ぼくは写真の楽しさを全力で伝えたい!
青山裕企
ようこそ、カラフル・デイズ!
僕は、思ってもみませんでした。
写真を撮るだけで、こんなにも世界がカラフルに見えるなんて!
僕にとって写真と出会えたことは、人生における最も素晴らしい奇跡の一つです。
写真を本気で撮りはじめたのが、20歳(1998年)の時でした。
それから十数年が経ち、いちおう写真家として活動を続けている僕は、
自分 − 写真 = 0
と言ってもいいぐらいに、毎日写真を撮りながら、夢中で生活しています。
写真が楽しくて楽しくて、仕方がありません。
24歳(2002年)の時に、僕は「写真家になろう」と決意しました。
グアテマラという日本の裏側で、たったひとり覚悟を決めました。
旅をしながら将来について考え抜いた結果、楽しくて仕方がない写真を仕事にしながら生きてゆけたらどんなに素晴らしいだろう、と思ったのです。
もちろん、好きなことを仕事にするというのは、簡単なことではありません。経済的にも精神的にも、とても苦しい時期がありましたが、写真を嫌いになってしまうこともなく、撮りたいものを好きなように撮りながら、写真家として生きられるようになりました。
まだまだ人生、先は長いので、気負うことなく自分のペースで写真を楽しんでいこうと思っています。
僕は〝ユカイハンズ〟という名前で、写真活動を行っています。
「愉快をこの手で作り出そう!」という気持ちで、手作りで本を作ったり、誰でも気軽に写真が楽しめる企画を考えたり。
身のまわりの人たちを「愉快」に巻き込もうと、日々企んでいます。
そう、青山裕企の「企」は、企画の企なのです!
僕は20歳のときから、友達や出会った人たちにジャンプをしてもらって、その姿を撮影しています。
撮影現場は、いつも笑顔に包まれています。
テンションがあがっています。
僕の企みを通して、みんなが楽しくなってくれたとしたら――それだけで充分に、僕は満足なのです。
写真を続けてきて良かったなと思える瞬間を、僕は撮影現場でいつも味わっています。
写真との出会いがなければ、今の自分はないと言っても過言ではありません。写真と出会えたおかげで、僕の人生はモノクロからカラフルなものへと一変しました。
今まで特に気にならなかった単調な街並も、新鮮な被写体(写真に写す対象)として僕の眼に飛び込んでくるようになりました。
- とりあえず、なんでも写真に撮ってみる
- 撮った写真を眺めてみる
- 新しい〝僕の眼〟に気づく
- 次はこんなふうに撮ってみたいと企む
- また写真を撮りに行く
このようなサイクルを通して、写真は僕に、自分なりの「ものの見方」を教えてくれました。
僕の生活に、彩りを与えてくれました。
撮っても撮っても、飽きることはありません。
なぜなら、毎日眼に飛び込んでくる世界は、絶えず形を変え続けているからです。
昨日とまったく同じ世界の風景やみんなの表情なんて、どこにもないのです。
友達を撮る。恋人を撮る。家族を撮る。
「また撮ってね」と言われる!
撮った写真を見せる。ポストカードや本を作ってプレゼントする。
喜んでもらえる!
人見知りで奥手だった僕にとって、写真はコミュニケーションに最適なモノであり、武器でした。うまく話せなくても楽しみ合えるのが、写真の素晴らしさだと思います。
写真を撮るのはもちろん楽しい。
でも僕は、それだけじゃない楽しさを知っています。
僕はこの本で、写真の「撮るだけじゃない楽しさ」を、とにもかくにも全力で伝えたい!
そのために、この本では3つのアプローチを用意しました。
1つ目は、写真集。「見る」楽しさです。
今ここで、この本をパラパラと最後までめくってみてください。
いろんな写真が載っていますよね?
合計11種類のテーマの写真を、すべて僕が撮影しました。
見るだけで、なんだか楽しい気分になってきませんか?
