ちょっと変なんだよね。まあ、見れば分かるか」

そう言うとワタベ先生は、マスターにサンドイッチセットを注文した。彼はさっそく、キヨミズ准教授に突っ込みを入れる。

「ところで、あいかわらず受講生ゼロって、シラバスになんて書いたの?」

「今日の分ですか? ええと、『法的思考の構造法的三段論法・法命題・法源論』と書きましたね。せっかく新1年生も入学してきたことですし、法的三段論法について伝えねばならない、と思ったわけですね」

パネル1 法的三段論法

「法的三段論法? あー、そういえば、昔、法学入門の時間に習ったな。そんなに大事なことだっけ?」ワタベ先生は、ちょっとあきれたように言った。

「ワタベ先生。法的三段論法というのは、われわれ法律家にとって、すごく大事な論法でしょう。忘れてはいけないですね」

こう言うと、キヨミズ准教授はパネルを取り出した。授業で見せるスライドの原稿らしい。

「ほら、これが法的三段論法ですね。美しいでしょう」自画自賛だ。しかし、ワタベ先生の意見は違ったようだ。不機嫌と興味なしの間くらいの態度で、こう言った。

「これ、意味ある? 法律を勉強すれば、当たり前に身につく思考方法でしょ。なんで、こんなことわざわざ教えるの?」

「ええ、まあ、そうなんですけどね。でも、この意味するところって、結構、深いんですね」

数学を愛する人が、美しい公式を解説するような口調だった。

「そうなんですか。べつに、パッとしない思考方法に見えますけど」

と、僕。ワタベ先生は、そりゃそうだという表情で解説をうながす。

「キヨミズさん、これのどこがポイントなの?」

「そうですねえ、まず、法というのは、ある事実関係の下で、人がどのように行動すべきかを示すルールの一種ですね? 例えば、借りたお金を返さない人がいた、交通事故でけが人が出た、ものを盗んだ人がいた。そういうときには、関係者がどう行動すべきかを示す規範が必要になりますね?」

「そりゃ、必要でしょ」

ワタベ先生は、相変わらず不機嫌と興味なしの間くらいの態度だ。

「そうなんですね。でも、ルールを示す作業には、いろいろ方法があるんですよ。まあ、単純なのは、その事実関係を見て、直観的にどうすべきかを考える、という方法ですね。これは、よく『裸の価値判断』って呼ばれます。

パネル2 裸の価値判断と法的三段論法

段階を踏まずに、いきなり、その事実関係でどうすればいいかって、考えるわけですね。例えば、ひどい犯罪の報道に触れたとき、その行為が何罪にあたるのかなんて考えずに、『これ死刑だろ』とかって考えちゃうことありますよね。それが『裸の価値判断』です」

こう言うと、キヨミズ准教授は2枚目のパネルを出した。

「こうすべき、っていう価値判断が、直観だけで出てきちゃうんですね」

僕は、キヨミズ准教授のパネルを見ながら聞いてみた。

「そうですね。これに対して法的三段論法は、大前提を立てて、事実関係をそれにあてはめる、という段階を踏んで、結論を出しますね」

僕は、ふとお腹がいているのを思い出し、ナポリタンを食べた。キヨミズ准教授の話は、ちょっとだけ面白くなってきた。

法とは、一般的・抽象的な規範である

「ところで、この『裸の価値判断』って、あまりよろしくない判断だと思いませんか? 何か、こう身勝手というか、そんな感じがしますね」

確かにそうかもしれない。しかし、ワタベ先生の意見は違った。

「そうかな? ひどい犯罪を見たときに『こいつ死刑だな』とか、無茶な投資で失敗しちゃった社長を見て『全財産没収だな、こりゃ』とか。世間の人は、そういう直観って、だいたい皆一緒だと思っているんじゃない? わざわざ法的三段論法をやるわれわれ法律家の判断なんて、迂遠うえんだと思う人も多いでしょ」

身もふたもない言い方だけど、確かにそうだ。やっぱり、ワタベ先生の言うことが正しそうだ、と思っていると、キヨミズ准教授が口を開いた。

「ええ。そうかもしれませんね。でも、人間の考え方はいろいろあるわけで、なんで死刑なの? とか、全財産没収は厳しすぎない? とか言う人も、出てくるでしょう。そういう場合、『裸の価値判断』って、説得力あります?」

