武器としての決断思考
瀧本哲史
東大×京大×マッキンゼー式「意思決定の授業」——本書は、私がいま、京都大学で二十歳前後の学生に教えている「意思決定の授業」を一冊に凝縮したものです。今後、カオスの時代を生きていく若い世代にいちばん必要なのは、意思決定の方法を学ぶことであり、決断力を身につけることです。もう過去のやり方は通用しないし、人生のレールみたいなものもなくなってしまいました。「答え」は誰も教えてはくれません。となれば、自分の人生は、自分で考えて、自分で決めていくしかないのです。仕事をどうするか、家庭をどうするか、人生をどうするか? この本で私と一緒に「自分で答えを出すための思考法」を学んでいきましょう。きっと、あなたの人生を変える授業になるはずです。
目次
はじめに 「武器としての教養」を身につけろ 3
- 人間を自由にするための学問 3
- どうして京大医学部生の40パーセントが「起業論」を学ぶのか? 4
- 『学問のすすめ』は、いま、若い世代こそ読むべきだ 7
- 私の職業は「軍事顧問」 9
- どんなことも自分で決めていく時代の「決断思考」 11
- ディベート=意思決定のための具体的な方法 15
ガイダンス なぜ「学ぶ」必要があるのか? 25
- 「知識・判断・行動」の3つをつなげて考える 25
- エキスパートではなく、プロフェッショナルを目指せ 30
- 専門バカは生き残れない 35
- 「正解」なんてものはない 37
- 「変化に対応できないこと」が最大のリスク 40
1時間目 「議論」はなんのためにあるのか? 45
- 正解ではなく、「いまの最善解」を導き出す 45
- 陥りがちな「3つのゆがんだ判断」 48
- 「みんなそう言っているじゃないか!」は議論ではない 52
- 議論にルールを加えたものがディベート 54
- 「朝生」はダメな議論の典型 59
- なぜ日本の会社は、こんなにも会議が多いのか? 62
- 「準備と根拠」がディベートの鍵をにぎる 65
- 結論よりも大切なこと 68
- 「ブレないこと」に価値はない 70
- ゲリラは目の合図だけで作戦を変更できる 73
2時間目 漠然とした問題を「具体的に」考える 77
- 「結婚はいつしたらいいのか?」では議論にならない 77
- やるか、やらないか――それが問題だ 79
- 「大きな問題」から「小さな問題」へ 83
- X社への就職か、大学院への進学か 84
- サッカー日本代表の強化問題を考えてみよう 86
- 監督の強化が、どうやって日本代表の活躍につながるのか? 89
- リンクマップは、論題を見つけるための「地図」 93
3時間目 どんなときも「メリット」と「デメリット」を比較する 99
- ものすごくカンタンな考え方 99
- メリットが成立するための「3つの条件」 103
- 内因・重要・解決性をチェックする 106
- 相手を説得する、相手にダマされない 108
- デメリットの3条件 110
- 2位じゃダメな理由を説明せよ 113
- 「機会費用」という考え方 116
- 練習問題「Aくんは就活を続けるべきか、否か」 117
- メリットとデメリットは表裏の関係 122
- 就活を続けるデメリット 123
4時間目 反論は、「深く考える」ために必要なもの 129
- 反論に対する大誤解 129
- まずはツッコミを入れよう 131
- 読書は格闘技だ! 134
- ツッコミ上級編 138
- 論理的に反論する方法 142
- 就活を続けたって成長できない! 145
- デメリットへの反論 147
- モレなく、ダブりなく 150
5時間目 議論における「正しさ」とは何か 155
