世界一退屈な授業

適菜 収

若者諸君! 本物の授業をいま、はじめようではないか——本書は、江戸・明治・大正・昭和の時代を生きた、5人の〝本物の先生〟――内村鑑三、新渡戸稲造、福沢諭吉、柳田国男、西田幾多郎――のメッセージを、いまを生きる若者たちに向けて編纂したものだ。読書、仕事、金、学問、人生とは何か? 現代はどこにも師が見当たらない時代だ。本当に大切なことは誰も教えてはくれない。大学は職業訓練所のようになり、ビジネスの成功者のみがもてはやされる。本質を語る人間は隅に追いやられ、古典は古くてつまらない「退屈なもの」として、忘れ去られてしまった。いまこそ、ものごとや人生の価値を教えてくれる先生の声に耳を傾けよう。若者諸君! 本物の授業をはじめようではないか。

!!

君たちがこれまでの人生で受けてきた授業は、いったいどんなものであったか?

大人たちは君たちに何を教え、何を伝えようとしたか?

学習指導要領で決められた内容?

受験に勝つための技術?

スキルアップして、自己を啓発けいはつして、勝ち組になるための方法?

実にくだらない。

大学すらも、就職予備校になってしまった。

本当の学びは、社会に出たあとに自分で一から行わなければならない状況になってしまっている。

しかし、社会に出ると働くのに精一杯で、立ち止まって考える時間や余裕がない。

誰も、本当に大事なことを教えてはくれない。

現代は、どこにも師が見当たらない時代だ。

君たちは何を学び、どう生きるべきか?

人生は、ぼんやり過ごすにはあまりに長く、使命をもって生きるにはあまりに短い。

君たちが今まで出会ってきた「先生」たちは、肩書きだけの、ニセモノの先生たちだった。

本当に大切なことは、けっして教えてはくれなかった。

ここに、5人の先生がいる。

江戸、明治、大正、昭和の時代を生きた「本物の先生」であり、人生の師となるべき人たちだ。

内村うちむら鑑三かんぞう先生、新渡戸にとべ稲造いなぞう先生、福沢ふくざわ諭吉ゆきち先生、柳田やなぎた国男くにお先生、西田にしだ幾多郎きたろう先生

彼らは、現代を生きる君たちに、なにか大切なことを伝えようとしている。

彼らの声に耳を傾けてみよう。

本物の授業をいま、はじめようではないか。

開講のあいさつ われわれは後世こうせいに何を残すべきか?

私が考えてみますに、人間が後世に残すことのできる、そしてこれは誰にでも残すことのできる遺物いぶつで、利益ばかりあって害のない遺物がある。

それは「勇ましい高尚こうしょうなる生涯」であると思います。

これが本当の遺物ではないかと思う。

他の遺物は、誰にでも残すことのできる遺物ではないと思います。

今の弊害へいがいは何であるかといえば、金がない、われわれの国に事業が少ない、良い本がない、それはたしかです。

しかし、日本人がお互いにいま要するものは何であるか?

本が足りないのでしょうか?

金がないのでしょうか?

あるいは事業が不足なのでありましょうか?

それらのことの不足は元からないことはありませんが、私が考えてみると、今日第一の欠乏はLife(生命)の欠乏であります。

近ごろは、しきりに学問ということ、教育ということ、すなわちCulture修養しゅうようということが、たいへんにわれわれを動かします。

「どうしてもわれわれは、学問をしなければならない」

「どうしてもわれわれは、青年に学問をつぎ込まなければならない」

「教育を残して後世の人をいましめ、後世の人を教えなければならない」

とわれわれは心配いたします。

もちろん、このことはたいへん良いことであります。

それで、もしわれわれが今より一〇〇年後にこの世に生まれてきたと仮定して、明治二七(一八九四)年の人の歴史を読むとすれば、どうでしょう。

これを読んで、われわれにどういう感じが起こりましょうか?