「説得力ないかもしれないね。じゃ、どうすればいいわけ?」

ワタベ先生の口調は、不機嫌と興味なしの二極の間から、やや不機嫌よりに移ってきた。

「そうでしょう。法的三段論法っていうのは、いろいろな考え方がある中で『こうすべきだ』って判断、つまり規範的判断を共有するためのすぐれた方法なんですね」

なるほど。でも、どういうところが優れているんだろう? そう思っていると、キヨミズ准教授が、僕の表情を読み取ったのか、話を続けた。

「あのですね、キタムラさん。法的三段論法は、具体的事実関係をひとまずおいて、冷静な視点から議論を組み立てる論法なんですね。まず、三段論法の大前提のところから考えましょうか。さっき説明したように、この大前提は、『A:人を殺した者には、B:死刑または無期もしくは5年以上の懲役を科すべきだ』というような、A:条件とB:帰結きけつの二要素からなる文章になっているわけです。この文章のA:条件の部分は『要件』、B:帰結の部分は『効果』って呼ばれますね。

パネル3 法命題とは何か?

法というのは、要件と効果のセットを示した規範のことなんですね。それを表現した命題のことを、法命題と言うんですね。法的三段論法の大前提には、この法命題というのが置かれるんですね」

こう言うと、キヨミズ准教授は法命題のパネルを出した。

見たことのない横文字が入っている。僕が、こんな英単語知らないなあ、っていう顔をしていると、キヨミズ准教授は「ああ、これ、レヒツザッツって読みます。Recht(レヒト)は法、Satz(ザッツ)が命題の意味です。ドイツ語なんですね」と解説してくれた。

「Satzは、設定されたもの、くらいの意味だよね。『文章』とか『定式』って訳してもいいと思うんだけど、なんでまた、Rechtssatzは、法文とか法定式じゃなくて、法命題って訳すわけ?」

ワタベ先生が聞いた。法学者は、ドイツ語が理解できるらしい

「本当に妥当だとうしている法かどうかを、問題にする余地があるからですね。それがしんかという検証の対象になる言説げんせつのことを命題と言いますが、法的三段論法の大前提に置かれる法についても、その妥当性を検証する余地があるんですよ。だから、今お話ししている文脈では、法命題と訳すのがいいと思いますね」

ふーむ、命題とは、検証の対象になる言説か。ちょっと話が抽象的なので、少し聞いてみた。

「法命題が検証の対象になる、というのは、具体的にはどういうことですか?」

「例えば、法的三段論法の大前提が『10円以上の現金を盗んだら死刑』みたいな無茶苦茶なものだったら、ちゃんとした結論は出てこないですよね。ですから、そういう大前提に置かれた命題を、本当に前提にしてしまっていいのか、別の命題を置かなきゃいけないんじゃないか、って考えなきゃいけない、ということですね」

ここまで話したところで、ワタベ先生にもサンドイッチとコーヒーが運ばれてきた。キヨミズ准教授は、ワタベ先生が食事を始めて大人しくなったのをいいことに、先を続けた。

「で、ここからが大事なんですけど、法というのは一般的・抽象的じゃなきゃいけない、と言われています。法的三段論法の最初に置く法命題も、一般的・抽象的な命題じゃないとダメなんですね」

「一般的・抽象的って、どういうことですか?」と僕。

「固有の対象が指示されていない、あるいは固有名詞が出てこない、あらゆる人に適用されるということですね。例えば、『キヨミズは、私の言うことをなんでも聞くべきだ』という命題は、一応、要件が『キヨミズであること』、効果が『私の言うことを聞け』という要件・効果のセット、法命題の形式はとっているわけです」

「そうですね」

「でもですね、『キヨミズ』とか『私』とか、そういう固有の指示対象をともなっている規範は、法的三段論法の大前提に置いてはいけないということになっているんです。もし、それができるなら、結局、その事案の結論をいきなり示す『裸の価値判断』と同じになってしまいますね」

「そういえば、法学を勉強すると、最初に、『法というのは一般的・抽象的な規範なんだ』って習うね」

パネル4 大前提となる法命題

ワタベ先生は、昔を思い出したようだった。

「そうですね。それは、『裸の価値判断』とは違う法的三段論法に基づく冷静な議論をするには、一般的・抽象的な命題から議論を始めなくてはいけない、という意味なんですね」