- この時間までの「復習」 155
- 「正しい主張」の条件は何か? 156
- 「裏をとる」のではなく「逆をとる」 159
- 賛否両論でも「決めること」が大事 161
- 主張と根拠をつなぐ「推論」 163
- 大企業に入ると人生は安心? 164
- 推論の部分を攻めろ! 168
- A氏は毎日のようにナイフで人を切っている…… 170
- 派遣社員はみんな生活が苦しい! 174
- 女は地図が読めず、車の運転もヘタ 179
- 「オタクだからモテない」は本当か? 183
- 「英語ができる人ほど年収が高くなる」は噓っぱち 185
- ダイエット番組を観ても、あなたは瘦せない 188
- 新政権になると景気がよくなる本当の理由 190
6時間目 武器としての「情報収集術」 195
- 「証拠資料」を集めよう 195
- マスメディア・ネットの情報を鵜吞みにしない 196
- では、「価値のある情報」とは何か? 199
- 公開情報も、組み合わせ次第では価値が出る 202
- どんな人も「ポジショントーク」しかしない 203
- インタビューは「ナメられたもん勝ち」 207
- 「海外はこうだから、日本もそうすべきだ」論者 209
- 大学受験までの考え方を捨てる 213
7時間目 「決断する」ということ 215
- どうやって議論にケリをつけるか 215
- 「いまの最善解」を導き出すまでの手順 217
- 「フローシート」を書いて、議論全体を見渡す 218
- 根拠が反論に耐えたかどうかをチェックしよう 221
- 生き残ったメリットとデメリットを比較する 225
- 議論の精度を上げていく 227
- 判定は「質×量×確率」で考える 229
- 年金は何歳からもらうのが得なのか? 232
- 「起こる確率」もちゃんと視野に入れる 235
- 最後の最後は「主観で決める」 236
- 自分の人生は、自分で考えて、自分で決めていく 239
はじめに 「武器としての教養」を身につけろ
人間を自由にするための学問
みなさん、はじめまして。
この本の著者、瀧本哲史と申します。
本書は、私がいま、京都大学で二十歳前後の学生に教えている「意思決定の授業」を一冊に凝縮したものです。
京大にかぎらず日本の大学では、大学1〜2年を教養課程と位置づけ、人文科学から社会科学、自然科学、そして芸術にいたるまでの幅広い「一般教養(基礎的な素養)」を身につけられるよう、カリキュラムを組んでいます。
大学生のあいだでは「パンキョー」と呼ばれているこの教養課程、英語では「リベラルアーツ(Liberal Arts)」と言います。
なぜそう呼ぶか、みなさんは考えたことがありますか?
リベラルとは本来「自由」を意味する言葉で、アーツとは「技術」のこと。すなわちリベラルアーツとは、意訳すると「人間を自由にするための学問」なのです。
その起源は、古代ギリシャにまでさかのぼります。
当時の社会には奴隷制度があり、奴隷と非奴隷を分けるものとして、学問の重要性がさけばれていました。かなり大ざっぱに言えば、学のない人間は奴隷として使われても仕方ない、ということです。
奴隷などというと、21世紀の日本で生活しているこの本の読者にはあまり関係のない話のように思えますが、決してそんなことはありません。
私は、いまだからこそ、リベラルアーツが必要だと強く感じています。
それも、未来の日本を支えていく10代〜20代の若い世代にこそ必要なのです。
どうしてか?
そのことを説明するために、ここで京都大学医学部生の話をしたいと思います。
どうして京大医学部生の40パーセントが「起業論」を学ぶのか?
