僕たちのゲーム史

さやわか

はじめに なぜ「ゲームの歴史」が必要なのか

もう『スーパーマリオ』は生まれないのか?

今から僕がお話しするのは、「ゲームの歴史」についてです。

しかしそもそも、なぜ僕はゲームの歴史なんて語ろうとしているのでしょうか? 読者の皆さんがそれを読んで、どんな価値があるのでしょう? まずはそれを説明しましょう。

僕がこの本を書こうと思ったきっかけは、すごく単純な疑問を抱いたからでした。それは、

『スーパーマリオブラザーズ』のようなゲームは、どうして生まれなくなったのだろう?

という疑問です。

『スーパーマリオ』がどういうゲームなのかについては、今さら説明する必要もないでしょうね。1985年に発売されて、日本国内で680万本以上、全世界で4000万本以上を売り上げたと言われる、驚異的なゲームです。単体で発売されたゲームとしては世界一売れたものとしてギネスブックにも登録されましたし、もちろん日本国内でのゲームソフト販売本数でも第1位です。

ちなみに第2位は2006年に発売された『Newスーパーマリオブラザーズ』の634万本で、やっぱり『スーパーマリオ』です。ほかに日本人にとってなじみ深いゲームとしては『ドラゴンクエスト』がありますが、これは今のところ2009年に発売された『ドラゴンクエストⅨ』の435万本がシリーズ最大のヒット作になっています。

それだってかなりすごい数字ですが、『スーパーマリオ』はさらに売れたというわけですね。発売された当時には社会現象と言われるほどのヒット作でしたし、それから25年以上経った今なおプレイする人が絶えないゲームでもありますから、これはもう、人類史に残るような名作と言ってもいいかもしれません。それだけ有名な作品ですから、普段あまりゲームをやらない人だって、その画面くらいは見たことがあるのではないでしょうか。

そうそう、ここで言う「ゲーム」というのは、もちろんコンピュータゲームのことです。ようするにプレイステーション3(PS3)とか、ニンテンドーDSとか、ああいうやつですね。

「ゲーム」という言葉の意味は、本来なら「遊び」です。でも最近では、こういうコンピュータゲームを指すことが多いですよね。それだけコンピュータゲームが人々にとって親しみ深い娯楽になったということなのかもしれません。「ゲーム」という言葉の意味を変えるほどコンピュータゲームがポピュラーなものになったのは、間違いなく『スーパーマリオ』のような大ヒット作の存在があったからでしょう。

しかし、近年ではそういう作品は生まれていません。販売数が多くても、社会現象と呼ばれるほどの注目を集めることは少なくなりました。

「ゲーム離れ」する大人たち

しかも「最近のゲームはつまらなくなった」とか「あまりゲームをプレイしなくなった」という人も見かけます。ようするに、昔はよくゲームで遊んだという人が、どうも今のゲームをやる気がしないと言うわけです。

そのことはゲーム業界の人たちも理解しているようです。2003年に、任天堂の社長である岩田聡いわたさとしさんは「東京ゲームショウ」の会場に集まった人に対して「日本のゲーム市場ではゲーム離れ現象が進行している」と語りました。

だからこそ任天堂はその後、ゲーム離れを食い止めるためにニンテンドーDSやWiiという、従来のゲームとは違った遊び方のできるゲーム機を次々に発売したのです。

その試みはある程度成功したと言っていいでしょう。タッチペンを使ってプレイヤーの「脳年齢」を向上させるという触れ込みの『脳を鍛える大人のDSトレーニング』や、スティック型のコントローラを振り回してテニスや野球などが楽しめる『Wiiスポーツ』などのタイトルは、年齢、性別、ゲーム経験の有無を問わず大人気になりました。ゲーム業界全体の売り上げも底上げされて、任天堂は市場規模の拡大に貢献したのです。

でも、よく考えると不思議です。ゲーム離れしていると言われている大人たちだって、昔はゲームでよく遊んでいたはずなのです。30代や40代の人たちなんて、子供の頃にファミリーコンピュータ(ファミコン)が登場し、『スーパーマリオ』や『ドラゴンクエスト』などが社会現象と言われるほどのブームになった、いわば日本ゲーム創生期の「直撃世代」です。ゲームの申し子みたいなものです。それなのに、なぜ彼らは次第にゲームをやらなくなってしまったのでしょうか?

「ゲームは子供向けの娯楽だから」というのは、あまり納得のいく答えではありません。なぜなら、今の世界市場ではゲームのプレイヤーの多くは30代や40代だからです。2010年にNHKで放映された「NHKスペシャル・世界ゲーム革命」というドキュメンタリー番組では、アメリカではゲーム購入者の平均年齢は40歳だと報告されていました。

日本国内でも、たとえば携帯電話でゲームを遊べる「モバゲー」のユーザーの4割は30代以上だと報道されたことがあります。

つまり、大人たちはゲームをやりたくないわけではないのです。おそらく彼らは、むかし自分が興奮して遊んだ『スーパーマリオ』みたいな傑作と今のゲーム、たとえば美麗なムービーをふんだんに使った『ファイナルファンタジーⅩⅢ』が、同じ種類のもの、一つの歴史上にあるものだと、どうしても思えないのではないでしょうか。だから違和感を感じて、最近のゲーム、特にPS3やXbox360などのゲーム機でプレイする作品への興味を失いつつある。

DSやWiiのゲームは「新しい」のか

しかし、逆に考えることもできます。任天堂は「最近のゲームはつまらない」と感じて遊ぼうとしない大人が多いから、違うものを作ろうとしたわけですよね。つまりそれは「最近のゲーム」の流れにないものを作ろうとしたということです。実際、DSやWiiの、タッチペンやスティック型コントローラでの操作は、従来のゲーム機とはかなり異なるものです。