テンションがあがってきませんか?
こんなテーマで写真を撮ってみたいな、ともし思ったら、すぐに撮りに出かけましょう! その気持ち、大切です。
2つ目は、授業。これは「作る」楽しさです。
写真の下に小さく載せている文章(「青山裕企のエブリデイぱち!」)は、「あなたの写真の見方を分析したうえで、〝自分だけの本〟(写真集)を作る」ための授業になっています。
月曜から日曜までの特別授業ですね。
読み終わった時には、最高に楽しい自分だけのオリジナルな「作品」が手軽に作れるようになっていますので、ぜひ自分が撮った写真を手元に置いて眺めながら、読んでみてください。
最後の3つ目は、自分史。写真と共に「生きる」楽しさです。
僕が「自分 = 0(空っぽ)」だった10代から、「自分 = 写真!」と胸を張って言えるようになった現在にいたるまでの歴史について、語ろうと思います。
青臭くて少し恥ずかしいのですが、僕が写真の楽しさに心底ハマっていった過程を追体験していただくことで、僕の写真に対する想い、写真がある人生の喜びが、読者のみなさんにも深く伝わっていくはずです。
この本を読んでも、写真の技術は上達しません。カッコいい写真が撮れるようにもなりません。
でも、保証します。間違いなく、写真が楽しくなります。
今よりもっと! ずっと!
写真を心の底から楽しめる者こそ、写真家なのです。
センスがなくても、技術がなくても、カッコ悪くても、お金がなくても、テーマがなくても、ピントが合わなくても、一眼レフじゃなくても……。
写真は楽しんだもん勝ちです。
シャッターを押せば、人生は最高にカラフルになるんです!
青山裕企のエブリデイぱち! 月曜
今日から日曜までの一週間の授業で、私はみなさんに「写真の新しい楽しみ方」を全力で伝えていきます。必要な持ち物は「あなたが撮った写真」。できれば、アナログ(フイルム)写真でもデジタル写真でも、現像・プリントしたものが20〜30枚ぐらいあると良いのですが、なければ画像データでもとりあえずOKです。ではいきなりですが、みなさんに質問をしましょう。「カメラ、持ってますか?」。全員「ハイ!」と答えましたよね。携帯電話を持っていれば自動的にカメラがついてきちゃう、便利な時代ですから。では次の質問。「撮った写真、どうしてますか?」。昔を思い出してみましょう。お店にフイルムを出して、プリントの束をもらっていましたよね。それをアルバムに整理していませんでしたか? 表紙に「東京旅行」「娘の成長」なんて書いたりして。テーマごとではなく単にフイルムごとに整理していた人も多かったと思います。それが、デジカメになって、フイルムから画像データになると、一気に何百枚も撮れるようになったせいもあって、写真を「撮りっぱなし」にしてしまっている人も多いのではないでしょうか? なんてもったいない! 写真の楽しみ方は、「撮ること」だけじゃないんですよ!!
見ても、見せても、楽しい!
写真にはどんな楽しみ方があるでしょうか? ふだんみなさんはいろんなカメラで写真を撮っていることと思いますが、まずは、良いカメラやレンズを使って、構図やピントなんかにも気を遣って、いかに上手に撮るかを目指す楽しみ方があります。プロみたいなカッコいい写真が撮れたりすると、とっても嬉しいですよね? また、スマートフォンなら、アプリを駆使して面白い写真を撮ったり、ポラロイド風に加工したりと、いろんなことができます。そして、それをツイッターやフェイスブックなどに公開して、友達の反応を見る。「いい写真だね!」って多くの人から言われて、嬉しい。そんな楽しみ方もありますよね。他には? 自分で写真を撮らない人でも、写真は最高に楽しめますよ。友達がフェイスブックに載せた写真に「いいね」って反応したり、写真集を眺めたり、写真のポストカードを集めてみたり。写真展に出かけてみるのもいいですよね。こんなふうにいろんな写真の楽しみ方がありますが、この授業では、「写真集を作る」楽しみを私はみなさんにご紹介していきたいと思います!