私は京都大学で、「意思決定論」だけでなく、「起業論」の授業も受け持っています。
教えているのは、成功したベンチャー企業のケーススタディを中心とした、実践的な起業の方法であり、その根底にあるべき考え方です。
その授業を受け持ってしばらく経ったときのこと。ふと履修者の情報を整理してみたところ、驚くべきことに気づきました。
なんと、学部別の割合で見ると、医学部の学生がもっとも私の授業を受けていたのです。その率、40パーセント。
京大医学部といえば、東大医学部と双璧をなす最難関の学部として知られています。卒業後は、ほぼ100パーセントの人間が医者になります。
やりがいだけでなく、高い社会的地位も報酬も得られ、まさに一生食いっぱぐれない安泰な人生を約束されたはずのエリート中のエリートたちが、なぜ私の起業論の授業を受けるのか? 不思議に思い、私は学生にヒアリングを試みました。
すると、こんな答えが返ってきたのです。
「この国では、医者になったって幸せにはなれない」
「もう昔のように、医者=お金持ち、という時代でもない」
「やりがいだけではやっていけない。新しい方法を見つけないと」
彼らは自分の将来について、明確な不安を抱いていました。
現在の日本は、昔とちがって医者余りの状況にあります。
それに加え、研修医の労働環境は厳しく、医者になったとしても魔女狩りのような医療訴訟がある。激務のうえに責任が重く、大学病院にいるかぎり、給料は一般企業よりも低かったりする。そして、開業できたとしても市場競争にさらされ、心も身体もすり減らさないといけない……。
彼らはそういったリアルな状況をメディアや先輩たちを通して知り、「いまの時代、漠然と医者になってはダメだ」と気づいたのでしょう。
そこで、医療の勉強をキャリアに生かすための別の道があるのではないかと考えはじめ、「ビジネス」についても勉強しようと決断したのです。
たとえば、最先端の医療研究を企業と提携して事業化する方法や、親の病院を継いだ場合、他の病院と差別化をはかるためにはどうすればいいかなどを、私の授業から学び取ろうというわけです。
『学問のすすめ』は、いま、若い世代こそ読むべきだ
さて、私がここで何を言いたいかというと、変化が激しい今の時代、これまでの価値観や方法、人生のレールというものは、意味をなさなくなってきているということです。
京大医学部生の話は、その顕著な一例にすぎません。
もうみなさんも実感されているように、右肩上がりの 「幸福な時代」は過ぎ去りました。良い大学、良い会社に入れば人生は安泰、みたいなことはもうないのです。
さらに断言すれば、これからの日本はもっともっと厳しい状況になっていきます。
良い時代を経験して「逃げ切り」ができる世代であれば、昔はよかったとただ嘆いていればいいのでしょうが、これから社会に出る世代、もしくはこれから社会のメインステージに立つ世代にとってみれば、問題は深刻です。
では、どうすればいいのか?
ここで、リベラルアーツの話に戻ります。
人間を自由にする学問がリベラルアーツだという話をしましたが、まさにいま、それが求められているのです。
医者の話が良い例ですが、国家試験に合格しただけでは、これからの時代は生き残れないし、幸せになることもできません。むしろ奴隷として、上の世代が作ったシステムにからめとられる可能性が高い。それも、自分が気づかないうちに。
だから、教養が必要なのです。
自由になるために。自分の力で幸せになるために。
といってもそれは、大学生がパンキョーと呼んでいるものとは違います。極論を言ってしまえば、大学の教養課程で教えている一般教養は、大学教授を食わせるためのものでしかなく、本来の意味での「リベラルアーツ」とはほど遠い。
もっと実践的で、実用的な知でなければならない。
ここで、かの福沢諭吉が著した『学問のすすめ』から一節を引用してみましょう。まさに私が言いたいことを代弁してくれています。
「学問というのは、ただ難しい字を知って、わかりにくい昔の文章を読み、また和歌を楽しみ、詩を作る、といったような世の中での実用性のない学問を言っているのではない。(中略)いま、こうした実用性のない学問はとりあえず後回しにして、一生懸命にやるべきは、普通の生活に役に立つ実学である」(引用『現代語訳 学問のすすめ』齋藤孝訳/ちくま新書)
『学問のすすめ』が刊行されたのは明治5年。新しい時代の幕開けに、明治人が持つべきメンタリティを説いたこの本は、300万部を超す日本史上最大のベストセラーとなりましたが(当時の人口は約3000万人)、いま、すでに20年以上が過ぎたこの平成の世にこそ、そして、そんな時代に生きる若い世代にこそ、この福沢諭吉のメッセージは伝えていかなければならないでしょう。
そう、まさにいま、実学が必要なのです。
医学部生が起業論を学ぶように、自分にとって必要な学問は何かと考え、探し、選び取る――そういった行為が、ベーシックなものとならなければなりません。
私の職業は「軍事顧問」
これからの日本を支えていく若い世代に「武器」を配ること。それが、いまの私の使命だと考えています。
武器とは、この時代に必要な教養であり、実学のことです。
みなさんは、ある意味、ゲリラのような存在です。
中央政府が崩壊して、正規軍がいなくなってしまった。正規軍と自称している人たちも自分たちを守ってくれる保証はない。
だから、自由と解放を求めて自ら戦場に立たなければならない。
でも、戦った経験がないから、いきなり最前線に立ったらあっという間に全滅させられてしまう。
戦場では、こういうときにしかるべき武器を供給して、その使い方をトレーニングする「軍事顧問」という職業が存在します。
『20世紀少年』で有名な浦沢直樹の初期の作品に、『パイナップル・アーミー』という漫画がありますが、これはまさにそういった軍事顧問をテーマにしたものです。
なんらかの理由で自分の身を守らなければならない人間に、ボディーガードをするのではなく、適切な武器を選び、その使い方を徹底的にトレーニングする。
つまり、いま私が行いたいのは、無力なゲリラである若者たちが、自分たちが弱者である日本社会というフィールドで戦えるように、「武器としての教養」を配ることなのです。
武器はいろいろあります。最終的には、個々人がそのなかから「自分はこの武器だ!」というものを複数選びとって、実践によって磨いていく。
そういった若者たちがひとりずつ増えていけば、まだまだ日本の未来は捨てたものじゃない。面白いものになっていく。
私はそう考えています。
どんなことも自分で決めていく時代の「決断思考」
では、具体的にどういう〝武器〟があるのか?