となると、DSやWiiの作品は、ゲームの歴史の上でどう位置づけたらいいのか、よくわからなくなってしまいます。あれは従来的な意味での「ゲーム」として評価していいのでしょうか。もしくは、反射神経や頭脳戦が要求される歯ごたえのあるゲームを追い求めてきた「従来のゲーム」は時代にそぐわなくて、これからはDSやWiiみたいな、従来とは違うゲームだけが人気になっていくということでしょうか。

必ずしもそうとは言い切れません。なぜなら、DSやWiiのヒット以降、すべてのゲームが『Wiiスポーツ』みたいなものに変化していっているわけではないからです。「従来のゲーム」の流れにあるシューティングやロールプレイング、ノベルゲームやパズルゲームだって十分に売れ続けていますし、むしろそういうゲームの方が多い。PSP用の『モンスターハンター ポータブル』などはとても操作が複雑なアクションRPGで、いかにも「最近のゲーム」という感じの作品ですが、2010年に発売されたシリーズ三作目は470万本も売れています。

つまり、DSやWiiはゲームに新しい局面を切り開きましたが、ゲームのすべてを変えてはいません。

ゲームを定義する

つまり今は、何を「ゲーム」と呼ぶのか、またゲームの「面白さ」とは何なのか、一般の人ほどわかりにくくなっているということです。昔と変わってしまったゲームを「つまらない」「こんなものはゲームじゃない」と感じる人がいる。でも、変わってしまったにもかかわらず、今も昔も同じ「ゲーム」というジャンル名で呼ばれて、人気を博している。

でも逆に言えば、それだけ変わってしまったとしても、何か共通している部分もあるから「ゲーム」と呼ばれている、と言うこともできます。

一言でまとめると「ゲームには昔から変わらない部分と、変わっていく部分がある」ということですね。それが何なのかを突き止めることができれば、人々が「最近のゲーム」から失われたと感じているものがはっきりわかるに違いありません。ひょっとすると、「昔のゲーム」と共通する部分を見つけ出すことで、「最近のゲーム」を楽しめるようになるかもしれませんね。

ひいては、この本によって「ゲームとは何なのか」ということが明らかにできるだろうと思います。なぜなら「昔から変わらない部分」を見つけ出すということは、つまり「根幹を成しているものが何なのか探る」という意味だからです。

少し込み入った言い方をすれば、それは「ゲームとは何かを定義する」ということだと言い換えられると思います。

多くの人がゲームについて、「コンピュータで動くものだ」とか「ブラウン管でも液晶でもいいけど、とにかく画面に表示されるものだ」とか「人が操作する娯楽だ」とか「頭を使うものだ」とか「オタクっぽい」とか、いろいろなイメージを持っています。しかし、一言であらゆるゲームを説明できる「定義」は、なかなか思いつきません。そこで『スーパーマリオ』のような過去のゲームとそれ以降のゲームで、共通するものを探れば、「ゲームとは何なのか」という定義を見出せるわけです。

だから僕はゲームの歴史を調べて、ゲームの昔から変わらない部分と、変わっていく部分を探り出すことにしたのです。

ゲームとは「ボタンを押すと反応する」もの

とはいえ、単純に過去のゲームのタイトルを年表のように並べたって、その「変わらない部分と、変わっていく部分」がはっきり見えるわけではありません。でも歴史について書かれた本って、わりとそういうものなんですよね。出来事の前後関係がうまく説明されていたとしても、歴史全体が何のために進んでいるのかわからないことがとても多い。

学校の歴史の教科書なんて、まさにそういうものです。たとえば「大化の改新」と「大政奉還」に一致する考え方があるかどうかなんて、いちいち検討されたりはしない。だから個々の事実にはみんな詳しくなっても、総体としての日本がどんな国なのかはいっこうにわからない。

僕はこの本をそういうものにしたくはありません。だから、最初に結論を書いてしまいましょう。

ゲームの歴史を語りながら僕が説明しようとしている、ゲームの「変わらない部分」と「変化する部分」とは、次のようなものです。僕は以下の2つの点に注目しながら、ゲームの歴史を整理して語っていきます。

  • 変わらない部分ボタンを押すと反応すること
  • 変化する部分物語をどのように扱うか

「なんだ、そんなことか」とがっかりしたでしょうか? 「ゲームを定義する」などとたいそうなことを言いながら、「ボタンを押すと反応する」とは、あまりにも単純すぎると思うかもしれません。

しかし、これこそゲームが他の娯楽と全く異なる、オリジナルな部分です。だからこそ、それを「定義」として挙げることができるのです。

どういうことなのか説明しましょう。

まず、テレビとゲームの違いを考えてみてください。どちらもブラウン管や液晶画面に映し出す娯楽の一種ですが、テレビは常に放送局から番組が送信されてきて、その内容は決まっています。ある番組を1万人が見ると、その全員が同じタイミングで同じ映像を見せられることになります。

ところがゲームの場合、作品をどう体験するかはプレイヤーごとに異なります。プレイヤーがボタンを押すことによって、ゲームの内容が変化します。ほとんどの場合、その変化とはあらかじめプログラムされたものですが、プレイヤーは自分の行動によって画面内に変化が起こったことで、「自分が介入することで作品内容を操作した」という感覚を強く抱きます。

その「操作した」感覚とは、キャラクターが上下左右に移動するだけのことかもしれません。あるいは、選択肢を選ぶことによって物語の筋が変わるということかもしれません。

しかしいずれにしても、テレビのようにブラウン管や液晶画面に映し出された、あたかも変えることができないように見えるものを、「ボタンを押す」ことで変化させることができる。