こう言うと、またキヨミズパネルが出てきた。

うーん。抽象的で、ちょっとイメージができないところもあるけど、キヨミズ准教授の言っていることにも一理いちりありそうな雰囲気だ。そう思っていると、彼は、一息ついてサンドイッチを食べ、コーヒーを飲みながら、「いやあ、ここのピクルスは絶品ですねえ」と言った。倉井さんは、「ありがとうございます」と一言いちげんして、とっくに食べ終わった僕のお皿を片付けた。

「まとめますと、『裸の価値判断』では、問題となっている具体的な事実関係を見て、いきなりこうすべき、ああすべき、と結論を出します。これに対し、法的三段論法では、いったん話を抽象化して、これと同種の事案ではどうすべきか、という議論をやるんですね。こういう手順を踏むと、冷静な視点を保てるから、みんなが納得する結論になりますね」

「そういうものかね?」

ワタベ先生は、自分は説得されていないぞ、という態度を示した。

「そういうものだと思いますね。『裸の価値判断』の何がマズいかというと、その人固有の感情や考え方が、色濃く反映されてしまうんですね。例えば、ワ

パネル5 どっちが悪い?

タベ先生、キタムラさん。お二人が、保育園の先生だったとしますね。こんな場面を想定して下さい」

こう言うと、キヨミズ准教授はまたパネルを取り出した。

「受講生ゼロのわりに、ずいぶん準備してるね」

ワタベ先生が呆れたように言った。

「ははは。もちろん、受講生ゼロの予測はしていましたが、講義の準備はきちんとしておくのがプロというものですね」

例年受講生がゼロなら、パネル以前に、受講生の数を増やそうと工夫するのがプロではないか?

「保育園でこんなことがあったら、そりゃ、何はともあれ、人に手を出してはいけないってシンキチ君に教えるよね。その上で、タツキチ君に悪口はいけないってさとすのが筋でしょ。それとさー、なんだって、保育園が舞台なの?」

ワタベ先生は、さらに呆れたように言った。僕も同感だ。

「それは、保育園の幼児クラスというのが、最もシンプルな人間社会の一例だからですね。私は、4歳の娘を保育園に通わせていまして、毎日、保育園の子どもたちを観察しているから、生き生きとした描写ができるんですね」

僕とワタベ先生は、心底呆れた顔になっていたと思う。でも、このキヨミズ准教授という人は、人に呆れられる、という事態への感受性が極端に弱いみたいだ。何事もなかったように、話を進めた。

「さて、この保育園の事案ですけどね、たぶん、このパネルに書いてあることだけから判断するなら、そんなに不公正な判断にはならないと思うんですよ。べつに、シンキチ君もタツキチ君も、どんな子なのか、書いてないですからね。

でも、リアルに考えてみると、子どもっていっても、いろいろな子どもがいますからね。例えば、タツキチ君の方は、いけかないお金持ちの息子さんで、普段からワガママ放題。朝は、『よお』とか言って登園して、工作の時間は、ハサミもノリも順番守らずに、他の子から取り上げてでも勝手に使う。当然、いつもトラブルメーカーです。食事も、魚が出るたびに『はーあ。なんでオレが、こんなマズいもん食べなきゃいけないんだよー』とか言う子どもだったとします。一方、シンキチ君は、工作やお散歩のマナーもばっちりで、お友達ともみんな仲良し。食事にお魚が出ても、実に洗練せんれんされた食べ方で、骨だけきれいに残る、というような、いつも素直な良い子だったとしましょう。さて、問題です。このパネル、タツキチ君とシンキチ君、どっちが悪いですかね?」

「「そりゃ、タツキチでしょ!」」

僕とワタベ先生は、同時に口に出してしまった。

「ね。そう思うでしょ。でもですね、やっぱり『先に手を出した方が悪い』というのが、保育園のルールというものですね」

僕とワタベ先生は、まんまとのせられてしまった。

キヨミズ准教授は、満足そうに、残っていたナポリタンを食べきった。コーヒーを飲み、そそくさとパネルをしまう。

「まあ、いま見たようにですね、事実関係から直接、『裸の価値判断』をしようとすると、個人的な感情とか、問題になっている人物の他の場面での悪行あくぎょうとか、そういうものが入り込んでしまうわけです。そうすると、他の人が理解しにくかったり、過剰な罰を科すことになったり、といった問題が生じるわけですね」

