「やめること」からはじめなさい

千田琢哉

「やったもん勝ち」の時代は終わった。これからは「やめるが勝ち」——人生を変えるためには「何かをやる」のが今までの常識だった。成功するためには「ツイッターをやれ!」「勉強をしろ!」「もっと働け!」「もっと効率的に!」それが今までの常識だった。その行き着いた先が今のあなただ。朝から晩まで、月曜から日曜まで、予定はパンパン。つねにやらなければならないことが控えている――。そんな「いっぱいいっぱい」の人生に何かを足そうとしても、それは無理な話だ。実は、今のあなたに必要なことは「やめる」ことなのだ。本当に大切なことにあなたの命の時間を費やすべきだ。「もっと」という発想から卒業しよう。人生を変えたいなら「やめること」からはじめよう。

飛躍できないのはたくさん荷物を
持ち過ぎているからだ。

第2志望から第100志望を捨てて
第1志望だけに専念すれば
今すぐ飛躍できる。

努力するのではなく
やめることが飛躍のコツなのだ。

やめます

そう言えた時の感動を一生忘れない。

本書を手に取ったあなたは、
きっとがんばる人に違いない。

がんばる人じゃなければ、
そもそも本なんて読みやしない。

がんばる人じゃなければ、
そもそも書店に足を運ぶこともない。

私はがんばる人の応援だけをしたい。

世の中にはがんばる人のための本はたくさんある。

がんばる人がもっとがんばるための本がたくさんある。

私も人からがんばってますねと言われ続けてきた。

その度にとても嫌な気持ちになった。

がんばるだけで人生を終える人をたくさん見てきたからだ。

どうも天国と地獄は死後の世界にあるのではないらしい。

生きている間にこそ天国と地獄が存在するのだ。

がんばらなくて報われないならまだ諦めがつく。

がんばって報われないのでは死んでも死にきれない。

人生の大半の時間を費やしたのに報われなかったら悲惨だ。

やっぱりがんばった人には報われて欲しい。

報われやすくなるともっとがんばれるようになる。

自分で意識なんてしなくてもがんばれるようになる。

毎日笑顔で人生を送れるようになる。

がんばっているのに報われない人生を、
報われる人生へと一変させる方法は一つしかない。

手放すことだ。

今まで正しいと頑なに握ってきた固定観念を手放すことだ。

今いる地獄から飛躍できないのは、

多くの固定観念という荷物を持ち過ぎていたから。

本当にただそれだけの話なのだ。

あれもこれもとしがみついていた、
あなたの人生の第2志望から第100志望を手放すのだ。

1つずつでいい。

1つ手放す度に噓のように身軽になって幸福を感じる。

第1志望だけに専念すれば自ずと飛躍できる。

飛躍できなかったのは、
過去の栄光を手放す勇気がなかったからなのだ。

本書では非常識とも思える手放す事例を列挙した。

もちろんこの中には、
これら全部なんてとても手放せないありえない
という項目も存在することだろう。

そうやってすぐに全部がんばろうとしてしまうことが、

がんばっても報われない人の特徴なのだ。

もっと気軽に、いい加減に構えていい。

本書の項目の1つでもピン! ときたものから試せばいい。

本書に触発されて、別の何かを手放してもいい。

逆に本書の通りにすべてを一斉に手放したら、
それこそ大変な人生になってしまうから要注意だ。

人生の主導権はいつもあなた自身にある。

今までの追加し続ける体脂肪率の高い肥満型人生から、
1つずつ手放していくスリム人生へシフトしよう。

2011年10月吉日 南青山の書斎から 次世代創造館 千田琢哉

職場で「やめる」11のこと

中途半端な自分を捨てれば自ずと輝く仕事ができる。

1 嫌いな仕事をするのをやめる。

クビになるんじゃないかって?