写真の新しい楽しみ方
「えっ、写真集!? そんなの作れるわけないよ」と驚かれるかもしれませんが、ご心配なく。プロが作るような大げさなものではなく、もっと手軽に、お金も手間暇もかけず、自分が撮った写真をまとめて、人に見せたりプレゼントできるような方法があるんです! 知識も技術もセンスも不要です。あと、一眼レフカメラもいりませんよ。携帯のカメラでもできちゃう、自分だけの写真集なんです。まあ、実物を見てもらうのがいちばんですね。さきほどから上に掲載されているのが、まさにその「写真集」。これは、私の「海外旅行」の写真をまとめたものです。写真集というと何十ページ、何百ページのものを想像すると思いますが、これはたったの8ページ。それくらいだったら、みなさんも作れそうな気がしてきませんか? 作り方はいたって簡単。A3サイズの白い紙を用意して、8つに折ります。写真を「L判」(89ミリ×127ミリ。いちばん一般的な写真のサイズ)に現像・プリントしたら、好きなように選んで、折った紙に貼っていきます。そうすると、あっという間に「ポストカードサイズの8ページ写真集」が完成するのです!
手作業っていいですよね。いまやなんでもパソコンの中で完結できるようになりましたが、あえてアナログにモノ作りを楽しみましょう。写真がはみ出したりズレたりするのもご愛嬌。この「手作り感覚」こそが、大人になると忘れてしまいがちな童心を蘇らせてくれます。今後この8ページ写真集のことを「8°(ぱち)」と呼ぶことにします(私の造語です!)。ぱちっと撮った写真を、ぱちっとまとめた、8ページの手作り写真集――世界に一冊しかない自分だけのオリジナルな「ぱち」を一緒に作っていきましょう!
一章(18歳〜20歳) 空っぽな僕が、写真と出会うまで
18歳(1996年) 空っぽ
僕が自分自身のことを「空っぽ」だと実感したのは、大学受験の面接の時だった。
自分についての長所であったり、今まで強く打ち込んできたものであったり、将来の夢であったり。
自分に関する質問に対して、何一つまともに答えることができなかった。
自分について説明する言葉をまったく持っていないことに、絶望した。
今まで僕は何をして生きてきたのか? これから何をして生きてゆけばいいのだろうか? まったく見えなかった。
僕は、空虚な暗闇のなかに佇んでいた。
コンプレックス
子どもの頃から、勉強ばっかりしていた。
3歳から公文式一筋だったので、勉強がよくできた。
「あの子は大学生の問題が解けるんだって」といったように噂は勝手に広まって、まわりの人が僕を見る眼はいつだって歪んでいた。
クラスの誰よりも早く眼鏡をかけるようになり、身体は貧弱で、運動が苦手で、体育の授業が苦痛で仕方がなかった。
〝ガリ勉〟というイメージで、まわりから見られていた。
勉強ができたことも、当時の自分には、決して誇りに思えなかった。
授業で当てられても、間違えたら恥ずかしくて仕方がなかったので、失敗を恐れ、自意識過剰になり、馬鹿になれない自分がいた。
とても窮屈な気持ちで、日々を過ごしていた。
コンプレックスの塊だった。
部活など特に何かに強く打ち込むこともなく、じゃあ勉強で大成しようということもなく、というか、自分は将来何を学びたいのか、何になりたいのかも、まったくわからなかった。
とりあえず身の丈にあった大学に行き、どこか安定した仕事に就ければいいとさえ思っていた。
挑戦もなければ、感動もない。
モノクロな思春期だった。
19歳(1997年) 浪人時代
高三の頃から、なんとなく興味を持ちはじめた心理学への想いが、浪人時代に確実なものになった。
「自分を知りたい」
この窮屈で空っぽな自分を満たしてゆくためには、「心を知る」ことが重要だと思ったのだ。