それは、私が軍事顧問を務めるこの「星海社新書」シリーズで徐々に本としてまとめていこうと思っていますが、ひとつ言えるのが、言葉は同じでも、時代によって必要となる教養の姿は変わっていくということです。
福沢諭吉の時代に必要な教養と、いまこの日本に必要な教養は違うのです。
同様に、古代ギリシャのリベラルアーツと、いま求められているリベラルアーツはまったく異なるものです。
私は、ゲリラであるみなさんが優先的に身につけるべきは「意思決定の方法」だと考えています。だから、京都大学でも学生に教えています。
決断するための思考法、と言ってもいいでしょう。
なぜその武器が必要か?
それは、若い世代は今後ありとあらゆるジャンルにおいて、自分で考え、自分で決めていかなければならない場面が増えていくからです。
たとえば就職と、その後の人生について。
高度成長、安定成長の時代には、「大きな会社」を入口として選べば、あとはエスカレーター式に出口までたどりつくことができました。
新卒で大企業に入れば、10年後に係長、20年後に課長、30年後に部長で、60歳で定年退職――といったように、ポジションも給料も出世コースも、ほぼ自動的に決まっていたのです(もちろん多少の個人差、業界差はあります)。
ここで私が強調したいのは、みんなが同じような未来をイメージしながら生きていた、ということです。
会社がいきなり倒産するようなこともほとんどなかったので、基本的に「右肩上がり」をイメージしながら、私たちは自分の人生について考えることができました。
何歳で結婚して、何歳で子供を産んで、何歳で家を買って、老後はこう過ごす――。生活の基盤が安定していて、将来のこともある程度イメージできるからこそ、安心してライフプランを立てることができました。
だいたい「みんなと同じ」「これまでのやり方」を選択しておけば、問題は何もなかったのです。自分でいちいち選択肢を考えたり、複数ある方法の中からひとつのものを選び取るような必要は、あまりありませんでした。
しかし、くり返すように、そんな幸福な時代は過ぎ去りました。
日本の経済は成熟期、いや衰退期に入ったと言われています。いまや大企業に入ったからといって「一生安泰」ということはありえませんし、そもそも会社の寿命自体が個人の寿命より短くなりつつあります。
30年間勤めるつもりだったのが、その会社は10年で消えてしまったりします。消えないまでも、他社に吸収されたり、業績が悪くなってリストラされたりと、ひと昔前とは状況がかなり異なるでしょう。
ずっと「勝ち組」と言われていたような会社や業界でも、このような状況からは逃れられません。
将来がどうなるか、いまや誰も明確には予測できないのです。
これは、漠然とみんなで同じ未来を見ていた高度成長、安定成長の時代とは決定的に異なる状況です。「横並び」「右肩上がり」は幻想に変わりました。
まさに、時は「カオスの時代」に突入したと言えるでしょう。
こんな時代に生きる私たちは、過去のやり方が通用せず、未来予想もうまくできないなかで、自分の人生や家族の将来を見据えながら、ひとつひとつ現時点で最善と思える「意思決定」を行っていかなければなりません。
進学、就職、転職、結婚、出産、子育て、介護、老後、年金、貯蓄……。
つまり、人生において、個人として大きな決断を迫られる場面に遭遇する機会が、昔に比べて明らかに増えているのです。
それなのに、学校も親も、意思決定の方法について教えてはくれません。
それもそのはずで、彼らは良い時代を生きてきたので、大きな決断を迫られるような場面にはあまり遭遇してこなかったのです。
だから、筋道を立ててその方法を教えることなどできません。
ディベート=意思決定のための具体的な方法
私は、人生において何度も大きな決断を下してきました。
意思決定の際に大いに参考になったのが、東大弁論部に所属していたときに学んだ「ディベート」の考え方です。
ディベートというと、「頭の良い人たちがくり広げる頭脳ゲーム」といったイメージが強いかと思いますが、それはディベートの本質を表してはいません。
ディベートでは、あるテーマを設定して(たとえば原発問題や首都移転問題)、それに対する賛成(肯定)意見と反対(否定)意見を徹底的に戦わせます。
あまり知られていませんが、賛成と反対、どちらの立場に立つかは、直前にくじ引きやジャンケンによって決まります。
これはどういうことか?
