自分でやったほうが早い病

小倉広

病の先にある「孤独な成功者」「まわりの人への任せ方がわからない」「いい仕事があがってこないから任せたくない」「教える時間がないから自分でやる」――。これが「自分でやった方が早い」という病です。病が悪化すると、待っているのは“孤独な成功者”の姿です。「お金はあるが、つねに忙しくて、まわりに人がいない」「仕事の成功を一緒に喜ぶ仲間がいない」。それは本当に「幸せ」なのでしょうか?本書ではリーダーシップ研修のプロが、自らの失敗体験を交えながら「本当の任せ方」「人の育て方」を披露します。仕事がデキるつもりでいても、成長がストップし、いつの間にか孤立してしまう恐ろしい病。特に30代以降のビジネスパーソン、必読です。

これからご紹介するさんとさん。

あなたはどちらに近いでしょうか?

仕事が早く優秀なさん(32歳)

会社内でも仕事の早さと正確さで評価されてきたAさん。ビジネス書のチェックも欠かさず、効率を高めてきた。「あの人はデキる人」という噂も広まっている。

ある日、ある大きなプロジェクトを任された。社内外の人に声をかけ、やるべき作業を伝えた。しかし数日後に上がってきたものには納得できなかった。「やはり私がやらないとダメか」。すぐに仕事を引き取り、徹夜で作業を済ませた。そのおかげでプロジェクトは大成功した。

仕事を任せたりお願いしたりするさん(32歳)

会社内でも仕事が早く正確なことで知られてきたBさん。突出した結果は出していないものの、忘年会や社内イベントを仕切ることもあり、社内での人気は高いほうだ。

ある日、ある大きなプロジェクトを任された。普段から仲良くしている社内外の人たちに作業をお願いした。数日後に上がってきたものは求めるレベルに達していなかったため、どこをどうして欲しいのかを丁寧に説明して、再度やってもらった。期限にはギリギリだったがプロジェクトはうまくいき、打ち上げも盛り上がった。

さて、そんな二人の5年後を見ていただきましょう。

さん(37歳)

能力が高くセンスもあり優秀なのに、なぜか昇進はできなかった。同期入社のBはすでに課長である。悔しさもあるが、ねたんでも仕方ない。やるべきことをやるのみだ。ますます仕事に精を出し、より効率的な方法を模索中だ。

同僚との食事も断り、忘年会も最初だけ顔を出してすぐに会社に戻る。会社に仕事が残っているからだ。週末は社外の優秀な人との勉強会もある。

ただ最近体調が良くないのが気がかりだ。太り気味でもある。それでも、早く会社に能力を認めてもらうために、今日も残業を懸命にこなすのであった。

さん(37歳)

いつも定時に帰ることで有名になってきたBさん。ただ出社も早く、やるべき仕事はきちんとこなすので誰も文句は言わない。むしろ、Bさんをマネる人も出始めた。先日課長に昇進したBさん。ランチはチームの仲間や、社外の人ととっている。

任せていた仕事が上がってきたのでチェックする。うん、今回は問題はないようだ。しつこくしつこく伝えてきた甲斐があった。今度、何かうまいものでもおごろう、と思っている。

体調は良好。毎日ひと駅分歩くことにしているのだ。週末は山登りサークルの仲間とバーベキューだ。仕事、というよりも人生が楽しい。心からそう感じている。

いかがでしょうか?

言うまでもなく、Aさんは「自分でやった方が早い病」にかかっています。

これを克服するかどうかで、あなたの5年後は全く違ったものになるのです。

「自分でやった方が早い」を続けるか、克服するか。

まずは本書を読んで考えてみてください。

はじめに 「自分でやった方が早い」という病の恐ろしさ

デキる人、優しい人に多い「自分でやった方が早い」という考え

「ああ、これなら自分でやった方が早いな

仕事のデキるあなたなら、そう思ったことは一度や二度ではないでしょう。

任せてみたけど、なかなか仕事が上がってこない。お願いしてやってもらったけど、思ったものとまるで違う。結局は、自分が最初からやり直して、ただ二度手間だっただけ。そんな苦い経験は多くの人が持っていることと思います。

この「自分でやった方が早い」という思考には、大きく分けて2種類あります。

ひとつは、まわりよりも自分がデキてしまうから、自分でやった方が早い。

もうひとつは、相手に悪いし、お願いが下手だから、自分でやった方が早い。

まず前者のパターンはこんなパターンです。

まわりの人に仕事を任せてしまうと時間がかかってしまうし、仕事のクオリティも落ちてしまう。任せたりお願いしたりしたところで、最後は自分で修正したり、質を上げていかねばならない。そうであれば、最初から自分でやった方が早いじゃないか。

私は、組織人事のコンサルタントの仕事をしていますが、多くの会社でリーダー研修を行っていると、次のような声をよく聞きます。

「任せられるほど優秀な人がいないんだよね」

「まわりは使えない部下ばっかりなんですよ」

「会社は、なぜ優秀な人を採用してくれないのだろう

「自分だけが仕事をしていて、まわりの奴らは遊んでばかりいる」

みなさんの意見を集約すると、「まわりが仕事のできない人ばかりで、とても仕事を任せられない」ということになります。

あなたが仕事のデキる人だからこそ、まわりの人は無能に見えてしまうのでしょう。あなたほど優秀な人はそうそういない。そう思うと、少しは気が楽になるかもしれませんが、結局のところ、何の解決にもなりません。いつまでも、あなたは目先の仕事に追われてしまうのです。

もうひとつのパターンは「相手に悪いし、お願いが下手だから」というパターン。

本当は任せたいのは山々だし、お願いすれば自分の仕事が減って、もっと新たなことにチャレンジできる。でもまわりも忙しそうにしているし、お願いしたら嫌な顔をされそうだ。お願いするタイミングもわからない。うーん、困った。こんなに悩んでいる時間があるなら自分でやってしまうか。悩んでいる時間がもったいない。自分でやった方が早い

このパターンは前者と違い、任せるといいことはわかっているし、任せたい気持ちはある。でも、相手に悪いから、任せられない、お願いできない、というものです。気を使いすぎてしまう人や優しい人が陥りやすいパターンと言えるでしょう。

あなたがどちらのパターンであるにせよ、「自分でやった方が早い」という思考に陥っていることにおいては同じことです。

もちろん事実として「自分でやった方が早い」ということはあるでしょう。世の中には誰にも任せられない仕事というのはあるでしょうし、まわりが仕事のデキない人だったり、お願いしにくい人だったりすると「自分でやった方が早い」となるのは必然です。