なるほど、ここにも学校が建った。ここにも教会が建った。ここにも青年会館が建った。「どうして建ったのだろう?」と、だんだん読んでみますと、「この人はアメリカへ行って金をもらってきて建てた」、あるいは「この人はこういう運動をして建てた」ということがわかる。

そこでわれわれがこれを読むと、「ああ、とても私にはそんなことはできない。今ではアメリカへ行っても金はもらえまい。また私には、そのように人と共同する力はない。私にはそういう真似はできない。私はとてもそういう事業はできない」といって失望するでしょう。

私が今から五〇年も一〇〇年も後の人間だったら、今日の時代から学校を受け継いだかもしれない。教会を受け継いだかもしれません。

けれども、私自身を働かせる原動力はもらわない。

大切なものは、もらえないに違いない。

もしここにつまらない教会が一つあるとすれば、そのつまらない教会の建物を売ってみたところで、ほとんどわずかな金の価値しかないかもしれません。しかし、その教会が建ったときの歴史を聞いたときに、その歴史がこういう歴史であったと仮に定めてごらんなさい。

「この教会を建てた人はまことに貧乏人であった。この教会を建てた人は学問も別にない人であった。けれどもこの人はおのれのすべての浪費を節約して、すべての欲情をって、己の力だけにたよって、この教会をつくったのである」

こういう歴史を読むと、私にも勇気が起こってくる。

かの人にできたならば己にもできないことはない。われも一つやってみようというようになる。

たびたびこういうような考えは起こりませんか?

「もし家族の関係がなかったならば、私にも大事業ができたであろう」

「もし金があって、大学を卒業して欧米へ行って知識をみがいてきたならば、私にも大事業ができたであろう」

「もし私に良い友人があったならば、大事業ができたであろう」

こういう考えは、人々に実際起こる考えであります。

しかしながら、種々くさぐさの不幸に打ち勝つことによって大事業というものができる、それが大事業であります。

それゆえにわれわれがこの考えをもってみますと、われわれに邪魔じゃまのあるのはもっとも愉快ゆかいなことであります。邪魔があればあるほど、われわれの事業ができる。勇ましい生涯と事業を後世に残すことができる。

とにかく、反対があればあるほど面白い。

われわれに友達がない、われわれに金がない、われわれに学問がないというのが面白い。

われわれが神の恩恵おんけいを受け、われわれの信仰によってこれらの不足に打ち勝つことができれば、われわれは非常な事業を残すものである。

われわれが熱心をもって、これに勝てば勝つほど、後世への遺物が大きくなる。

もし私に金がたくさんあって、地位があって、責任が少なくして、それで大事業ができたところでなんでもない。

たとえ事業は小さくても、これらのすべての反対に打ち勝つことによって、それで後世の人が、私によっておおいに利益を得るにいたるのである。

種々の不都合、種々の反対に打ち勝つことが、われわれの大事業ではないかと思う。

内村鑑三先生、明治二七年講演「後世への最大遺物」より

編者から

現在は、師が見当たらない時代です。

若者の見本になるような「大人」がいなくなってしまった。

軽薄けいはくな知識人がはばかせるようになり、真の教養人が消えてしまった。

先代が残した財産は《古臭いもの》《小難しいもの》《つまらないもの》と切り捨てられ、《簡単なもの》《新奇しんきなもの》《耳馴染みみなじみがいいもの》が高く評価されるようになりました。

こうした社会では、すぐに役に立つ知識が求められます。すべてが効率で測られます。

その結果が、今の惨状さんじょうです。

わが国はどこかで歴史の選択を間違えてしまったのではないか?

大昔から連綿れんめんと引き継がれてきた大切なものを見失ってしまったのではないか?

近年の政治の混迷、文化の凋落ちょうらく荒廃こうはいした世相せそうを眺めると、そうも言いたくなります。

もしそうだとしたら、世の中がおかしくなる前の「まともな日本人の言葉」を振り返ってみる必要があるのではないか。今の若者たちは、情報の波に流されるのではなく、自分のおじいさんのおじいさんくらいの世代の人たちに、ふたたび教えをうべきではないか。

そう考えたのが、本書をもうと思ったきっかけです。

成果主義の立場から見れば、本書に収録された講義は「世界一退屈」なものかもしれません。最後まで読み通しても、出世するわけでも年収がアップするわけでもない。

しかし、ビジネスの成功者が人生の成功者であるとは限りません。

一方、本書の講義は過去から未来をつらぬく「価値の本質」を扱っています。

  • われわれは何のために生きるのか?
  • 仕事とは何か?
  • お金とどうつきあうべきか?
  • 何をどう読めばいいのか?
  • 学ぶとはどういうことなのか?
  • 過去から何を引き継ぎ、後世に何を残すべきか?