「はあ。それで、事実関係をいったん脇に置いて、抽象的なルールを立てて議論をするわけですか」

僕は、確認のひと言を言ってみた。法的三段論法というものの意義が少し分かった気がする。

パネル6 裸の価値判断と三段論法の違い

「そうです。キタムラさんは、高校生だというのに理解が早くてうれしいですね。うちの大学に来ませんか」

僕は、まだ高校2年生になったばかりだ。大学には行こうと思っているけど、まだ、文系・理系も決めていない。その上、キヨミズ准教授がいる港湾大学は、結構な難関校だ。なので、このお誘いに、少なからず戸惑いを感じてしまった。

「あのね、キヨミズさん。高校2年生にそんなこと言っても、無茶でしょ」

ワタベ先生は、また呆れた表情で言った。

「ははは。そうですね。ゆっくり考えて下さい。とにかく、法的な思考というのは、いったん一般的・抽象的な規範を立てて、冷静に議論をしてから、結論を出す、というものだ、ということですよ」

こう言って、彼はまたまたパネルを出した。

そうこうしていると、マスターの倉井さんが、食器を下げにやってきた。僕たちは、それぞれコーヒーをおかわりすることにした。倉井さんは、すごく上品にニコリと笑うと、厨房ちゅうぼうに下がっていった。このお店の常連には、この笑顔のファンがとても多いのだ。

法源と向かい合って、自分の考え方を相対化する

キヨミズ准教授が、おかわりのコーヒーを楽しんでいると、ワタベ先生が口を開いた。

「あのさ、キヨミズさんは、いったん抽象的な規範を立てて、それをあてはめて議論するのが法的思考だ、って言うけど、それって法律家特有の議論の仕方なのかな? 法律家じゃなくても、そういう考え方をする人はいると思うんだけど」

「いやあ、するどいご質問ですね。実は、一般的・抽象的な命題を大前提にした三段論法って思考方法だけなら、法学部の頭の使い方はそれほど特殊じゃないですね」

「そうだよね。『同じコストなら、GDPを増やすような経済政策をとるべきだ』っていう考えを前提にした政治家や経済学者の思考方法とか、『宵越よいごしのぜには持たねえ』っていう江戸っ子の思考方法とかも、一般的・抽象的な命題を、事実関係に適用する思考方法でしょ?」

言われてみるとそうだ。彼の顔は、妙に不機嫌そうで大人おとななく見えるけど、話を聞いていると、この人はちゃんとした先生なんだ、という気がしてくる。

「ははは。おっしゃる通りなんですね。ですから、法的三段論法は、法的思考、法律家の頭の使い方の重要な要素ですけど、それがすべてではないですね。法的思考で大事なのは、法が『法源』から導かれる、っていうとこですね」

キヨミズ准教授は、どことなく他人ひとごとな空気でしゃべる人だ。

「ほうげん?」

ワタベ先生が、なんじゃそりゃ? という顔をした。

「法のみなもとと書いて、法源です。いまワタベ先生がおっしゃった『GDPを増やせ』とか『宵越しの云々うんぬん』というのは、社会で無自覚的になんとなく共有されたものだったり、個人的な信条として選択されたものですね。これに対して、法というのは、人々が権威だと認める何かから導かれたものでなければならないんですね。法の源になる権威的存在。これが法源ですね。例えば、古き良き慣習なんかが典型です」

これを聞いて、ワタベ先生が疑問を述べた。

「慣習? 慣習から、法が導かれるの?」

「ははは。ワタベ先生は、知的財産法というすごく現代的な分野の先生ですからね。法律以外のものから法命題を導くなどということは、どうも気持ちが悪いでしょうね。でも、議会が作った法律の文書が、法源として認められるようになるのは、法の歴史の中では比較的最近なんですね」

どうやら、同じ法学部の先生でも、ワタベ先生とキヨミズ准教授とでは、だいぶ専門が違うらしい。キヨミズ准教授は、いったいなんの専門なんだろう? そう思ったけど、キヨミズ准教授の話は続いていた。

「慣習から法を導く考え方は、非常に長い伝統があるんですよ。例えば、この山では毎年春から秋の最初の満月までりょうひかえてきたという事実から、禁猟すべき期間を導くような考え方ですね」

「ふーん。他に、法源っていうと、どんなものがあるわけ?」

ワタベ先生は、やはり不機嫌そうだった。

「慣習の他には、例えば、『自然・nature』がありますね。『自然』というのは、男性は妊娠にんしんできないとか、夏の次に秋がくるとか、そういう物事に本来そなわっている性質という意味です」