逆に言うと、テレビ番組の場合、内容を変えることは一切できない。生放送なら放送局に電話をかけたりファクスを送ったりして自分の意志を伝えることができますが、それはゲームのようにボタンを押せば確実に反応することとは違う。

「内容を変えられる」ということ

しかし、こう思う人がいるかもしれません。

「操作すると反応するものなんていっぱいあるじゃないか。たとえば玩具のピアノは鍵盤を叩くことによって音が出たり光ったりする。ならば、それはゲームだと言うのか。あるいは、パソコンでマウスのボタンをクリックするとウィンドウが表示されるのはゲームなのか?」

もちろん、それらはゲームではない、と言うことができます。玩具のピアノやパソコンはどちらも、使用者が操作することによって特定の変化が起こることを前提に作られています。ところがゲームはそうではないのです。画面に映し出されていて、一見するとテレビと同じように「変えることができないもの」に見える。しかしプレイヤーがボタンを押すことで、変えられないはずのものを、「意外にも」変えることができる。これがプレイヤーにとっては新鮮な驚きであり、その驚きの体験こそがゲームの核だと言えます。

それが「ゲームの定義」です。つまり、長いゲームの歴史の中で「ボタンを押すと反応すること」だけは、決して変化しませんでした。ボタンを押しても全く変化しないゲームがあるとしたら、たぶん壊れているか、あえてそのように作ることでゲームの意味を問い直そうとしているに違いありません。

いずれにしても、今からお話するゲームの歴史では、この「ボタンを押すと反応する」ということがどんなバリエーションを持たされてきたか、という点に注目したいと思います。

ゲームに物語は必須ではない

さて、この本の中でもう一つ考えていくのは、さっきも書いたようにゲームの変化してきた部分、すなわち「物語をどのように扱うか」です。

最近のゲームにはストーリーがあるのが当たり前です。プレイヤー自身の行動によって筋書きが変化したり、操作しない時でも迫力あるムービーシーンが挿入されて物語の経過が説明されることも多いですね。

さきほど説明した「変えることのできないものを変える」という話は、ゲームと物語の関係を考える上でも、非常に重要なことです。

一般的に「物語」と言えば、変えることができないのが普通です。映画でも、小説でも、漫画でも、演劇でも、鑑賞する人の意志で筋書きを変えることはできない。

しかし、ゲームは「ボタンを押すと反応する」ものであるがゆえに、話の展開を変えることができるわけです。そこが、ゲームの描く物語の醍醐味であり、他のメディアとは違う、最大の特徴になっています。

ならば、なぜ僕はゲームの定義として「物語を変化させることができるのがゲームだ」と言わないのでしょうか。

答えは簡単で、ストーリーのないゲームもあるからです。たとえば『テトリス』というパズルゲームがあります。80年代に「落ちもの」という新しいジャンルを築いて大ヒットを飛ばし、今でもよく遊ばれているゲームですが、この作品には全く物語性がありません。パズルなのだから当たり前ですね。

ゲームの物語は、プレイヤーが話の展開を変えることができるという大きな特徴があるがゆえに注目されがちです。しかしそれはゲームに必須のことではありません。したがって、「物語を変化させることができるのがゲームだ」と言ってしまうと、物語のないゲームを定義に含めることができません。

またゲームの物語じたいも、表現について工夫を凝らしながら変化を重ねてきました。だからこの本では、「ボタンを押すと反応する」という変化しない部分と、常に変化し続ける「物語をどのように扱うか」ということの両方に注目してゲームを語っていきます。

登場しないけど存在する、僕の好きなゲームのこと

そして付け加えるならば、その過程で僕は、意外な事実に気づくことになりました。

というのも、今から僕が描くゲームの歴史には、僕が個人的に好きなゲームが、ほとんど登場しないのです。

こんな本を書くくらいですから、僕はゲームが大好きです。この本を書くことで、僕の好きなゲームについての熱い気持ちをいっぱい書けるのだろうと、最初はそう思っていました。だけど、それはできませんでした。

具体的に言うと、本書では以下のゲームについて、あえて言及しておりません。

たとえば『魔界村』のような硬派なジャンプアクションの話はありません。対戦格闘ゲームのことが書いてあるのに『餓狼がろう伝説』の名前が出てきません。僕たちの記憶に残っているゲームを中心に扱いたかったので『ポン』のことは書いてありません。ロールプレイングについて書きながらも、大好きな『女神転生めがみてんせい』シリーズの話ができませんでした。ジャレコについては『忍者じゃじゃ丸くん』のことすらも書かれていません。タイトーについてもそうで、あの素晴らしい『ダライアス』の筐体きょうたいについて書くことができませんでした。僕が初めてウェブ上で人と交流したネットゲーム『ロード オブ モンスターズ』のことも書いてありません。『大乱闘スマッシュブラザーズ』『桃太郎電鉄』『アウトラン』『トゥームレイダー』『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』など、かなり重要な作品について語り落としています。僕の好きなアンディーメンテについては『アールエス』の名前すら書いてありません。『平安京エイリアン』『斑鳩いかるが』『プリンセスメーカー』『グラディウス』『鉄拳』など一時代を築いたゲームについて詳しく調べましたが、長すぎるので割愛しました。ほか大切なゲームとしては『ロックマン』『ペルソナ』『コロニーな生活』『ギャラクシアン』『カルノフ』『エースコンバット』『フロントミッション』『テイルズ オブ ファンタジア』『戦国TURB』『Dの食卓』『コール オブ デューティ』『風来のシレン』『逆転裁判』『どうぶつの森』『俺のしかばねを越えてゆけ』『デビル メイ クライ』『探検ドリランド』『ダービースタリオン』『ウイニングイレブン』『実況パワフルプロ野球』『R-TYPE』『ファイナルロリータ』『森田将棋』『MOTHER』『高橋名人の冒険島』『ドルアーガの塔』などこれ以上、挙げてもキリがないですね。

「そんな著名で面白いゲームについて語らずに、いったいこの本は何を書くのだろう?」と思うでしょうか?