こうした数々の難問に対し、ストレートに指針を示そうとしています。

ですから、これは「世界一大切な授業」かもしれません。

本書では、現代を生きる若者たちの「武器としての教養」になるような、珠玉しゅぎょくの五篇を選び出しました。

適菜収

目次

  • 開講のあいさつ われわれは後世こうせいに何を残すべきか? 9
  • 編者から 15

第一講 読書について 新渡戸稲造先生「読書と人生」より 27

  • 本は選ばなければならない 30
  • 僕の読書遍歴へんれき 35
  • 近頃は敬虔けいけんの念が足りない! 37
  • 青年をカフェから引き出す力を持った本 40
  • サイエンスでは発見できない真理 42
  • 良い本はいやになるものだ 45
  • 元祖・三色ボールペン読書術 47
  • スタディとリーディングの違い 51
  • スタディという考えで読書をする 54
  • 中学の教科書をみっちり読むだけでいい 57
  • 読書は人間をこしらえる 61

第二講 仕事について 内村鑑三先生「後世への最大遺物」より 65

  • 後世への遺物で、最大のものは何か? 68
  • 「後世に名を残したい」は欲望か? 69
  • 二〇〇万ドルの墓 72
  • われわれは全員、予備校生である 75
  • この世に残すべきものはなにか? 77
  • 第一番に大切なものはカネ 80
  • すべての問題は金銭問題につながる 82
  • アンチキリストの商人がつくった孤児院 85
  • アメリカ人はカネの力に流される 87
  • 三菱財閥みつびしざいばつはなにかよいことをしたのか? 89
  • 金をもって神と国とに仕える 91
  • 「カネを使う技術」も大切 92
  • 金持ちと実業家はどこが違う? 94
  • 六〇〇年前の百姓ひゃくしょう兄弟が残した穴 96
  • カネより事業を残したい 99
  • リヴィングストンが伝道でんどうをやめて探検家になった理由 101
  • クロムウェルが残したイギリス国家 104

第三講 お金について 福沢諭吉先生「福翁ふくおう自伝」より 107

  • 武家ぶけの母の精神 110
  • 意地でも金は借りない 113
  • とにかくケチる! 115
  • 武家屋敷を三五五両で買ったときの話 117
  • カネはなあなあにしない 119
  • 子供の学費が足りない 122
  • 子供を理由に信念を曲げるな 124
  • わずかな金でもインチキはしないこと 127
  • 奥平家の米を辞退する 129
  • 藩から金をかすめとる方法 132
  • 家老を脅迫!? 135
  • 人間は「社会の虫」である 137
  • 中津に血が流れなかった理由 139
  • 弱藩の処世術 141
  • 武士に丸腰を勧めてみた 144
  • 経済の理屈とはなにか? 146
  • 簿記ぼきを見るのは面倒くさい 149
  • 借金は絶対にしない 151
  • 貧富苦楽ひんぷくらくともに独立独歩どくりつどっぽ 154
  • 他人の熱にらない人生 156
  • 私がやった最大の投機 159

第四講 勉強について 柳田国男先生「青年と学問」より 163

  • 学問のみが世を救う 166
  • 史学は何のための学問か 167
  • 戦争必要論にはうんざりだ 171
  • 外国人も、実は人間だった! 174
  • 同じ人種がなぜ殺し合うのか? 176
  • 人類調和の日は来るか? 179
  • 人種問題は学問が解決する 181
  • アメリカが太平洋に進出する理由 184
  • 挫折ざせつした、白人文明以外の可能性 187
  • 原住民を滅ぼさないために 190
  • 新しい学者の力を信じよ 193
  • 人類学が明らかにしたこと 195
  • 何を「史料」としてとらえるか? 197
  • 将来世界の日本人としての支度したく 201
  • 母語の感覚をもって過去を学べ 203
  • アングロサクソンのアジア研究 206
  • 英語ができたところで、語るべきことがない 208
  • 日本中によき学者を作らなければならない 210
  • 学び、行動すれば、世の中は必ずよくなる 212

第五講 物事の考え方について 西田幾多郎先生「知識の客観性について」より 217

  • ダメな議論が多くなった 220
  • 政治も学問も「深大しんだいなる人生の建設」のため 222
  • 批評、批判しかしない奴はダメ 225
  • 西欧思想にのみ没頭するな 227
  • 日本人の仕事を育てよ 229
  • 自分自身の足で歩け! 232
  • 閉講のあいさつ 現代を生きる若者諸君へ 239
  • ふたたび、編者から 243