しかし、私はあえてこれを「病」であると定義します。「自分でやった方が早い」と思うのは「病」なのです。

新人リーダーに多い「自分でやった方が早い病」

この病にかかっている人は特に30代に多くみられます。

20代は「自分でやった方が早い」思考であっても問題ありません。スキルを磨いて、上司から言われた仕事を120%にして返す。より早く、より正確に。それでまったく構いません。

むしろ、誰かにすぐ頼ったり、お願いしたり、丸投げすることはマイナスの評価をもらうこともあるでしょう。もし、これを読んでいるあなたが自分の能力を高める段階であるのならば、本書を読むのにはまだ早いかもしれません。

しかし、30代にもなると、会社であれば初めて部下ができる人も多いでしょう。会社組織でなくても、プロジェクトのリーダーになったり、人に動いてもらわねばならない立場に置かれ始める時期です。この段階で「自分でやった方が早い」を卒業しないとその先はない、と言っても過言ではないでしょう。

「自分でやった方が早い」と思っているときが人生のピーク

なぜ「自分でやった方が早い病」を克服しないと先がないのか。

まず、「会社やチームとしての損失」ということがいえます。あなたが仕事を抱え込んでしまうことで、まわりの人はやる気をなくします。部下が一向に育たなくなります。

また、あなたのところに仕事が集中することで業務が停滞します。たとえ24時間フルで働いたとしても、一人の能力には物理的な限界があるはずです。部下や後輩など、まわりの人はあなたの指示や確認、承認を待たねばなりません。

まわりの人たちの仕事が停滞すると、本当はもっと売上を上げられるのに、そのビジネスチャンスをみすみす逃してしまうことにもつながります。

さらに、もしあなたが病気か何かで倒れてしまったらどうでしょうか。

おそらく、会社はうまく回っていかないのではないでしょうか。あなたがいなければ、会社が回らないという状態は、あなたにとっては自慢になるかもしれませんが、会社の経営としては危険な状態です。

このように、「自分でやった方が早い」という人間がリーダー的立場にいることは組織にとっては大いなる損失なのです。それがもともと優秀なプレイヤーであったとしても、です。

「自分でやった方が早い」が「病」である理由は、まだあります。

それは、あなた自身が体を壊してしまう、ということです。

あなた一人が無理をしていると、そのうち体に異変が起きるでしょう。

「自分でやった方が早い病」は、確実に、あなたの体を蝕んでいきます。

また、多大なストレスを抱えることで、心のほうも疲弊してしまいます。実際に、うつ病で会社に来られなくなったという人もいます(詳しくは後述しますが、実は私もその一人です)

「自分でやった方が早い」という状態は、プレイヤーとしては優秀だけれど、リーダーとしては失格です。いつまでたってもプレイヤー一人分の仕事しかできない状態が永遠に続きます。よって、会社であれば昇進できません。すると当然のことながら、今よりも大きな仕事はできないでしょう。

よって、少々キツイ言い方になりますが、「自分でやった方が早い病」にかかっている人は、今が人生のピークだと言えるでしょう。これから上に上がっていくか、逆に下がっていくかは、あなた次第。今まさに人生の岐路に立っているのです。

「自分でやった方が早い病」を治すこと。それは、より豊かで幸せな人生へとハンドルを切ることなのです。

病を克服すると本当の成功、本当の幸せがやってくる

「自分でやった方が早い病」を完治できたら、どのような状態になるか、少し想像を膨らませてみましょう。

まわりの人が成長することで、自分も成長できる

自分だけが成長するのではなく、まわりの人たちと一緒に成長することができます。気づけば、まわりにはデキる人がたくさんいる状態になります。そうすれば、より大きな仕事ができるようになるでしょう。

心身ともに健康になれる

徹夜をしたり、無理をすることがなくなるので、心も体も健康になります。運動する時間や趣味の時間も確保できるようになるので、「仕事だけの寂しい人生」を脱することができます。本当に人生が楽しく充実したものになるでしょう。

昇進、昇給できる

「自分でやった方が早い病」を克服したときがリーダーとして一人前になれるときです。まわりの人たちと協力してプロジェクトを成功させることのできる人はどの会社も放ってはおきません。自然と昇進、昇給もできるでしょう。

本当に信頼できる生涯の友ができる

仕事を抜きにして飲みに行ける人が何人いますか? 仕事以外の電話を何人にできますか? 「自分でやった方が早い病」を克服すると、まわりの人を本当に信頼できるようになります。最初は仕事上での関係であっても、その信頼はいつしか本物になるでしょう。仕事だけの関係だった人がきっと生涯の友になるはずです。

孤独な老後を迎えなくてすむ

若い世代にとっては気の早い話かもしれませんが、この病を克服すると老後も楽しくなるでしょう。

よくこんな人を見かけます。会社を定年退職した途端に人生に張りがなくなった。飲みに行く人も減り、年賀状の枚数もかなり減った。仕事がないと毎日何をしていいのかわからない

「自分でやった方が早い病」を克服し、本当にまわりの仲間と仕事ができるようになるとそれは会社や仕事上だけの関係ではなくなるため、定年退職したとしても友人として死ぬまで付き合うことができるでしょう。老後もきっと楽しいはずです。

会社が安定する、成長する

あなたがいなければ回らない状態。それはあなたのプライドがくすぐられるだけで、会社にとっては危険な状態に他ならないことは前述しました。任せ上手、お願い上手になると会社は安定し、結果的に業績も上がっていくことでしょう。

現場の仕事から離れ、経営の仕事ができる(一段上の仕事ができる)

「自分でやった方が早い病」はずっと職人であり続けることです。本当にあなたが職人であったり、職人的な生き方を目指しているならいいのですが、そうでなければ病を克服する必要があるでしょう。マネージャー、チームリーダーになるとより広い視点でビジネスを眺めることができるようになります。大きな仕事もできるようになるでしょう。

プライベートな時間も充実する

「自分でやった方が早い」を続けていると、仕事はどんどん増えていき、あなたが抱え込むことになります。夜遅くまで残業したり、休日も出勤して仕事をしなければいけなくなります。家族には「また仕事?」と言われ、友人との飲み会にも顔を出せなくなり、いずれ忘れ去られていきます。病を克服すると時間に余裕が生まれます。よってプライベートの時間も充実するでしょう。

「自分でやった方が早い病」を克服するといいことは、この他にもたくさんあります。それほどにこの病は、仕事のあり方、人のあり方を象徴している病だと言うことができるでしょう。