その通りかもしれません。でも書き始めて僕はすぐにわかりました。歴史について書くということは、「何を書くか」よりも「何を書かないか」の方が重要なのです。

この本がすべきなのは、僕が好きなゲームを賞賛することでも、人気のあったゲームを順に並べていくことでもありませんでした。僕は「ボタンを押すと反応する」「物語をどのように扱うのか」という2つに注目しながら、各時代を的確に説明できるようなゲームについてだけ、筋道立てて言及していく必要がありました。

そうすることで僕は、結果的にですが、これまで発売されたほとんどのゲームについて「ボタンを押すと反応する」「物語をどのように扱うのか」という大きなテーマによってカバーすることができました。つまり、この本には出てこなくても、僕が個人的に好きなゲームのことはもちろん、過去にあったほとんどすべてのゲームが、そして当時の僕たち自身の姿が、あるいはその記憶が、この歴史の中に息づいています。

ということで、だいぶ前置きが長くなりましたが、次のページからいよいよ本編です。

まずは、この本の発端として挙げた『スーパーマリオ』が、どのような時代背景で作られたゲームだったのかを検証していきます。

第一章 スーパーマリオはアクションゲームではない

スーパーマリオはジャンプアクションなのか?

皆さんは『スーパーマリオ』がどんな特徴を持ったゲームか知っていますか? これだけ有名なゲームですから、プレイしたことがなくても、ある程度のイメージは持っているかもしれませんね。

『スーパーマリオ』は、ジャンルとしてはアクションゲームに属するものだと言われています。アクションゲームというのはつまり、キャラクターを操作して、敵を避けたり攻撃しながらクリアを目指す、反射神経の要求されるゲームです。似たようなジャンルとしては、弾丸などの飛び道具で敵を撃つ、射撃要素のより強調されたシューティングゲームというジャンルもありますね。

アクションゲームの中でも、『スーパーマリオ』はジャンプ操作が特徴的なゲームだと言われることが多いです。そのため「ジャンプアクション」という小ジャンルに分類されることもあります。そして、ジャンプアクションの中でも特に画期的なゲームだったために、後世のゲーム全体に大きな影響を与えたという説明がなされがちです。

しかし、僕は『スーパーマリオ』が「画期的なジャンプアクションだった」という説明だけでは足りないように思います。

なぜかというと、このゲームが開発された当時に「ジャンプを主体としたアクションゲームとして画期的なものにしよう」とだけ考えられていたわけではないからです。

さらに言えば、実は発売された時に、このゲームはアクションゲームとしては売られなかったのです。つまり、

  1. ジャンプアクションとして作られたわけではない
  2. アクションゲームとして売られたわけではない

『スーパーマリオ』は、そんなゲームなのです。

「そんなわけないだろう」と思いますか?

たしかに、現代の僕たちから見れば『スーパーマリオ』はれっきとしたジャンプアクションの傑作と言えます。しかし、それはあくまでも現代から見た考え方です。発売当時に右に挙げたような考え方で作られ、売られたことこそが『スーパーマリオ』というゲームを、そして当時のゲーム全体を知る上では最大のポイントになるのです。

この章ではそれが一体どういうことか調べながら、ファミコンが大ブレイクした80年代中盤のゲームの世界を振り返っていきましょう。

ではまず、①の方からいってみましょう。ジャンプアクションでないのなら、『スーパーマリオ』はどんなゲームとして作られたのでしょうか。

ジャンプアクションの元祖はドンキーコング

まず『スーパーマリオ』のジャンプ操作とはどのようなものか考えてみましょう。

マリオはコントローラのAボタンを押すとジャンプします。このジャンプ中に十字ボタンの左右を押すと、ジャンプの軌道を変えることができます。また、Aボタンを押している長さによって、跳ぶ高さを変えることもできます。

さらに地面を移動しながらジャンプすると、幅跳びのようにして遠くに跳べます。移動時にBボタンを押しっぱなしにしているとマリオが走る速度が加速して、「走る」状態になります。いわゆる「Bダッシュ」というやつですね。このBダッシュ中にAボタンを押すと、通常では届かないような飛距離の大ジャンプができます。

ジャンプという動作一つに、実に豊富なバリエーションがあることがわかりますよね。これだけ複雑なジャンプができるゲームは、当時とても珍しいものでした。だからこそ、このゲームは「画期的なジャンプアクション」として後世に残りました。

もっとも、『スーパーマリオ』を開発した宮本茂みやもとしげるさんは、このゲームの初期に作られた「スーパーマリオ実験仕様」という企画書に次のように書いています。

本ゲームはドンキーコング以来連作してきた〝ジュニア〟、〝マリオブラザーズ〟のアスレチックとしての部分を利用し大型のマリオキャラクターによって再構成するゲーム

1981年にゲームセンター用のゲーム(アーケードゲーム)として誕生した『ドンキーコング』は、任天堂がゲーム産業に参入して初めて人気となった作品であり、マリオというキャラクターが初登場したゲームでもあります。要するに、これこそがジャンプを主体としたアクションゲームの始祖的な存在なのです。『スーパーマリオ』は、まずはこの偉大なゲームを超えようとして作られたということですね。