うーん。なんだかちっともイメージがわかないので聞いてみた。

「自然から法を導く議論って、例えばどんな感じですか?」

「ははは。分かりにくかったかもしれませんね。例えば、親が子供の養育に責任を持つのは自然の摂理せつりだから、親には法的な養育義務がある、とか、無制限に戦争すると人間は滅亡してしまうから、戦争にもルールがある、とか。こういう自然を法源とみなして展開される議論を、自然法論と言いますね」

「ああ、そういうことを言いたいわけ」

ワタベ先生は、今度は、不機嫌と興味なしの二極のうち、興味なしよりの口調で言った。

「はい。ワタべ先生がおっしゃった法律の文書というのも、もちろん、立派な法源です。現在では、議会が作った法律だけが法源になる、と考えられているので、慣習や自然から法を導くことは、あまりないですね」

なるほど、法律の文書も法源なのか。でも、ちょっと頭がこんがらがってきたので聞いてみた。

「すいません。法律の文書って、法命題そのものという感じがするんですけど、それも法源なんですか? 」

「文書それ自体と、その意味というのは、概念としては区別できますね。法というのは、規範であって、頭の中にしかないものです。これに対して、それを表現した文書、法源としての法律文書というのは目に見えるモノですね。両者は、まぎらわしいですけど、区別すべきですね」

キヨミズ准教授がこう言うと、ワタベ先生が思い出したように言った。

「ああ、確かにそうだね。法律文書があるのに、その文書通りの法が妥当していない場合なんてのは、しょっちゅうあるな。うちの大学の教室には『飲食禁止』ってり紙が出てるけど、学生も先生も飲み物くらいは飲んでるからなあ。食べ物はさすがにやめとこうっていう空気はあるけど」

パネル7 様々な法源

なるほど。飲食禁止という法律文書があるのに、実際に妥当している法命題は食べ物禁止なのか。ここまで解説して、キヨミズ准教授はまたパネルを出してくれた。

「うーん、それにしても、なんかまどろっこしいなあ」

ワタベ先生が、声を上げた。

「なんで、法源みたいなものに頼って、思考をしなきゃいけないわけ? 要するに、エレガントで皆が納得できる法命題を示して、人を納得させればいいんでしょ。何か、権威によりかかってモノ言うのって好きじゃないなー」

僕も同感だ。わざわざ、法源なんてよく分からない存在から法を導くなんて、価値判断の方法としてはまわりくどい。すると、キヨミズ准教授が言った。

「ははは。ワタベ先生らしいご意見ですね。おっしゃること、よく分かりますよ」

分かるらしい。

「でもですね、法律家は、べつに権威によりかかるために法源を使うんじゃないんですね。まあ、そういう権威によりかかるのが好きな法律家もたくさんいますけど、それでは法律家として二流です」

意外な言い方だった。僕は、法律家というのは、権威によりかかって、堅苦しいことをぶーぶー言う人たちだと思っていたんだけれど。

「ある存在が、法源だと認められるためには、社会の多くの人が、それを権威として認めている必要がありますね。自然を創造した神への敬意がない社会では、自然は法源になりえません。慣習だって、そうです。バカみたいに前例を踏襲とうしゅうするだけの判断は、単なる責任逃れに見えますね。多くの人が合理性を感じる慣習だからこそ、法源たりうるんですね。

法源を意識し、そこから法命題を導く、というのは、法源に敬意を払い、自分の価値判断を相対化するために必要なんですね」

「は? 相対化ってどういうこと?」

ワタベ先生が聞いた。法学部の先生が分からないことなんだから、僕も当然分からない。

「そうですねえ。自分と考えが違う他人と判断を共有するには、自分のことがどれくらい相対化できているかが重要なんですね。相対化というのは、いろいろある中の一つ、として位置づけるってことですね。

例えば、『裸の価値判断』というのは、自分にとってあまりに自明じめいすぎて、なんで自分がそう考えたのか、説明することがなかなか困難ですね。さっきのタツキチ君の例だってそうです。タツキチ君が気に食わない、という価値判断をするのは簡単ですが、なんでタツキチ君が悪いと思ったのか、説明しようと思うと、なかなか難しいですね」