本書の構成は以下のとおりです。

まず第1章では「その病が悪化するとどうなるか」をご紹介します。

第2章では「克服したときに訪れる明るい未来」について述べます。

第3章では「病の原因」について探ります。

第4章では「病の治療法」について、第5章では「再発防止策」についてご説明します。

「自分でやった方が早い病」は、病院では治せない病気です。治すのは、あくまでもあなた自身です。

とはいえ、仕事が溜まっているから、本を読む時間などないんだよな」などと本棚に戻さないで、もう少しだけお付き合いください。

克服するには時間がかかりますし、途中辛い時期もあるでしょう。しかし、克服すると、仕事への取り組み方が変わり、人間関係が変わり、ひいては人生全体が変わってくることをお約束します。

2012年5月 小倉広

目次

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第1章病が進行すると「孤独な成功者」になる

悪化すると‌1孤独な成功者になる

知識を増やし、ノウハウを身につけ、効率を高めることが成功者への道だ。そう信じている方もいるかもしれません。なるべく短い時間で、なるべく大きな結果を出す。それが成功者への道であり、幸せになる道である、と。

もちろんそれでお金を稼ぐことはできると思います。自分の価値を高めて、年収を上げることも可能でしょう。

しかし、「自分でやった方が早い病」を克服しないまま、デキる人になろうとすると、待っているのは「孤独な成功者」という称号です。

通帳にはたくさんの数字が並び、家と車は手に入るものの、なぜかまわりに人がいない極端かもしれませんが、病が進行した先にあるのはそういう姿かもしれないのです。

「自分でやった方が早い」という思考の本質は「自分一人であっても成功したい」「自分さえ何とかなればいい」という思いです。

「いやいや、みんなで喜びたいし、みんなを幸せにしたいからだ」という反論もあるでしょう。しかしながら、他の人に任せられない、お願いできない、というのは、他人を信頼していない証拠ですし、逆に信頼されていない、ということでもあります。

全ての仕事を自分一人でこなそうとすると、もちろん自分の思い通りに仕事が進むのでスムーズに行くかもしれません。大変だけれど、手柄も自分の手中に収めることができます。ただ、その仕事が終わっても一緒に喜び合える人はまわりにいません。打ち上げもひとり家で缶ビールを開けることになるでしょう。

人生を通じて「自分でやった方が早い」を貫くと、このような状況がずっと続くことになります。結果は出るけど、まわりに人がいない、楽しくない。

これは本当に成功者と言えるのでしょうか? 仮に成功者であったとして、幸せなのでしょうか?

悪化すると‌2仕事を抱え込み、病気も抱え込む

「自分でやった方が早い病」の人は仕事を自分一人で抱え込んでしまいます。当然ながら人よりも圧倒的に仕事量が多いはずです。

何日も会社に泊まり込んだり、土日も仕事をしていると、物理的に体を壊してしまう可能性が高くなります。若いころは、少々の無理も利いたかもしれませんが、いつまでも若いころのようには働けません。元気のいいときは、自分が体を壊すなど夢にも思わないかもしれませんが、確実に体はむしばまれていくのです。

無理が続くと、常に体の不調を感じるようになります。ほとんど家に帰らないような仕事人間の人で、「調子が悪い」というのが口癖の人も多いのではないでしょうか。

そういう人は、常に何種類もの薬を飲んでいたりします。40歳くらいから、ずっと体の調子が悪い状態が続くのです。

私の知り合いで、30代前半という若さで、くも膜下出血になった人がいます。クライアント先でも、中間管理職のリーダーたちは、どこか体調が悪い人がたくさんいるのです。いつか大病になってしまうのではないかと、本当に心配してしまいます。

単純に体が辛いというだけでなく、体の調子が悪いと、仕事のクオリティが下がります。たとえば、判断力が鈍ります。ビジネスでは、あらゆる場面で決断を迫られるわけですが、判断力が鈍くなれば、それだけ間違った判断をする確率が高くなります。

それもこれも、体の調子が悪いと思考力が低下するからでしょう。花粉症の人はよくわかると思いますが、ただ鼻が詰まっているだけでも、思考力が低下してしまいます。逆に言えば、仕事が乗りに乗っているときは、体の調子もいいのではないでしょうか。

仕事を抱え込んでしまうと、病気も一緒に抱え込むことになります。

目の前にやるべき仕事があるとついつい全て抱え込んで、やりたくなる気持ちもわかりますが、5年後10年後を想像してみてください。健康あってこその仕事です。

私は45歳になって、ランニングを始めました。まわりに走っている人が多かったのがきっかけです。はっきり言って、「楽しそう」「気持ちよさそう」「格好いいな」といったミーハー的なきっかけでした。走っている人のライフスタイルに憧れたのです。

最初は仕事のためという意識はありませんでした。格好いいファッションから入っていくようなものです。しかし、走り始めてまだ2年しか経ちませんが、走ることの重要さを身に染みて実感しています。

健康は、仕事をするうえで最低限必要なものだという見方もありますが、私はそれ以上のものだと思っています。私に言わせれば、「健康=仕事」です。

体と心は一つなのですから、仕事と健康を分けて考えることなどできません。

よく「そんなに走る時間を取って、仕事に悪影響がありませんか?」と聞かれます。そういう質問をしてくる人は、健康が仕事に与える好影響について、あまり理解していないのでしょう。

「急がば回れ」ではありませんが、体と心の健康なくして、いい仕事はできないのです。走っていないと、結果的に能率の悪い仕事をすることになります。経営者に走る人が多いのも、そのことを本能的に、もしくは経験上わかっているからなのです。

これは、両方を体験してみないとわからないことでもあります。まったく運動をしない人は、自分の心と体が不調であること自体に気づきません。ストレスがなくて、体も健康というものすごく気持ちのいい状況で仕事をしたことのある人にしかわからない感覚です。

走ることで、確実にストレスは解消されます。「確実に」と言いましたが、実は常に走っていると、ストレスが解消されていることにさえ気づきません。逆に、ストレスが溜まっていることにも気づきません。両方を比較して、はじめて気づくのです。

走り始めると、徐々にストレスが解消されるわけですが、「徐々に」ですから気づかない。どういうときに気づくかと言うと、仕事の都合でどうしても走れない日が一週間ほど続いたときです。どこか体調が悪くなって、機嫌も悪くなる。何かがおかしいと感じたとき、「あぁ、やっぱり走らないとダメなんだ」と気づくのです。