では『ドンキーコング』で採用されたジャンプとは、どういうものだったのでしょうか。

まず、このゲームはマリオを操作してフロアを移動し、途中に設置されたいくつかの梯子はしごを登りながら最上階にいるレディのところに到達するのが目的です。

しかし、レディのそばにいるコングが下のフロアに向けて樽を転がしてきます。

ジャンプはここで登場します。ボタンを押すとマリオがジャンプし、転がってきた樽を飛び越えて避けることができるのです。

今から見れば、実に単純なアクションです。しかし『ドンキーコング』より前には、こうやってジャンプを使うアイデアのゲームは全くありませんでした。

もちろん、ジャンプして敵を避けられるゲームが全くなかったわけではありません。有名なものとしては、ファミコン以前に国内で人気を博したゲーム機「カセットビジョン」で発売された『きこりの与作よさく(エポック社、1981年)というゲームがあります。このゲームでは、走ってくるイノシシやヘビをジャンプして避けられるようになっていました。

ところが『ドンキーコング』のジャンプは、『きこりの与作』などと扱いが違います。マリオは、樽をジャンプして避けなくてもかまわないのです。可能であれば樽の転がってこない場所を通ったり、梯子を登って樽をやり過ごすこともできるようになっていました。

「ボタンの機能が一つに固定されている」とはどういうことか

以上のことを、序章で説明した「ボタンを押すと反応する」というゲームの定義を使って言い換えてみましょう。

『きこりの与作』は、イノシシを避けるためにボタンを押してジャンプするゲームでした。斧を振ってイノシシを倒すこともできるのですが、どっちみちそれもボタンを押して行います。

単純化してしまえば、このゲームは「イノシシが来たらボタンを押す」というルールになっているわけです。「イノシシの回避」という結果を得るために、プレイヤーは絶対にボタンを押さなきゃいけない。

これは、少し回りくどい言い方をすると「ボタンの機能が一つに固定されている」ということです。つまりボタンは、ある一つの状況を解決する機能しか持っていません。

昔は、ほとんどのゲームがそうでした。プレイヤーがボタンを押す時は、必ず弾を撃って敵を倒すためだったり、ジャンプして敵を避けるためだったりしたのです。

しかし『ドンキーコング』は、わずかですが違います。たしかにジャンプで樽を避けることができるのですが、ゲームの目的はあくまでもレディのいる場所に到達することなのです。つまり、その目的のために不要であれば樽を飛び越えなくてもいい。ジャンプして避けるかどうか、つまりボタンを押すか押さないかはプレイヤーの裁量に委ねられている。

そして、ジャンプは樽を飛び越えるだけでなく、足場の悪いフロアを移動するのにも使えます。ジャンプをすることに複数の意味があったわけです。つまり「ボタンの機能が一つに固定されていない」ということですね。それが『ドンキーコング』の特徴でした。

『スーパーマリオ』はアスレチックゲームとして作られた

『ドンキーコング』が後の世で「ジャンプアクションの元祖」として認められるようになったのは疑いのないことです。しかしその後継である『スーパーマリオ』の企画書には、「ジャンプを主体にしたゲームとして作る」などとは書かれていませんよね。ここが意外に重要です。宮本さんは「アスレチックとして」と書いているのです。

アスレチックというのは、正式名称を「フィールドアスレチック」という、野山を活かしたコースに丸太やロープを利用した障害物を設けて走破する、ちょっとしたアウトドアスポーツのことです。現在でもあちこちの自然公園でコースを見ることができます。

70年代末から80年代にかけてフィールドアスレチックは一般的になり、子供たちにもよく知られていました。1979年にはトミー(現在のタカラトミー)が「アスレチックランドゲーム」という玩具を発売してヒットさせましたし、翌年に刊行された『ドラえもん』のコミックス第19巻には「アスレチック・ハウス」というひみつ道具が登場します。

宮本さんもおそらく、このフィールドアスレチックを意識して、『スーパーマリオ』の企画書に「アスレチック」という言葉を使ったはずです。当時を回顧して、彼はゲーム雑誌『ファミ通』のインタビューでも次のように話しています。

ジャンプで跳び越えていくゲーム、僕らは〝アスレチックゲーム〟と呼んでいたんですが、これを任天堂のお家芸としてしっかり作り続けること。このジャンルを最初に作ったのは僕らだという意識も強かったので、大きな目標にしていました。

「このジャンルを最初に作った」というのは、もちろん『ドンキーコング』を指しているのだと思われます。しかし宮本さんは『ドンキーコング』を、ジャンプによって敵を避けること、つまり「ボタンの機能が一つに固定されている」ゲームではなく、あくまでもレディのもとへ到達するのが目的のゲームだと考えていた。だから「アスレチックゲーム」と名付けたのではないでしょうか。

しかし『ドンキーコング』以降、彼の言う「アスレチックゲーム」に似たゲームは、他社からも数多く発売されました。1982年に海外で発売された『ピットフォール』は、ジャンプを駆使しながらジャングルや洞窟を探検するという内容で400万本以上も売れました。その翌年には後にファミコンに移植されるジャンプアクション型の洞窟探索ゲーム『スペランカー』が海外でリリースされましたし、日本でも1984年にナムコ(現在のバンダイナムコゲームス)が『パックランド』という、かなり優れた「アスレチックゲーム」風のゲームを出しています。

宮本さんが「最初に作ったのは僕らだという意識も強かった」と言うのは、ジャンルの元祖として、他社のゲームが進化していくのに負けたくなかったということでしょう。

この章の最初で①として書いた、『スーパーマリオ』がジャンプアクションとして作られたわけではないという話の結論が見えてきました。

あくまでもゴールに到達することを目的としたゲームを宮本さんは作ろうとしたのです。ジャンプは『スーパーマリオ』の中で重要な役割を持つけれど、あくまで『ドンキーコング』の特徴を正しく受け継いだ「アスレチックゲーム」として開発されたのです。

物語性を強調して売られたスーパーマリオ

では、②の方はどうでしょうか?