そう、賛成と反対、両者の立場に立った意見・主張をあらかじめ用意しておかなければならないのです。たとえ個人的には原発に反対だとしても、くじ引きで賛成側になれば、肯定的なことを言わなければならない。
つまり、あるテーマに対して、賛否両論を自分の頭の中で整理する必要があるのです。これこそが、ディベートの本質だと言えるでしょう。
私はディベートの経験を積んでいく過程で、この思考法は「個人の意思決定」にこそ使える、と思うようになりました。
たとえば高校生であれば、理系(文系)に進むべきか否か、といった問題。
普通は、数学が得意だから理系(逆に苦手だから文系)とか、なりたい職業から逆算して選ぶといったことがなされていますが、ディベートの考え方を身につけていれば、理系(文系)のメリット・デメリットを徹底的につき合わせていくことで、おのずと選ぶべき道が見えてきます。
でも、そういった考え方を知らないと、往々にして「好き嫌い」や「得手不得手」といった主観だけで決断しがちです。
そうではなく、主観的な意見・主張はとりあえず横において、まずは一回、問題を賛否両方の視点から客観的に考えてみる。そうして問題の全体像を把握したうえで、最終的な判断を下すための根拠を得る――そう、ディベートとは、客観的に決断するための思考法だと言えるでしょう。
この本は、ディベートの考え方をもとにした「決断思考」について、若い世代が「武器としての教養」として身につけられるよう、授業形式を用いてなるべくわかりやすくまとめたものです(ディベートの専門書ではないので、一般的なディベートのやり方とは少々異なります。もし本書をきっかけに、本格的なディベートに興味を持たれたなら、私が代表理事を務める全日本ディベート連盟にコンタクトをとっていただけると嬉しいです)。
大学の授業を受けているような感じで、真剣に、そして気楽にページをめくっていってください。
武器は持っているだけでは意味がありません。使ってこそのもの。
教養も、座学ではなく、実践により磨かれます。
今後の人生で出会う大きな決断の場面で、ぜひこの本で学んだ思考法を応用してみてください。
きっと、教養の重要性を実感できるでしょう。
ガイダンス なぜ「学ぶ」必要があるのか?