「なぜ、毎日走るのですか?」という質問に対して、今では「走るのは仕事ですから」ときっぱり答えられるようになりました。

悪化すると‌3つねにストレスを抱えた状態が続く

「自分でやった方が早い病」は心の病も引き起こします。

ストレスは万病のもとです。まわりの人や部下に対して「なんで、もっと働いてくれないんだ!」「なんで、俺はこんなにやっているのにわかってくれないんだ!」と思ってしまう。上の人間にも「なんで、もっと評価してくれないんだ!」「なんで、もっと優秀な部下をつけてくれないんだ!」と不満が募る。これは大きなストレスです。

自分では一生懸命仕事をしているつもりでも、まわりとの乖離が大きくなっていけば、ストレスを抱えてしまうのは当たり前。心を壊すのは必然なのです。

私もうつ病になったことがあります。リクルートではじめて課長になったとき、たった半年で課長を降りるはめになったころです。

課長を降りて、いちプレイヤーに戻る前、私は会社に行くのが怖くて怖くて仕方がありませんでした。会社に内緒で病院に通っていました。課長というリーダーの資質を理解していなかった私は、年上の部下との間で亀裂が生まれ、自分の言うことを聞いてくれない部下との関係が泥沼化していました。

自分のやり方を部下に押し付けようとしていたし、年上のベテラン・メンバーに対する接し方も間違えました。

メンバーの気持ちやチームの状態など考えず、私のリーダーシップは、ブレにブレていました。それでは、部下から不信感を持たれるのは当然です。チームを一つにまとめられないストレスは、確実に私の心を脅かしていったのです。

幸いにして、私はうつ病から立ち直り、現場に復帰することができましたが、そのようなケースはあまり多くないかもしれません。一度うつ病になると、なかなか復帰することが難しいのが実情です。

心の病は体の病と違い、まわりも気づきにくいものです。「自分でやった方が早い」と言って仕事を抱えることが多い人は、一度立ち止まって考えてみるといいでしょう。

悪化すると‌4つねに「誰かのせい」にして
生きることになる

まわりがやってくれない。上が評価してくれない。こうした「くれない病」の原因は、他人に矢印を向けているからです。

「自分はこんなに頑張っているのに」という思いの裏で、「会社が悪いんだ」「上司が悪いんだ」「部下が悪いんだ」と思っているのでしょう。中には、「業界が悪いんだ」「社会が悪いんだ」「景気が悪いんだ」と考えている人もいます。

うまくいかない原因を他人のせい、環境のせいにしているのです。問題を他人のせいにすることで、自分を肯定しているのです。

 そのため、「まわりの人が使えないから、自分でやった方が早い」という思考回路になります。他人に矢印を向けていると、いつまで経っても「自分でやった方が早い病」から抜け出すことができません。気づくことすらないでしょう。 

自分の能力を過大に評価している人は、自分に矢印を向けません。私も経験がありますが、絶好調で天狗になっているときほど、他人に矢印を向けてしまいます。

それでも、うまく行かなくなったとき、自分に矢印を向けられればいいのですが、成功体験が邪魔をして、どうしても他人に矢印を向けてしまうのです。

成長できる人は、素直な人です。素直だからこそ、上司や先輩のアドバイス、お客様の意見などを吸収して成長していきます。何か問題が起これば、「自分に落ち度があったんじゃないだろうか」「自分がどうすれば、もっとチームは良くなるだろうか」と考える。素直な人は、人から何かを言われたとき、それをすべて素直に受け止める人。自分はまだ未熟だと謙虚に受け止められる人です。

トッププレイヤーとして成長できたのは、おそらく最初は素直だったからでしょう。それが、いつの間にか天狗になってしまい、素直さを失ってしまった。そういう人は、「自分でやった方が早い病」の重症患者になってしまいます。

悪化すると‌5気づけばまわりから
人がいなくなっている

「自分でやった方が早い」という状況が続くと、仕事は全てあなたのところにやってきます。するとまわりの人たちには当然ながら仕事がなくなります。自分は必要ない、と感じたまわりの人たちはどうするか。離れていきます。

あなたが上司であれば、自分の部下が一斉に辞める、という状況も現実のものになるかもしれません。

「あれだけ育ててやったのに、裏切られた!」「ノウハウと顧客を持っていかれた!」と激高する人もいるでしょうし、「慕われていると思っていたのに」と落胆する人もいるでしょう。

私も、これに近い体験をしました。知り合いの社長さんの中にも、同じような体験をされた方がいらっしゃいます。新入社員が全員辞表を持って来たケースもあれば、幹部が全員辞表を持って来たという悲惨なケースも聞きました。

本人にとっては、部下を育てていたつもりであっても、実際はほとんど育っていなかった。自分は慕われていると思っていたのに、実際は慕われていなかったのです。

「私はまわりに仕事をお願いもしているし、ちゃんと任せている」と思っている人でも、実は「自分でやった方が早い病」だったというケースも多くあります。方向性はあなたが決めて、残りの「誰でもできるような作業」をまわりの人にふってはいませんか? これは隠れた「自分でやった方が早い病」です。まわりの人に仕事を任せているようで、実は自分の成功のために利用しているだけなのです。

このあたりの「仕事をふる」と「仕事を任せる」の違いは難しいところなので、後ほど詳しく説明しますが、まわりの人を尊重して、まわりの人がやりがいを持って仕事をしていない限り、いくら他人に仕事をしてもらっていたとしても「自分でやった方が早い病」に変わりはないのです。気づけば、任せられる人がまわりから誰一人いなくなる。そんな状況がいつかやってきます。

悪化すると‌6笑顔と余裕が消える

私は仕事上、あらゆる業種のあらゆる社長にお会いすることがありますが、伸びている会社の社長さんには共通点があります。「忙しい」と言わない。また、いつも余裕があって、ニコニコしている、ということです。

伸びている会社ほど仕事は多いはずなのに、そのトップである社長が余裕の表情を浮かべている。この謎ももちろん「自分でやった方が早い病」が絡んでいます。伸びている会社のリーダー、マネージャーはきちんと任せることができているのです。

私が社長になりたての頃、こちらが忙しそうにしていると「なんだ君は、まだ自分でやっているの? 自分でやった方が早いと思っているの? それは根本的に間違っているよ。やり方を変えないといけないよ」とアドバイスされたことがありました。

実は私は最初、そういう人のことを少し馬鹿にしていました。もしくは、同じレベルだけれど、タイプが違う人なのだろう、と思っていたのです。

「俺はプロフェッショナルとして、自分でやっているけれど、この人は自分でできないから人の神輿みこしに乗っかっているんだ。古いタイプのマネージャーだな」と思っていたのです。さらに、「この人は、いずれ使いものにならなくなるだろう。時代に取り残されるガラパゴスのような人だな。自分は時代の最先端を行っている新しいタイプのマネージャーだ。プレイヤーとしても、マネージャーとしてもプロフェッショナルだ」とも思っていました。