つまり『スーパーマリオ』はアクションゲームとして売られたわけではない、というのはどういうことなのか。

それは『スーパーマリオ』に付属していたマニュアルを見れば、すぐにわかります。そこにはゲームの説明として「このゲームは、右方向スクロールのファンタスティックアドベンチャーゲームです」とだけ書かれているのです。つまり、「アクションゲーム」とは一切書かれていないということです。

ストーリーを説明するページにも、「ピーチ姫がクッパにさらわれたので助けに行かねばならない」というようなおなじみの文章の結びとして、次のように書かれています。

テレビの中のマリオはあなたです。このアドベンチャークエスト(遠征)を完結できるのは、あなただけなのです。

「アドベンチャークエスト」とか「完結できる」というのは、ただ反射神経を要求されるアクションゲームを表現する言葉として、あまりふさわしくないと思いませんか?

さらに『スーパーマリオ』の発売時に、任天堂が雑誌などに出していた広告には、煽り文句として「奇想天外。夢の大冒険ゲーム!」とか「地上に地下に海に空に謎のキャラクタ出現!」と書かれています。マニュアルと同様に、どこを見ても「アクション」とは一言も書かれていません。

これは単なる偶然ではないはずです。

つまり任天堂は『スーパーマリオ』をアクションゲームとして売り出そうとは思っていなかったわけですね。

「アドベンチャーゲーム」がどんなジャンルかは、「ロールプレイングゲーム」と合わせて、次の章で詳しくお話ししますが、つまりは物語性や奥深い謎のあるゲームのことです。

『スーパーマリオ』を現代の僕たちが見るとアクションゲームにしか見えませんし、ひょっとしたら当時だってそう見えたかもしれません。でも「今までになく面白いアクションゲームです」という売られ方はしなかったのです。任天堂はむしろこれを「アドベンチャー」だとして、豊かな物語性のあるゲームだと言ったわけですね。

なぜそんなことをしたのでしょうか?

それを理解するためには、少し『スーパーマリオ』が発売された前後のゲームの状況を知る必要がありそうです。

80年代のアクションゲームは既に飽和状態だった

『スーパーマリオ』が発売されたのは1985年の9月13日です。これはファミコンが発売されてから2年ちょっと経過した頃です。

ゲームの歴史における2年は、かなり長い時間だと思ってください。発売から2年が経過して、ファミコンのゲームはもうそれなりに進化していました。ましてファミコンの発売以前から存在するゲーム、つまりパソコン用ゲームやゲームセンター用のゲームなどは、ファミコン以上に成熟していたと言っていいでしょう。

そんな中で、『スーパーマリオ』の発売より半年と少し前、1984年の12月には、日本初の総合ゲーム雑誌『Beep』が日本ソフトバンク社(社名は当時のものですが、これは孫正義さんが社長の、今は携帯電話をたくさん売ってるあの会社です)から創刊されます。それまでにも『ログイン』(アスキー)『コンプティーク』(角川書店)『ポプコム』(小学館)『テクノポリス』(徳間書店)など、ゲームを中心に扱うパソコン雑誌はありました。しかし、家庭用ゲーム機も含めて、ゲームを総合的に扱う本は見あたりませんでした。日本のゲーム人気もそこまで盛り上がってきたということですね。

もっとも、この『Beep』創刊号の中で、ファミコンなど家庭用ゲーム機のゲームは巻末に2ページ載っているだけです。

ファミコンの国内出荷台数の推移を見ると、1986年が一番多くて390万台、次が1985年の374万台ですが、1984年にも165万台も売れています。出荷台数だけに注目するならまさにファミコンブームが盛り上がってきた時期なのです。しかし『Beep』創刊号に載ったのはたった2ページだけでした。

なぜそんなことになったかというと、当時は家庭用ゲーム機といえばパソコンよりも劣るものとされていたからです。実際、機械の性能ではファミコンより当時のパソコンの方が上なのは明らかでした。またファミコン用のゲームには粗悪な作りのものもありました。だから『Beep』は、ファミコンなどを申し訳程度にしか扱わなかったわけです。

しかもその2ページの記事の中で、『Beep』はファミコン用ソフト『デビルワールド』について次のように書いています。

このタイプのゲームは、種々出つくした感がありますが、これはところどころに新しい趣向を採り入れて、十分に楽しめるできばえになっています。

これはなかなか衝撃的な言葉ですね。僕はまだゲームの歴史を語り出したばかりなのですが、第一章の段階で、すでに特定のジャンルのゲームは「出つくした」と言われているわけです。

ファミコンゲームの「謎」として利用された「裏技」

『デビルワールド』というのは画面上に表示された迷路を歩き回り、通路にある小さな点(ドット)をすべて食べるとステージクリアになるゲームです。1984年の10月に任天堂から発売されました。

こういうルールのアクションゲームは「ドットイート型」と呼ばれるもので、その始祖は1979年にセガが発売した『ヘッドオン』まで遡ります。それから5年が経過する間に、似たようなゲームはたくさん作られていました。このジャンルは『パックマン(ナムコ、1980年)によって大人気になってからは、『アミダー(コナミ、1981年)Mr.Do!(ユニバーサル、1982年)ボンジャック(テーカン、1984年)など、ゲームセンター用のゲームを中心に、どんどん新作が生まれていました。

だから『Beep』の言う「このタイプのゲームは、種々出つくした」というのは、あながち間違っていません。ファミコンしか知らない小学生ならともかく、パソコンやゲームセンターのゲームを知る人たちにとって『デビルワールド』は、ドットイート型のアクションゲームという時点でそこまで魅力的に見えなかったはずです。