クビになってしまえばいい。

クビは死刑宣告ではない。

自由への扉なのだ。

好きなことのために妥協するならまだしも、嫌いなことのために妥協してはいけない。

明日はデートだから今夜は少し多めに仕事を片付けておこう、という妥協ならいい。

嫌いなことのために妥協するのは人生における無駄以外の何ものでもない。

嫌いなことのために妥協している人は、生きているふりをしながら実は死んでいるのだ。

ただでさえ仕事が嫌いなのに、さらに嫌なことを頼まれて思わず「えー!?」と言いたくなるようなことは、これからの人生において一切やらなくていい。

やらなくていいのではなく、やってはいけないのだ。

嫌なことを嫌々すれば、頼んだ人も不幸になるし何よりもあなた自身が不幸になる。

生涯賃金で見ても結局少なくなるし、奇跡的にこの世に生まれた命の無駄遣いでもある。

「確かにそのとおりだけど、それではすぐクビになるのでは?」という心配は無用。

ぜひクビになってしまえばいい。

クビは死刑宣告ではない。

自由への扉なのだ。

クビになってもこれからの時代、生きる道はいくらでもある。

もちろん転職も一つの手段ではあるが、起業するのもいいし出家するのもいい。

今までの延長線上にあなたの幸せがあるとは限らない。

否、今までの延長線上こそが地獄であって延長から外れたところに幸せがある。

職業は無限にあるし、自分で好きなように作ってしまえばいい。

長い目で見ると好きなことのためにしか妥協しない、という人だけが幸せになっている。

「面倒くさいから嫌です。それではサラリーマン失格なのでクビにしてください」

と言って将来そのエピソードを本に書いてベストセラーにしてしまうこともできる。

2 上司の言うことを聞くのをやめる。

ただひとつ条件がある。

あなた抜きでは

成り立たないくらいに

仕事で圧倒的実績を残すことだ。

プロの世界というのは30歳を超えたらもはや年齢なんてまったく関係ない。

30歳でも業界トップレベルのプロはいるし、40代50代でもアマチュアのリストラ候補なんていくらでもいる。

リストラ候補の特徴は論理が破たんしている上にすぐにムキになることだ。

自分を敬って欲しいものだから、言葉遣いや礼儀作法には常軌を逸するほどうるさい。

組織において「上司」というのは、立てるふりはしなければならないが、本気で立てなくてもいいものだ。

なぜなら人は、心から尊敬していない人の言うことを聞けない生き物だからだ。

古今東西問わず、バカな上司とどうやって付き合っていくのかが組織人の悩みの種なのだ。

上司の言うことなんて聞き流せばいい。

その代わりたった一つだけ条件がある。

あなたは仕事で圧倒的な実績を残して、あなた抜きでは上司が生きていけなくしてしまうことだ。

上司はあなた抜きでは生きていけないことを百も承知だから、虚勢を張るものの、たいていのことは許してくれるようになる。

あなたも上司の小言を聞いてあげるふりをして許してあげよう。

仕事ができるようになって見返してやるのが復讐ではない。

最高の復讐とは仕事ができるようになって相手を許してあげることだ。

3 同僚とランチに行くのをやめる。

ランチの風景は

あなたの仕事人生を表している。

普段あなたがランチを一緒にしているグループがあるとすれば、あなたの人生はその連中と同じような人生で終わっていく。

それも一つの人生ではある。

だらだらとみんなが揃うまでエレベーター前で待ち続ける。

揃ったら今度は道一杯に拡がって群がって歩く。

行きつけの店の前で一緒に人数分が座れる席が空くまで、ポケットに手を突っ込んで喫煙しながらだらだらと待ち続ける。

着席したら一日の唯一の楽しみであるかのようにじっくり時間をかけて注文する。

その場にいない誰かの噂話をおかずにしながら、ワイワイ騒いで休憩時間を目一杯使ってノロノロ食べる。

「食べる」という人間として本能的な行為を共にすることによって、その場にいる人間はすべて本質的に同水準になっていくのだ。

突出して実績を残している人たちは、いつもランチ抜きか、時間をずらして一人で済ませている。

とにかく仕事ができる人の食事をしている姿は、なかなか見ることができないものだ。

様々な組織を見てきてもそれは同じだ。

ポジションが上がれば上がるほど平社員のようにワイワイ群がってランチに行かなくなる。

社長は社長室で出前を取るか取引先と一緒にランチをする。

それは有能で孤独だからランチを一人で済ませるのではない。

同僚と群がってランチをしなかったから有能になった。

それだけのことなのだ。

4 会議に出るのをやめる。

ハッキリ言おう。

会議は無駄だ。

あいつはいつも欠席だな

というレッテルを

貼られたら勝ちだ。

経営コンサルタントとして様々な組織に入って仕事をしてきた。

その中で「会議」くらいその会社の行く末を決定づけるものはなかった。