しかし、実はこの人は、一段上のレベルにいたのです。

これからの新しい時代でも、人をうまく使ったり、人をうまく育てたりすることは、当然求められるわけです。いや、その価値がますます高くなってきています。私は大きな勘違いをしていました。私の考え方のほうが古かったのです。

社長やリーダーが徹夜したり、休日出勤したりしてせかせかしているような会社はどこかに問題があると思って間違いないでしょう。

悪化すると‌7まわりは使えないと思っている人ほど
使えないと思われている

「自分でやった方が早い病」の上司のもとで働く部下はかわいそうです。仕事は任せてもらえないし、認めてもらえない。新しい事業を開始する余力がないので、いつまでも同じような仕事ばかりが続く。また、上司が部署の手柄を独り占めしているので、不満も爆発寸前かもしれません。

上司がバリバリのプレイヤーで、業績を上げているのであれば、まだましなほうです。部署として評価されていれば、わずかであっても承認欲求が満たされます。上司の役に立っている自分に満足している可能性もあります。ただ、上司は部下のことを手足としか思っていないので、本当の意味で承認欲求が満たされているとは思いませんが。

悲惨なのは、上司が第一線から外れてしまったとき。どんなに優秀な人であっても、いつまでも現場の最前線で働くことはできません。歳を重ねるごとに、時代感覚がズレていきます。その時代の若い人にしか備わらない「センス」もあるでしょう。時代感覚が鈍くなっていくのですから、「俺様上司」がいる部署の業績は、いずれ落ち込んでいきます。その陰で、部下は上司の悪口を言うようになるのです。「あの上司は使えない」と。上司にとっては、「部下が使えない」と思っているのかもしれませんが、逆に部下からも同じようなことを言われているのです。

コンサルタントとして組織診断をするとき、上司と部下にそれぞれインタビューを行います。すると、うまくいっていない組織の上司は「うちの部下は本当に使えないやつばっかりで、仕事をしないわりには文句ばかり言うし、遊んでばかりいる」と、部下の悪口を言います。部下も同じように、「本当に上司はわかっていない。仕事も自分で抱え込んでしまうし、何も教えてくれない。自分から何かやろうと提案しても、『そんなやり方はおかしい』と否定されるし、自由にさせてくれない。あんな上司のもとではやってられません」と上司の悪口を言います。上司は部下のせいにするし、部下は上司のせいにする。お互いにお互いを攻撃しているわけです。

悪化すると‌8いつまでたっても
優秀な人が現れない

「自分でやった方が早い病」の典型的な症状の一つに、前項で述べたような「まわりのせいにする」「部下や上司の悪口を言う」ということがあります。よって「あいつは使えない」「経営者はわかっていない」ということが口癖になっている人は要注意です。

相手を攻撃したり、人の悪口を言ったりすると、それはすべて自分に返ってきます。それは、もう自然の法則です。他人のせいにばかりすることは、一方で自分を痛めつけていることに他ならないのです。

だから、「あいつは使えない」と部下の悪口を言っている人は、部下からも同じことを言われているだろうし、「経営者はわかっていない」と悪口を言っている人は、経営者から「あいつはわかっていない」と自分のことを言われているはずです。

この病にかかっている人は、平気でまわりの人の悪口を言います。まるで自分は違うと訴えたいかのように、堂々と言います。嬉しそうに、ドヤ顔で言う人もいます。

しかし、勘違いしてはいけないのは、まわりの人のレベルは自分のレベルだということ。自分のレベルが高くて、まわりのレベルが低いと思っていること自体が勘違いです。

優秀な人が集まって来ないのは、あなたが優秀なリーダー的存在ではないからです。ろくでもない部下しか集まって来ないのは、あなたがろくでもないリーダーだからです。

私も、最初は勘違いしていました。「なんで優秀な社員が来ないんだ。なんで俺はこんなに不幸で運が悪いんだ」と思っていました。今だから言えますが、私自身に魅力がなかったから、優秀な社員が集まって来なかったのです。

断言しましょう。今いるメンバーが現時点でのベストメンバーです。自分の実力でのベストメンバーは、もうすでに揃っているのです。

多くの管理職者は「今いるメンバーは二軍だ、三軍だ。早く一軍を集めて勝負したいな。どうやって入れ替えるかな」と思っているかもしれませんが、「今いるメンバーが一軍であって、このメンバーが最高なんだ」と思わない限り、ゲームは始まりもしません。

悪化すると‌9誰も信頼できなくなる
誰にも信頼されなくなる

病が悪化してくると、まわりの人との溝が深まっていきます。会社であれば、上司と部下との溝がより大きくなっていきます。信頼関係はズタボロになってしまうでしょう。

もともと、「自分でやった方が早い病」の人は、まわりの人のことを信頼していません。信頼していないから、仕事を任せられずに自分でやってしまうのです。

人を動かす立場の人の仕事は、信頼関係を作ることだと言っても過言ではありません。

厳しいことを言っても信頼が壊れないだけの関係を作っておかないと、厳しい要求ができないのです。

信頼関係の崩壊を怖れているために、本当のことを言えなかったり、大変な仕事をお願いできなかったりしたら本末転倒です。

「まわりに遠慮してしまって、無理なお願いができない」という人もいますが、「遠慮」というきれいな言葉でごまかしているだけで、本当はお互いの信頼関係が築けていないだけだったりします。

信頼関係が構築されている関係であれば、厳しいことを言っても信頼は崩れません。だから、お互いに厳しいことでも言い合うことができます。

「自分でやった方が早い病」の人は、信頼関係が希薄といった前提があるわけですが、病が進行していくにつれ、わずかに残っていた信頼関係もゼロになってしまいます。

「信頼」などという言葉を使うのは照れくさいですが、やはり信頼は大切です。コンピュータであれば、要求したらそのとおりに仕上げてくれますが、人間には心があります。Aさんに言われた「これやっといて」とBさんに言われた「これやっといて」では、結果も違ってくるのです。信頼している人であれば素直にその要求に応えようとしますが、信頼がなければ、反発するだけです。

誰も信頼できず、誰にも信頼されない世界。考えただけでも悲しく寂しい世界です。「自分でやった方が早い」の成れの果てはこうした世界なのです。

悪化すると‌10仕事が途切れると、年賀状も来なくなる

会社を退職したときほど、人間関係の希薄さを思い知らされることはないのではないでしょうか。

たとえば、退職したら、年賀状の数が激減したという人も多いと思います。結局、同じ会社に勤めていたから、取引先だったからという理由で、人は懇意にしてくれていたのです。それは、「◯◯社の◯◯さん」という社名や肩書きにしか価値がなく、あなた自身には価値がないと言われているようなものです。