そしてそのムードは、既にファミコンの世界に広がりつつありました。つまりアクションゲームのような単純さに変わる何かが、ファミコンにも求められ始めていたのです。

その受け皿となったのが、ファミコンの「裏技」ブームです。

説明するまでもないかもしれませんが、裏技というのはゲーム中、特定のシーンで特定の操作をすると隠しボーナスが手に入ったり、操作キャラクターがパワーアップしたり、あるいはバグによってゲームが異常な動作を始める現象のことをいいます。

ファミコンのゲームにはまだアドベンチャーゲームのような複雑なストーリーや謎は存在しませんでしたが、代わりにゲームの奥深さを感じさせるものとして裏技は人気を集めていたのです。

違う言い方をすると、こうなります。この時代、既にプレイヤーたちは表面上はわからない「裏側」とか「謎」みたいなものをゲームに求めていました。ファミコンなどのゲームには、まだそこまで複雑ではありませんでしたが、裏技という形で、いわばオマケ要素として、ゲームの奥深さが「発見」されていったのです。

物語性と裏技を両立させた『ゼビウス』

この「裏側」や「謎」に対する強い興味をファミコンのプレイヤーに植え付けたのは、シューティングゲームでありながら奥深い物語性を持っていた『ゼビウス』が最初だと考えられます。これはもともと1983年にゲームセンター用のゲームとして登場したナムコの大ヒット作です。ファミコン版は1984年11月に発売され、後に「ファミコン初のキラーソフト」、つまりファミコン本体の人気を牽引したソフトと呼ばれるほど売れました。

『ゼビウス』の物語性は、意味ありげで謎めいたキャラクターの動きに表れています。敵機がプレイヤーに特攻せず逃げていくとか、友軍機が先にある危険を知らせてくれるなどの動作は、ゲームの背景にある物語を強く意識させるもので、当時には画期的でした。つまり『ゼビウス』には、前章で触れたゲームの歴史の中で「変化する部分」、すなわち「物語をどのように扱うか」ということへの挑戦があったと言っていいでしょう。

それと同時にこのゲームにはプレイヤーの操作する自機を一つ増やすことのできる「スペシャルフラッグ」や、破壊するとボーナスポイントがもらえる「ソル」などの隠しキャラクターが存在し、さらにファミコン版には特定の操作を行うことで自機が無敵になる裏技までありました。

シューティングゲームでありながら深い物語性を持ち、同時に裏技も備えていたファミコン版『ゼビウス』の大ヒットによって、まさにファミコンの流れは決まりました。ファミコンのプレイヤーたちも、ゲームには「裏側」や「謎」が隠されているということを知り、1985年からファミコンは空前の裏技ブームを迎えます。

『ゼビウス』発売から半年ちょっと経った1985年7月、初のファミコン専門ゲーム雑誌『ファミリーコンピュータMagazine』(ファミマガ)が徳間書店から創刊されます。『Beep』が2ページしか扱わなかった家庭用ゲーム機は、わずか1年たらずで専門誌を必要とするほどの人気になっていたというわけですね。

そして、この本の目玉は、まさに裏技でした。「超ウルトラ技テクニック」、通称「ウルテク」として毎号に数十個ファミコンソフトの裏技を掲載したのです。

この企画が大当たりしたため創刊号は完売、裏技のコーナーには1日に200通もの投稿があると創刊2号の奥付には書いてあります。『Beep』が奥深さを見出さなかったファミコンに、『ファミマガ』は別の奥深さを認めて大ブレイクしたのです。

ゲームの楽しみは「謎解き」になっていく

『ファミマガ』の成功は出版業界に少なからず衝撃を与えたようで、他社も同様の雑誌や企画を立ち上げていきます。

特に興味深いのは当時の雑誌発行部数で首位に立っていた『週刊少年ジャンプ』が1985年8月19日号の巻頭に載せた「ファミコン神拳」というコーナーです。このコーナーは「少年誌初の袋とじ12ページ」として大々的にアピールされ、先ほど書いた『ゼビウス』の無敵技などの裏技を掲載しました。さらに「独占スクープ! ファミコンに初のアドベンチャーゲーム登場っ!!」として、11月に発売される予定の『ポートピア連続殺人事件』の紹介記事を載せたのです。

記事にはアドベンチャーゲームの説明として「ついにファミコンでも、アドベンチャーゲームが楽しめる! アドベンチャーゲームとは、キミが主人公になって、物語を体験するゲームなのだ」と書かれています。

裏技の情報と、ファミコン初のアドベンチャーゲームの話題が同時に載っているのは興味深いことです。『ゼビウス』が物語性と裏技を両立させたところでヒットしてから半年ちょっとで、ファミコンゲームとそのプレイヤーたちは、ゲームに隠された「裏側」や「謎」にどんどん惹かれていたわけですね。『ジャンプ』のような人気雑誌が大々的に扱うほどに、その傾向は加速する一方だったのです。

ちなみにこの「ファミコン神拳」の記事を書いたのは『ポートピア連続殺人事件』の作者である堀井雄二ほりいゆうじさんです。あまりにも有名ですが、彼は後に「謎を解く」ゲームの大ヒット作である『ドラゴンクエスト』を作ることになります。

それについては後でまた触れますが、いずれにしても『スーパーマリオ』が発売されたのは、こうした「裏側」や「謎」が求められる風潮の最中だったのです。

だから『スーパーマリオ』はアクションゲームとしてではなく、世界を渡り歩いて謎を探求するゲームとして宣伝されたのでした。現在では『スーパーマリオ』こそが裏技ブームの火付け役のように語られることもありますが、時系列的にも裏技ブームのような状況の中で『スーパーマリオ』が登場したと考えるのが妥当でしょう。