確かに。僕は、魚の食べ方の話を聞いて、ついシンキチ君の肩を持ってしまったけど、そもそも魚の食べ方が汚いとむかつくのはなんでだろう? キヨミズ准教授は、続けた。

「こうすべきだ、ああすべきだ、という判断は、直観的にふってくることが多いんですね。意識して吟味ぎんみしないと、その判断の理由というものは示せないんですね」

「それと、法源の話と、関係あるの?」

ワタベ先生が聞いた。

「はい。結構、関係しています。法律家は、ある事実関係で判断を示すときに、嫌でも、法源を根拠にしなきゃいけないんですね。ここで、無理やり、法源という自分とは違う存在と向き合わせられるから、法的判断というものは深みが出るんですね。法律家個人の判断を相対化するわけです」

「えっ? ちょっと甘くない? 結論は法源から導かれるんだから、法律家個人の判断が相対化される、というより、無視される、ってことにならない? 例えば、法律に死刑って書いてあったら、死刑廃止論者の裁判官でも死刑判決書くよね」

ワタベ先生の追及は、鋭い気がする。しかし、キヨミズ准教授は、落ち着き払ってコーヒーを飲み、言葉を続けた。

「確かに、法源を一見しただけでそこで適用すべき法命題が定まって、そこから自動販売機的に結論が出るかのように見えることもありますね。だから、しばしば裁判官は、自動販売機にならなきゃいけないんです。

でも、裁判官は、自動販売機的な判断と同時に、自分なりの価値判断もするはずでしょう。それと法源との間には、多かれ少なかれ齟齬そごがありますね。『法律の文言からすると、当然、この人は死刑にしなきゃいけないけど、それはやりすぎだと思う』とか、『手を出した方が悪いという保育園の根本ルールからすると、悪いのはシンキチ君だけど、この文脈だと、どうもタツキチ君の方が悪いんじゃないか』とかですね」

「ああ。僕は、日本の著作権法、厳しすぎるなと思う方だから、著作権法の講義したり、判例読んだりしていると、違和感があるってことはあるね」

どうやら、ワタベ先生とキヨミズ准教授の距離は、少し縮まったようだ。

「そうでしょう。法的判断の中では、法律家の判断と法源、それぞれが相対化されるんですね。

法源は、先人の知恵の積み重ねだったり、民主制という優れた決定方法のアウトプットだったりしますね。だから、それと向き合うことは、法律家が自分の判断はおかしかったと反省するきっかけになりますよね。

とはいえ、法源が常に正しいとまでは言えないわけで、法律家の違和感が、法源を相対化するきっかけになることもあるでしょう。ワタべ先生ご自身が、日本の著作権法は厳しすぎないかって、おっしゃったじゃないですか。もちろん、そういう場合も、法律家の勝手な判断で、法源を無視することはできないですから、法律を改正したり、慣習を法源とみなすことをやめたりして、法源自体を変更する必要がありますけどね」

ふーむ。法源というのを想定して、自分の価値判断を相対化し、自覚するというのが、法律家の頭の使い方だ、ということらしい。そう考えていると、キヨミズ准教授は、まとめた。

「ですから、法源を権威的にあがめて、それを疑わない自動販売機は、正しい意味での法律家ではないですね」

ふと、時計を見ると、もう午後3時をまわっていた。ワタベ先生は、「あ、もうこんな時間。そろそろ、5限のゼミの準備しなきゃな」と言って、帰り支度じたくを始めた。キヨミズ准教授も、「ああ、もうそんな時間ですか。そろそろ、会議なんですね」と言っている。

僕も、ランチだけのつもりだったけど、長居をしてしまった。キヨミズ准教授のお話は、受講生ゼロの講義のわりには面白かった。

そう思っていると、彼は「いやあ、キタムラさん。半分こしてくれて、ありがとうございました。サンドイッチとパスタ、両方食べれてうれしかったです。面白いお話もできたし。有意義な午後でしたね」と言った。

こうして、キヨミズ准教授とワタベ先生は、大学へ帰って行った。

考えてみると、キヨミズ准教授もワタベ先生も、高校生をつかまえて、平日の午後にお茶しているんだから、ずいぶんのんびりした人たちだ。社会人としての性質を半分くらいしか持っていないと言われても、仕方ないんじゃないだろうか。場合によっては、反社会的な人と言ってもいいかもしれない。

そんなわけで、僕は、倉井さんにごちそうさまを言って、会計をすませると、いつもよりちょっと遅めだけど、図書館に向かった。

Chapter2「急坂の上の動物園で社会科学を語る」へ続く