これほど寂しいことはありません。会社を退社しても、付き合いが続くような信頼関係を築きたい。誰でもそう思うのではないでしょうか。

私にも、そういった元部下が少なからずいます。我が社を辞めて次の会社に行っても、連絡をしてくれて、新しい会社で活躍している旨を報告してくれたりします。

また、何か悩みごとがあると、「小倉さん、相談したいことがあるので、ごはんでも行きませんか?」と言ってくれる元部下もいます。上司部下の関係ではなくなっても、そうやって相談に来てくれるのは、やっぱり嬉しいですし、彼のために何か力になってあげたいと思います。

もちろん、何の音沙汰もない元社員も多数います。その違いは、その社員の性格による部分もあるかもしれませんが、実感としては、より強い信頼関係を築けたかどうかにかかっているのだろうと感じます。

私の友だちが、メルマガで高校時代の恩師の話をしていました。

高校時代の彼は、人間関係が苦手で、生意気だったそうです。合唱部の部長をしていたのですが、一人で空回りして、仲間とうまくいっていなかった。まわりから「あいつは自分勝手で、わがままなやつだ」と言われていたようです。

ただ、恩師だけが、「お前は大丈夫だ」と言ってくれた。他の生徒は、その先生から怒られていたけれど、彼には怒らないで励ましてくれたのです。

その先生は、まわりの仲間にも「あいつは、ちょっと誤解されるところもあるけれど、いいやつだから」と陰で言ってくれていたそうです。

そのことを大人になってから知ったのですが、お礼も言えずに、ずっと心のどこかに留めていたわけです。「ああいう先生みたいに自分もなりたい」と。

そう思っていたとき、その先生が亡くなられたことを聞きます。先生のお葬式に駆けつけてみると、先生の代々の生徒が全国からたくさん集まっていました。かつての同級生たちと話してみると、自分だけではなく、みなその先生に救われていたことがわかったのです。

自分だけが特別視されていたわけではなく、すべての生徒を先生は温かく見守ってくれていたことに、彼は何とも言えない感動を覚えたと言います。

自分の葬式にどのような人が来てくれるか

それは、よく言われることではありますが、どれだけ自分の人生が豊かであったかの証明でもあります。

残念ながら、自分の葬式を自分の目で見ることはできませんが、その一つの象徴が、退職後の年賀状に現れているに違いありません。

「自分でやった方が早い病」の人は、この先生とはまったく逆の状況になってしまうのではないでしょうか。

退職すれば、誰も連絡してきてくれないし、年賀状も送られてこない。自分の葬式に全国から駆けつけてくれる人もいないし、ひょっとしたら孤独死という最期を迎えるかもしれません。

定年後は、孤独で寂しい日々を送ることになるのではないでしょうか。

第2章病を克服すると「幸せな成功者」になれる

克服すると‌11人の100歩ではなく、
100人の1歩で進むことができる

前章では、「自分でやった方が早い病」にかかってしまうとどうなるかを述べてきました。少々気が重くなる話が続いてしまいました。

病の治し方は、第4章に委ねるとして、本章ではもう少し明るい話をしたいと思います。病が完治すれば、どのような幸せな人生が待ち受けているのか、という話です。

少しでも気を楽にしていただき、「病を治したい!」というモチベーションを高めてもらえればと思います。

まずはチームや組織という視点から、どういう「いいこと」があるのかを見ていきましょう。

たとえば、テーブルがあったとします。もし一本の足しかなければ、当たり前ですが不安定で仕方ありません。一本しかない足が折れてしまったら、たちまちテーブルは倒れてしまいます。それが二本になったとしても、大した差はないでしょう。三本でも四本でも、一本が折れてしまうと、テーブルは崩れ落ちてしまいます。

これは、顧客でも同じことが言えます。取引先の顧客が一社しかなくて、売上の100%を占めていたらどうでしょう。この会社が倒産してしまったら、自分たちの会社も共倒れになります。これほどリスクの高い経営はありません。それが二社でも三社でも、状況は変わりません。

同じ1億円の売上であっても、一社から1億円の売上を上げるよりも、極端な話、一億社から1円ずつ売上を上げるほうが、会社としては安定します。当然ですが、安定するだけ、後者のほうがより難易度が高くなります。

では、組織ではどうでしょうか。

やはり、組織でも同じことが言えるでしょう。一人だけが百歩進むよりも、百人が一歩ずつ進んで、全体として百歩進むほうがいい。そのほうが、圧倒的に会社は安定します。単なる業績の安定だけではありません。メンバー全員の心の安定にもつながります。

よく言われることですが、会社の経営には二つの車輪があります。

一つは「外部環境適応」。外部の環境に適応してビジネスをする。要するに、お金儲けのための商売です。

外部の環境というのは、経済環境や顧客の環境、業界の環境など、ありとあらゆる環境のことを指します。これらの環境は日々変わっていきますから、その変化した環境に適応しながら戦略を考えたり、商品やサービスを変更したりする。

外部環境に適応しながら、あらゆるものを変えて、ビジネスを生き長らえさせることが、一つ目の経営の車輪です。

二つ目の車輪は「内部組織統合」です。外部環境に適応するためには、必ず人が動く必要があります。外部環境に合わせて人を動かすためには、内部組織の統合が不可欠なのです。

たとえば、社長が「右に行け」と言っても、誰も右に動かなければ意味がありません。そのために、モチベーションを上げたり、信頼関係を築いたり、教育をしたり、採用をしたりなど、あらゆる手を打つわけです。

この二つの車輪がなければ、会社は回らないということです。

そういう意味で言うと、一人の百歩よりも、百人の一歩のほうが、両輪がうまく回る仕組みになっていると言えます。

外部環境適応で言えば、百人が一歩を踏み出しているのですから、変化の激しい外部環境に適合しているでしょう。業績が安定していること自体が、うまく適合している証拠です。

内部組織統合のほうも、うまくいっているに違いありません。組織をみんなで回しているわけですから、スムーズに社員は動いてくれるはずです。外部環境適応よりも、こちらのほうが、車輪としてより強いかもしれません。

この二つの面において、一人の百歩よりも百人の一歩の会社のほうが、安定した業績を残すことができますし、長い期間成長し続けることができると言えます。

克服すると‌2まわりがデキる人だらけになり、
大きな仕事ができるようになる

「自分でやった方が早い」を続けると、仕事を通じて得た知識やノウハウはあなたの中に蓄積し続けます。これは一見いいことのように思えますが、逆に言えば「あなた以外の人には誰一人、知識もノウハウも溜まっていかない」ということになります。