ロールプレイングとして迎え入れられた『スーパーマリオ』

しかし、ではそうした宣伝文句は噓だったのでしょうか? つまり『スーパーマリオ』は単なるアクションゲームなのに、いかにも奥深いふりをしていたと言えるでしょうか。

そう決めつけるには、まだ早いです。たとえ今の僕たちが『スーパーマリオ』を見てただのアクションゲームのようにしか思えなくても、やはり当時の人がこのゲームを見てどう感じたかを調べた方がいいでしょう。

このソフトが発売される時に、『ファミマガ』は次のように紹介記事を書きました。

任天堂のおなじみキャラ、マリオとルイージの新しいゲームが出たヨ! その名も〝スーパーマリオブラザーズ〟「へえ?、あの〝マリオ〟のバージョンアップ版かな!?」なんてコはあまい! おそれおおくも、ロールプレイングの要素を含んだ、リアルタイムアドベンチャーなのダ。とにかくやればやるほど奥が深いゲームだよ!

はっきりと「ロールプレイング」「アドベンチャー」という言葉を使って、「奥が深いゲーム」であることを強調していますね。では一方、奥深いパソコンゲームを好んでいた『Beep』は『スーパーマリオ』について、どう書いたでしょうか。

隠れキャラ、ボーナス満載ゲームなのじゃ

どこにあるかは自分でさがそーね(これはアドベンチャーゲームなのだ)

こちらも「これはアドベンチャーゲームなのだ」と力強く記しています。つまり、現在では考えられないことかもしれませんが、当時の人は『スーパーマリオ』にアドベンチャーゲームやロールプレイングゲームのような奥深さを見ていたのです。そしてその理由として、やはり隠れキャラや隠しボーナスなどの裏技の存在が挙げられていました。

逆に言うとそれまでのゲーム、特にアクションゲームは、そこまで様々な謎に満ちてはいませんでした。でも『スーパーマリオ』には、もはや「裏」とは言えないほどに大量の隠し要素があったのです。一見すると単なるブロックでも壊してみるとアイテムが隠されていることなんてざらにあります。何もないはずの場所でジャンプしたら別のステージへワープする入り口などを発見できるかもしれません。そういう隠し要素が、単なるオマケとは言い切れないほどきちんとプログラムされていました。だから僕たちは『スーパーマリオ』をプレイしていると、思わず画面内にあるすべての場所でジャンプしたり、ブロックを壊してみたくなるのです。

結果としてこのゲームは、ゴールを目指すアスレチックゲームとしてだけでなく、世界を探索するアドベンチャーやロールプレイングとしても作り込まれたものになったのです。

フィールドを駆け回ることのできる「自由度」

そのためにジャンプという動作が使われているのが重要です。

前章で僕は、ゲームとは「ボタンを押すと反応するもの」だと定義しました。

それを踏まえて言えば、『きこりの与作』では、ボタンを押すことによって「敵の攻撃を避ける」という反応を起こせます。

そして『ドンキーコング』では、敵の攻撃を避けることと足場を飛び越えることの両方ができました。これでボタンの機能は一つではなくなり、ジャンプは複数の役割を持つようになっています。

では、その発展形である『スーパーマリオ』ではどうでしょうか。プレイヤーはジャンプをあらゆる局面で使うことができます。段差を飛び越えるためにも、敵の攻撃を避けるためにも、また頭上のブロックを下から叩いて世界を探索するためにも使っていいのです。つまり『スーパーマリオ』では、ボタンに与えられた機能が限定されていません。プレイヤーはジャンプを使って画面内を自由に走り回り、ブロックを壊し、自分の意志と力で世界を探索することができたのです。

プレイヤーが好き勝手に世界を動き回れることを、後にゲームの世界では「自由度が高い」と言うようになりました。現在の僕たちにとって『スーパーマリオ』はルールのはっきりしたジャンプアクションで、さほど自由には感じられません。しかし、発売された当時には非常に自由度が高く、世界や物語の奥深さを感じさせるゲームだったのです。

そしてそれが、パソコンより性能的に劣るものの、安くて手軽なファミコンで実現できたからこそ、このゲームは人気を博したのでした。以後、家庭用ゲーム機では『スーパーマリオ』をまねて物語性を持たせたゲームが次々に作られていきます。『チャレンジャー(ハドソン、1985年)グーニーズ(コナミ、1986年)ゲゲゲの鬼太郎きたろう 妖怪大魔境ようかいだいまきょう(バンダイ、1986年)よみがえる帝国 アトランチスの謎(サンソフト、1986年)アレックスキッドのミラクルワールド(セガ、1986年)など、名前をあげだすとキリがないです。

この章の内容を簡単にまとめましょう。

『スーパーマリオ』は画期的なジャンプアクションですが、当初は「アスレチックゲーム」として画面内を走り回る自由度の高さを目指して作られました。

そして、その自由度の高さと至るところに仕掛けられた謎によって、アドベンチャーやロールプレイングゲームに匹敵するほど奥深さを持つゲームとして人気を集めたのです。

かくして『スーパーマリオ』は家庭用ゲーム機の可能性を広げ、アクションゲームの可能性をも広げ、そしてファミコンのプレイヤーたちにゲームの世界の奥深さを教えました。この後、ゲームは本格的に奥深さが追求され、より物語性の豊かなものへと進化していきます。その主役となるのは、ここまでに何度も名前の出た、アドベンチャーやロールプレイングというジャンルのゲームでした。そしてそのことが、日本のゲームを独自の路線へと進ませていきます。

次章ではそれについてお話ししましょう。