「知識・判断・行動」の3つをつなげて考える
あらためまして、こんにちは。
瀧本哲史です。
授業に入る前に、この授業でみなさんが「何を学ぶのか?」、そして「そもそもなぜ学ぶ必要があるのか?」ということについて、ガイダンスを行いたいと思います。
少し長くなりますが、この部分をしっかり理解しておかないと、ディベートについて学んだところで、それを実学として、武器として使いこなすことはできません。
ただ「わかったつもり」「勉強したつもり」になるだけで、つぎの週になればきれいさっぱり忘れてしまうでしょう。
私の授業で重視しているのは、ただ一点。
知識ではなく考え方を学ぶ、ということです。
ちまたには「IT、英語、会計は現代人に必須のビジネススキルだ」といった本があふれていますが、いくらTOEICで900点を取ったり、公認会計士の資格を取ったところで、それだけで安泰だと考えるのはちょっと早計です。
ブームになっている勉強会もそうです。
最近、丸の内のビジネスマンが、「早朝ドラッカー勉強会」を開いている光景を何度か目撃しましたが、ドラッカーの『マネジメント』をみんなで穴の空くほど読み込んだところで、マネジメント能力が上がるなんてことはありえません。
厳しいことを言えば、そうやって得た「知識(資格)」を、なんらかの「判断」、そして「行動」につなげられなければ、なんの意味もないのです。
自動車の免許を取るときに教わったことを思い出してみてください。
車を運転するときに必要なのは「認知・判断・動作」の三段階だと、くり返し言われたはずです。
たとえば、道路にボールが転がってくるのが見えたら、子供が飛び出してくるかもしれないと考え、ブレーキを踏む。これが、認知・判断・動作です。
それと同じで、実学にも「知識・判断・行動」という三段階が存在します。
実学の世界では、知識を持っていても、それがなんらかの判断につながらないのであれば、その知識にあまり価値はありません。そして、判断につながったとしても、最終的な行動に落とし込めないのであれば、やはりその判断にも価値はないのです。
知識・判断・行動の3つがセットになって、はじめて価値が出てきます。
なので、たとえばあなたが会計学を学んでいるとするなら、簿記何級を取ったとか、決算処理ができるというレベルで満足してほしくないのです。
それは知識を持っているにすぎず、そういう人間はこれからの時代、担当Aとして、会社の都合の良いように使われるだけで、自分の人生を自分で切り開くどころか、会社の業績次第では真っ先にクビを切られます。
それは、担当BでもCでもできる仕事だからです(このような、誰とでも交換可能な人材を「コモディティ人材」と呼びます。詳しくは講談社刊の拙著『僕は君たちに武器を配りたい』をご一読ください。日本にやってきている「本物の資本主義」と、そこで生き残ることができる人材タイプについて、若い世代の目線でわかりやすく説明しています)。
では、どういった人材を目指すべきか?
自分が作った決算書をもとに、「この部分のコストは下げられるはずです」「この商品を売るのはやめたほうがいい」などと、ビジネスの判断に役立つ会計知識を提供できて、はじめて人材としての価値が出てきます。
でも、それだけではまだ不十分。
「こうしたほうがいい」「こうすべきだ」といった提言・提案からもう一歩進んで、具体的な行動に移すところまでいかなければなりません。
先日、ヘッドハンターとして活躍している知人が、以下のように話していました。
「いまの時代、英文会計ができる人材はいくらでもいる。そのなかでヘッドハントの対象となるのは、たとえば海外支社がうまくいっていなくて、本社がもうこれ以上お金を出せないといったときに、支社のバランスシートなどをもとに地元の銀行にかけあって、お金の借り入れまでできるような人材だ」
これが、知識・判断・行動のすべてをセットでこなすことのできる、交換不可能な人材の姿です。
この本を買って読むような、若くてやる気もあるみなさんには、ぜひここまでできるようになってほしいと私は強く思っています。
もちろん、さらに厳しさを増す今後の労働市場において生き残るため、ということが大前提としてありますが、それだけではありません。これからの日本を形作っていくみなさんひとりひとりがそういった人材になることで、10年後、20年後に、その世代の力で大きく社会を変えてほしいのです。舵を切っていってほしい。
世の中を変えるためには、知識を持っているだけではダメです。もちろん、知識すら持っていないのは論外。
日頃から、知識を判断、判断を行動につなげる意識を強く持ってください。
『マネジメント』を読んだ。だいたいの人はそこで終わります。わざわざ早起きして出社前に勉強会に参加している自分に少し酔って、勉強したつもり、仕事をしたつもりになって、たまに赤線を引いた箇所を読み返すくらい。
そして、翌週になれば、今度は『戦略思考の教科書』のようなビジネス書を読んで、同じことをくり返します。
「はじめに」でも述べたように、武器は持っているだけでは意味がありません。使ってなんぼ。失敗しても、間違っていてもいいから、自分が得た知識・教養を、自分の判断、自分の行動に日常的に役立ててください。
それが、このガイダンスでまずみなさんに伝えたい第一のことです。