「自分でやった方が早い病」のまま、仕事をやり続けると限界がやってきます。あなただけでやれる仕事の範囲で止まるのです。あなた自身の力は高まっていき、少しずつその範囲は広がっていくのかもしれませんが、確実に限界はあります。

一方、まわりを動かす力を身につけると、その範囲は無限大になります。一緒に仕事をすることでまわりの人にもノウハウやスキルが蓄積していきます。あなたとの信頼関係もできますし、あなたとの仕事の仕方もわかってくるでしょう。

するといつしか、まわりには自分のように仕事がデキる人ばかりになります。こうなればもう無敵です。大きな仕事もこなせるようになりますし、厳しくも楽しい毎日が待っているでしょう。打ち上げもきっと楽しいはずです。

たとえば、あなたが一本の釣竿で魚を釣っているとします。どれほどスキルを磨いたとしても、釣れる量に限界は訪れます。そこで仲間にも釣り方を教えてあげることにしました。最初は、うまくいかずにやきもきしますが、いずれ仲間も一人の力で釣れるようになりました。すると今度は目の前にクジラが現れました。「クジラを釣り上げてみたい!」そう思ったあなたは仲間を集めて大きな網をつくることにしました。

あなたは仲間と大きな網でクジラをも捕まえることに成功します。釣竿一本とあなた一人の力では決して手に入れることのできなかったクジラをみんなで捕まえることができたのです。

たった一度の人生です。一人でシコシコと釣りを続けるのも人生。否定はしません。しかし、仲間と力を合わせたり、スキルやノウハウを分け合うことでとんでもない大きなものを手にすることもできるのです。

克服すると‌3友達もお金も増える!
昇進、昇給できる!

あなたがこの本を通じて生まれ変わって、「自分でやった方が早い病」を克服できれば、次に待っているのは会社からの評価と昇進でしょう。

逆に言えば、この病を放置しておけば、ダメな評価と降格が待っています。

今が、どちらに転ぶかの瀬戸際です。病を治せば、会社(組織)もあなたも幸せになれる。あなたは、どちらを選びますか?

病に冒されたままのほうを選択すると、この先数年はいいかもしれませんが、その後は評価が下がって、降格になるかもしれません。居場所がなくなって、会社を辞めざるをえないかもしれません。

しかし、病を治す選択を下せば、あなたの評価は上がりますし、昇進もついてきます。結果的に給料も高くなるでしょう。信頼できる部下に囲まれて、いきいきと楽しく仕事ができるに違いありません。上司や部下に対する不満もなくなるので、ストレスを溜め込むことはなくなります。心身ともに健康でいられるようになります。

昇進することで、新しい仕事、大きな仕事をすることができますし、承認欲求も十分に満たされるでしょう。充実したビジネスライフを描けるということです。

プライベートも充実したものになるでしょう。仕事で知り合った仲間と、より親しい関係になるでしょうから、生涯の友だちに恵まれます。

会社の業績に比例して、給料も上がるでしょうから、老後の不安を抱えることもありません。好きな場所に好きな家を建てて、好きな車に乗ることも夢ではないのです。

そして、会社を定年退職しても、あなたを慕ってくれる人から連絡が来ます。毎年たくさんの年賀状が送られてくるのではないでしょうか。

ちょっと大げさに書きすぎましたが、端的に言えばそういうことです。自分でやった方が早い病を克服する、ということは、「自分の力だけで自分だけが成功する」のではなく「みんなの力でみんなで幸せになる」ということなのです。

克服すると‌4働くこと自体が幸せなことと
思えるようになる

日本理化学工業という会社があります。

大山隆久社長の日本理化学工業は、障がい者雇用率70%という会社です。10人に7人が知的障がい者なのですから、慈善事業で障がい者を雇っているわけではないことは容易に想像できます。どういう経緯があったのでしょうか。

大山さんが常務に就任したとき、養護施設から「知的障がい者をぜひ採用してほしい」と言われたそうです。最初は断ったそうなのですが、どうしてもと頼まれて、仕方なく二人の女性を採用しました。

あまり期待せず、試しに採用したわけですが、この二人がものすごく働いたそうです。昼休みになっても仕事をする。就業時間が過ぎても頑張る。「仕事を止めてもいいよ」「帰ってもいいよ」と言っても、ずっと仕事をしているのです。

「何でそんなに頑張るんだろう?」と大山さんは思ったそうです。彼女たちは、別に仕事をしなくても生活できる立場です。施設に戻れば、食べるものも提供されるし、テレビを見て自由に過ごすこともできます。それなのに、しんどい思いをしてまで働く理由が大山さんにはわからないでいました。

悩んでいた大山さんに、禅寺の導師(お坊さん)が「人には四つの幸せがある」ことを教えてくれたそうです。

それは、①「人に愛されること」、②「人にほめられること」、③「人の役に立つこと」、④「人から必要とされること」の四つです。

その導師は、②と③と④は、仕事を通じて得られることであって、逆に仕事でないと手に入れにくいものであると言いました。つまり、仕事というのは、幸せを手にすることに他ならないわけです。

大山さんは目からうろこが落ちたそうです。障がい者の人たちを助けるためには、お金を寄付することよりも、働く機会をつくることのほうが大事であり、仕事があること自体が一番の幸せである、と。彼ら彼女らは、働きたくてしょうがない、社会に参加したくてしょうがないと思っていることに気づいたのです。

それから、大山さんは会社の大改革を始めました。今ある仕事に障がい者たちを合わせるのではなく、障がい者たちに今ある仕事を合わせようと考えたわけです。

たとえば、知的障がい者ですから、秤で質量を量ることができません。5キログラムと言われても、数字すらわからないのです。しかし、青と赤といった色であればわかる。ならば、青いものをここに入れるというように、知的障がい者でもわかるように、業務のシステムを全面的に改革していったのです。

そこから大山さんが学んだことは、次のようなことです。

「私たちは、仕事を生活するうえで必要なお金を稼ぐものとしか捉えていない。でも、仕事そのものが素晴らしいチャンスであって、生きていくうえでこれほど幸せなことはない。彼ら彼女らは、仕事がしたくてしょうがない。私たちは逆で、仕事を面倒くさいものだと思っている。それは、ものすごく恥ずかしいことなんだ。私たちが働けること自体、すごくありがたいことなんだ」と。