伸びる会社の会議はこうだ。

数が少なくて時間が短い。

沈む会社の会議はこうだ。

数が多くて時間が長い。

せっかく優秀なベンチャー企業でも、100人を超えたあたりから大企業ごっこしてしまい、長時間の会議を増やして自滅していくところも多かった。

つまり会議は時間の無駄なのだ。

会議ばかりやっている会社はそれだけ人件費を無駄遣いしているのだから、お客様としても「それだったらもっと値段を安くしてよ」と誰もが思う。

ところが会議を免罪符としているサラリーマンはいつも偉そうにふんぞり返っている。

「いやぁ〜朝から5本も会議が入っちゃって」

「終日会議中で電話に出られませんでした」

と威張っているのはその会社が斜陽化している証拠だ。

あなたが沈没していくこのような組織にいたとすれば、せめて会議に参加しないことだ。

仮病、アポ、法事あらゆる口実を駆使してでも会議は休むべきだ。

「まったくアイツはいつも欠席して仕方がないヤツだな」

というレッテルを貼られたらしめたものだ。

組織人であれば一日も早くこのレッテルを貼られることだ。

代わりに会議に参加することによってアイデンティティを保っている同僚をピンチヒッターにあてがっておくことだ。

相手も喜ぶしあなたも助かる。

これぞ真のwin-winの関係だ。

5 名刺に頼るのをやめる。

名刺に頼るのはサラリーマン。

ビジネスマンになれ。

名刺に頼って仕事をしている間は100%アマチュアだ。

そこに言い訳は通用しない。

自分は名刺に頼っていないと反論する人は多いだろう。

ところが電話で「○○物産の鈴木です」と当たり前のように話している人は名刺に頼っている人そのものだ。

メールで「○○自動車の佐藤です」と当たり前のように打ち込んでいる人も然りだ。

○○物産や○○自動車がいけないということではない。

自分が仕事できているのは、100%○○物産や○○自動車のおかげだという事実を忘れるな、ということだ。

あなたがプロか否かは会社名を外してから初めてわかる。

サラリーマンとしてはそこそこ優秀だった人が独立してから、「お久しぶりです! 鈴木です」と意気込んで電話しても相手は絶対に気づかないだろう。

相手は不審に思って「失礼ですがどちらの鈴木さんでしたか?」と聞いてくるに違いない。

そこであなたは「元○○物産」のありがたみを初めて知ることになる。

「係長」「課長代理」「次長」といった飾りも急に愛おしくなってくる。

「とんでもないことをやらかしてしまった」と、膝がガクガク震える。

プロだったのは「○○物産」という看板であって、断じてあなた自身ではなかったのだ。

相手はあなたの名前なんて憶える気がなかったからこそ、「課長!」「次長!」と連呼してくれていたのだ。

プロになりたかったら会社の看板を執拗なほど意識的に取り払っていくことだ。

24時間365日すべてにおいて会社名をつい口走ってしまう回数を、グッと堪えて減らすことだ。

名刺交換の際には相手の会社名と肩書ではなく、顔とフルネームをきちんと憶えよう。

そうすればたとえサラリーマンでもプロに近づける。

相手を表面だけで判断しなくなる。

6 武勇伝を語るのをやめる。

武勇伝を語り始めた瞬間から

イケてないオヤジ化が始まる。

武勇伝語りは過去に生きている

証拠だからだ。

学生時代、武勇伝を語るのはいじめられっ子と相場は決まっていた。

社会人になってから武勇伝を語るのはリストラ候補のイケてないオヤジだ。

オヤジは何歳からと決まっているのではなくて、武勇伝を語り始めた瞬間からオヤジの仲間入りなのだ。

20代でもオヤジはたくさんいるし、60代でも挑戦者はたくさんいる。

武勇伝はすべて過去の栄光だ。

すごい集団になると、大学受験時代の模擬試験の話題で盛り上がっているサラリーマンが実在する。

今まで出逢ったキング・オブ・オヤジは、自分たちの中学受験の話題で延々と安居酒屋で熱く議論を戦わせていたサラリーマン集団だ。

中学受験をピークにしてその人の人生はずっと下り坂だったということに他ならない。

その他、派手に遊んでいた学生時代のエピソードや就職活動の武勇伝語りはすべてオヤジ化現象だ。

社会人になってからも常に進化し続けており、夢に向かって邁進している人にとって過去の話ほど退屈なものはない。

日々挑戦し続けている人にとっては、昨日の成功や今朝の成功すらどうでもいいこと。

思わず武勇伝を語りそうになったら、今の自分はイケていない証拠なのだということを深く反省すべきだ。

武勇伝を語るヤツが半径5メートル以内に近づいてきたら、あなたから避難するくらいでちょうどいい。

火災や震災同様に武勇伝の語り部対策にも避難訓練が必要だ。

7 残業をやめる。

時間を守れない残業行為は

朝の遅刻と同様の罪。

残業を強要するような

化石組織からは

いち早く抜けだせ!