「自分でやった方が早い病」の人は、この幸せを自分から手放しているようなものです。確かに、人にほめられ、人の役に立ち、人から必要とされているかもしれませんが、それは自分と顧客の間だけの狭い範囲のものです。

その関係を自分の部下や仲間に広げると、喜びと幸せは倍増していくのです。「してあげる幸せ」に気づけば、ますます人にほめられ、人の役に立ち、人から必要とされるということになります。

この病を治すことができたら、この上ない幸せを味わえる。おそらくあなたが今までに体験したことがないような、素晴らしい幸せが待っているのです。

克服すると‌5より大きな幸せを
感じることができる

かつての私は、リーダーにもかかわらずプレイヤーとして前面に出すぎていました。最初は部下に任せるわけですが、途中で我慢できずに割って入って、口出しをしてしまうのです。部下が合格ラインに達していないと「もういい。自分でやろう」と考え、最終的には自分が全て仕事をこなしていました。

そのような状態が、会社を起ち上げてから4〜5年くらいは続いたでしょうか。

お客様からは「小倉さん、すごいね。おかげでうちの会社は順調ですよ!」と言っていただけていたので、私はとても気持ち良くなっていました。

しかし、それは幸せを「独り占め」しているだけだったのです。

途中で仕事を奪われた若手社員は、敗北感を味わっていたことでしょう。下手をしたら、私は社員の敗北感を楽しんでいたみたいなところがあったかもしれません。「俺はすごいんだ」と実感するために、若手社員を比較材料にしていたようなものです。もちろん意識していたわけではありませんが、今から考えれば、そういう部分がなかったと否定することはできません。

結局、当時の私は小さな幸せ、小さな自己満足で終わっていました。なんとも寂しくちっぽけな幸せです。

一方で、自社の社員の幸せは一切考慮していませんでした。それでは、心から幸せを感じることはできません。会社に戻ると、暗い顔をしている社員がいるのですから、当たり前のことです。

「自分でやった方が早い病」を克服すると、自分やお客様だけではなく、まわりの人たちも幸せになります。まわりの人たちが幸せだとさらに自分も幸せを感じることができます。いいスパイラルができあがるのです。自分だけが幸せを抱え込んでしまうと、それは徐々にしぼんでいきます。しかし、まわりも幸せだと、自分の幸せは膨らんでいきます。幸せはどんどん大きくなっていくのです。

克服すると‌6自分がほめられるための仕事ではなく、
本当の仕事ができる

前項で述べた「幸せの輪が広がっていく」というのは、言葉では表現しにくいのですが、モードが変わったような、まったく別の段階の世界に足を踏み入れたような感じがします。

お客様に対する考え方も変わります。「自分でやった方が早い病」だったかつての私は、どちらかと言えば「自分のために」仕事をしていました。自分が気持ち良くなることが、仕事の第一義だったのです。しかし、「幸せを独占しない」「自分のために仕事をしない」ことに気づくと、お客様に対する姿勢が変わってきたのです。

自分が認められたくてしていた仕事と、心からお客様に貢献したくてする仕事は、一見似ているけれども、まったく異なります。

たとえば、コンサルティングの仕事で言えば、通常「コンサルタントがするべき仕事」と「顧客である会社がするべき仕事」は分けて考えます。その境界線を線引きしておかないと、責任の押し付け合いになってしまうからです。

コンサルタントは部下の育成方法やノウハウは伝えるけれど、それを実行するかどうかはお客様次第です。私たちは毎日一緒にいられるわけではないので、そこまで踏み込むことはできません。それはお客様の会社の経営者や管理職の方の仕事なのです。

「自分でやった方が早い病」のときの私は、自分がほめられることが大切でしたから、クライアントは二の次でした。コンサルタントの仕事はやったのだから、あとはそちらの問題でしょう。そういう感じでした。しかし、そんな仕事を続けていてもちっぽけな自尊心がくすぐられるだけで幸せは感じられなかったのです。

そこでコンサルタントとクライアントの仕事にきっちりと線を引かずに、本当にお客様の会社が良くなるように少しずつ関わりを増やしていきました。すると、心からクライアントのために仕事ができるようになれたのです。自分のためではなく、本当の仕事ができた瞬間でした。

克服すると‌7卑しい損得勘定から卒業して、
心の充足感が味わえる

以前の私は、クライアントとの境界線を明確に引いていました。表面的な理屈で「これは私の仕事ではない」と言って、正直楽をしていた部分がありました。

しかし、「この人のために何ができるだろう」と考えたとき、その境界線を越えすぎてはいけないけれど、お客様のためならば線を越える方法もあると気づきます。一つひとつの仕事に対して、踏み込みが深くなったのです。

そこには、損得勘定が存在しません。たとえ自分の得にならないようなことでも、踏み込んでいけるようになるのです。

私もそうでしたが、誰でも損得勘定で仕事をしている部分があると思います。「この人と話していても得はないな」「この人と知り合いになってもビジネスにつながらないな」と思うのは当然です。

損得勘定というのは、ある意味ビジネスの基本ですから、ビジネスにつながることを優先するのは当たり前です。だから、損得勘定で仕事をすることを否定するわけではありません。

ただ、「してあげる幸せ」の世界に入っていくと、損得ではない判断軸になっていくのです。綺麗ごとに聞こえるかもしれませんが、本当にそうなのです。

だからと言って、損をするわけでもありません。目先の得を捨てたことによって、長期的な得を手に入れると言ってもいいでしょう。

100%慈善事業をすればいいと言っているわけではありません。私の会社もそうですが、それほど余裕がある会社はないでしょう。0か100ではなくて、ちょうどいいバランスが間にあるのです。

結局、「自分でやった方が早い病」の人は、損得勘定で仕事をしている人です。しかも、自分だけの得を考えたり、自分だけの気持いいことを考えている人です。

この病を克服した瞬間、目先の損得よりも、もっと重要なことがあることに気づきます。それは、後々あなたに必ず返ってきます。たとえ返ってこなくても、心の充足感は味わえるに違いありません。

一段上の幸せを味わうことができますし、人として一段上のステージへの成長につながります。少なくとも、何ごとも損得勘定で考える癖はなくなるでしょう。損得勘定で人づき合いをすることほど、傍から見ていて卑しいことはありません。

これまで述べてきたように、「自分でやった方が早い病」を治すことは、単純にまわりの人や部下に仕事を任せられるようになるレベルの話ではありません。総じて言えば、人として成長していくという大きなレベルの話であることがわかってもらえたでしょうか。人として成長することは、もちろん仕事だけの話ではなく、あなたの人生をより豊かなものへと導いてくれるのです。