労働時間と年収が比例する、いびつな時代は20世紀でとっくに終わった。

長時間働いているように見せかけることが評価されていたという信じられない時代がかつてあった、と将来の教科書に掲載されるかもしれない。

もしこれから豊かな生活をしたいのであれば、何が何でも残業なんてしないことだ。

オフィスに残って残業するのは約束の時間までに仕事が終了しなかった証拠。

それは朝の遅刻同様に恥以外の何ものでもない。

朝5分遅刻するのと夕方5分残業する罪の重さはまったく同じだ。

もし17時までに仕事を終わらせなければ極刑に処されるとしたら、誰もが死に物狂いで集中してがんばるに違いない。

大袈裟でも何でもなく、プロというのは常にそうしたテンションで生きているのだ。

最初から残業を視野に入れてダラダラ仕事をしているのはルール違反なのだ。

これからの時代いつでもどこでも仕事ができるようになった。

オフィスに閉じ込められるのは、どうしてもコミュニケーションを取らなければならない仕事のみだ。

どうしても対話しなければならない時間は毎日8時間も必要なわけがない。

もし残業を強要するような化石集団にあなたが属しているなら、今すぐそこから飛び出すことだ。

心配しなくても数年後に路頭に迷うのはあなたではなく化石集団の連中だ。

そのまま化石集団に居続けるほうが勇気を必要とすると私には思えるのだが。

8 補欠の先輩と酒を飲むのをやめる。

できない先輩ほど

愚痴と説教が多いものだ。

酒を飲みたいなら

憧れの人と飲め。

酒を飲むのは決して悪いことではない。

ただし飲む場合には心の底から飲みたいと思う相手とだけ飲むことだ。

できれば憧れの存在と積極的に飲むことだ。

組織には明らかに出世コースから外れて腐っている補欠の先輩というのがいる。

補欠の先輩は同期には出世で抜かれてしまい、誰も相手にしてくれないから後輩を捕まえては教えることを生き甲斐としている。

ゴルフでは下手な人間に限って教えたがり屋が多いのと同じだ。

出世コースから外れて腐っているから、愚痴が多くてお酒が大好きな人が多い。

仕事ができないのに自分の仕事のやり方を伝授しようと一生懸命なのだ。

ところがそれは組織においては伝授ではなくて伝染や感染という表現がふさわしい。

ダメ人間を量産していくだけなのだ。

補欠の先輩対策としては、年上として敬うべきところは敬っておき仕事以外では付き合わないことだ。

冷たいようだがこれはお互いのためでもある。

まずあなたにとっては時間が無駄にならない上にダメ人間が感染しなくて済む。

補欠の先輩にとっては教える相手がいなくなったら、組織を去るか正面から実力を付ける以外に生き残る道はないことに気づくことができる。

なあなあの関係にならぬよう、ビジネスの厳しさを徹底させるべきなのだ。

9 カバンを地べたに置くのをやめる。

カバンの底は靴の底と同じ。

そんなことにも気づかないやつに

いい仕事などできない。

電車や道路で地べたに平気でカバンを置いている人がいる。

オフィスに戻ったらそのカバンを平気でデスクの上に置いてくつろぐ。

訪問先では平気で横の椅子の上に置いて書類を取り出そうとする。

カバンを地べたに置く人は、カバンの底は実は靴の底とまったく同じだということに気づかなければならない。

だからオフィスのデスクや訪問先の椅子の上に靴を放り上げるのと同じこと。

靴だと汚くて、カバンだと汚くないということはない。

それは非常に都合のいい単なる自己完結型の考え方だ。

今まで多くのエグゼクティブたちと仕事をしてきて、カバンの扱い方に敏感な人が多かったという事実がある。

訪問先でいきなり足元にカバンを置いてしまう人は、普段から地べたに置いている人だ。

だからその人のカバンは靴と考える必要がある。

自分の膝の上に置いたり置き場所を探したりして、足元に置きたがらない人は地べたに置かない人だ。

だからその人のカバンを置く場所を気遣う必要がある。

いつも地べたに置いている人は他人のカバンのことなどまったく気にならないから、ここでチャンスを失う。

「こんな気遣いのできないヤツとは仕事ができない」と思われるからだ。

「そんな細かいことで」と声を荒らげるかもしれない。

だが、仕事とは細かいことの積み重ねなのだ。

カバンを地べたに置く人は他のすべてにおいても気遣いができない人であり、人の心にも土足で入り込んでエグゼクティブたちに嫌われてチャンスを逃してしまうのだ。

10 言い訳をやめる。

言い訳にエネルギーを使うな。

言い訳を飲み込んだ分

仕事に転化せよ。

仕事ができるようになるためのコツを一つだけに絞れと問われたら「言い訳はしない」ことだと私は即答する。

サラリーマンというのは言い訳だらけの人種だ。

会話のすべてが言い訳で成り立っていると言っても過言ではない。

私は独立してから連日サラリーマンと会っているが、サラリーマンを直訳すると「言い訳人間」になるのではないかと最近は本気で思っている。

悲しいことに年齢や役職はまったく関係ない。

「できない理由をいかに正当化させるか」「いかに今回の失敗は自分のせいではないか」の理論武装を24時間365日真剣に考え続けている生き物なのだ。

自分もサラリーマン時代はこんなに言い訳ばかりしていたかと思うと、本当にゾッとさせられる。

同時にサラリーマンの言い訳は100%相手に見抜かれていることにも気づかされる。

創業社長やフリーランサーとしてリスクを背負ってプロの仕事をしている人には、言い訳は一切許されない。

言い訳した途端にそれが死を意味することをよく知っているからだ。

プロを目指すのであれば、相手に理由を聞かれない限りすべての言い訳を飲み込むことだ。

「高速が渋滞しているので遅刻します」ではなく「遅刻します。ごめんなさい」と言うべきだ。

そもそも高速は渋滞するものであり言い訳になることではない。

「ごめんなさい。でも」ではなく「ごめんなさい」で終わるべきだ。

「でも」と言った瞬間にそれは謝罪ではなく単なる言い訳に過ぎなくなる。

言い訳を飲み込んだエネルギーは必ず仕事に転化できるのだから、せっかくのエネルギーを消耗してはダメだ。

11 机の上に物を置くのをやめる。

決断力

机の上の整理整頓具合

比例している。

決断できる人はどんどん

捨てることができるが

決断できない人は書類を

積み上げ続ける。

年収とポジションが高い人ほど机の上には何も置かれていない。

たいていは社長の机の上が一番物を置かれていなくて美しい。

年収とポジションが低い人ほど机の上は書類で溢れ返っていた。

入社歴の浅い若手社員たちの机の上はぐちゃぐちゃで汚い。

私は興味を持ってこれらの追跡調査や原因分析をしたことがある。

その結果わかったことは、名もなく貧しい若手社員の頃から机の上が美しかった人が将来出世しているという事実だ。机の上が美しいというのは綺麗に物が並べられているのではなく、物が一切置かれていないということだ。若手社員の頃から机の上がぐちゃぐちゃで汚い人は、その後もうだつの上がらない人生を送っていた。その人の決断力と机の上の整理整頓具合は見事に比例していたのだ。

決断できる人はどんどん捨てることができるのに対して、決断できない人は「万一の際に備えて」と言いながらいつまでも書類を積み上げ続ける。

これに気づいて以来、私はサラリーマン時代、机の上には会社から与えられている電話機を除いて一切の物を置かないようにした。

その日触れなかったものは例外なく捨てたし、仕事はすべて即時処理を心掛けた。

おかげで私の席は誰もいない空きスペースと間違えられて、入社間もない社員たちの作業台に使われていたこともある。