僕は今まで、原稿用紙数枚分の読書感想文ですら書くのが苦痛であったのだけれど、自ら本をたくさん読み、自己について考え、膨大な量の文章をとにかく書きまくっていた。
自分の悩みや考えていることを書き続けることで、自分を救う何かが見つかるかもしれないと思っていた。
そんななか、大学で心理学を学ぶことによってきっと自分を救うことができるという確信に、当時なりにいたることができた。
空っぽな自分について悩み抜いた、浪人時代。
「自分には達成したものが何もない」
「自分にまったく自信が持てない」
「人に対してうまく自分を表現することができない」
心理学という学問を通して、自分や人の心を知り、なんとかして人生を決定づけよう。
20歳(1998年) 逃走
一浪の末、筑波大学に入学することができた。
心理学にかなりの期待を持っていた僕であったが、新歓ムードの大学のくだけた雰囲気に馴染めなかったり、概論的な授業に嫌気がさしてしまい、ある日突然、大学から逃げ出した。
数週間のあいだ、友達の家や名古屋の実家を転々としながら、いちおう大学には戻ったものの、授業に行くでもなく、かといって退学することもせず、五畳一間の学生宿舎に引きこもる生活を続けていた。
とにかく燻っている日々だった。
自分には何もない。心理学も自分の救いにはならないかもしれない。
大学にいても仕方ない。大学を出ても何もない。
僕は、袋小路に立ち尽くしていた。
僕は心理学や自己啓発の本をむさぼり読んだりしながら、何も行動することなくすべての悩みを解決してくれる存在を探していたのだ。
でも、そんな都合のいいものなどないことを、書店での衝撃的な出会いによって知ることになる。
決意
単調な、そして鬱屈した日々のなかで、たまたま出会った一冊の本。
――『自転車旅行をはじめよう』
書店でこの本を見たその瞬間、僕は「自転車で日本を旅しよう」と決意した。暗闇のなかに、細くとも確かな光が射し込んできた瞬間だった。
僕は、特に自転車が好きなわけでも、旅慣れているわけでもなかった。むしろ、苦手な分野であった。
だからこそ、これしかないと思った。
対峙
自分の足でペダルをこがないと前に進めないのが、自転車だ。
僕は自転車で日本を旅することで、自分のなかに巣食ういくつものコンプレックスと対峙して、それらを退治したいと思った。
運動が苦手な自分。自信が持てない自分。
今まで自分で何かを成し遂げたことのなかった僕にとって、達成感を得ることで自分に対する自信を少しでも獲得することができるのではないか。
自分を救えるのは、結局自分しかいない。
僕は僕を動かして、自力で人生を決めていかなければならない。
自分の力で、道を切り開くしかない。
そのために、ひたすらに、自転車をこいで日本をまわろう。
世間から見たらたいしたことではないかもしれないけれど、僕にとっての挑戦だ。
達成感が、欲しいんだ。
コンプレックスを、打ち砕け。
台風
自転車で日本を旅することは、僕にとって無謀な挑戦だった。
スタートの北海道からゴールの沖縄まで、はたして無事に走破できるのだろうか。
正直、自信はなかったけれど、自分にはもうこれしかないと覚悟を決めていたので、なにがなんでもという強い気持ちで出発した。
名古屋からフェリーで北海道へ。
記念すべき旅の初日になんと台風が直撃して、時速80キロで北上する台風から逃げるように、僕は時速10キロ前後で、北海道の苫小牧港から北へ北へとひた走っていた。
両輪にカバンを付けた重たくて慣れない自転車をこぎながら、非常に辛い旅路になった。
暴風で突然看板が飛んできたり、背負うリュックが水浸しになって荷物がほぼ全滅状態になってしまったり。
携帯電話も水没した。何度も転倒して怪我しそうになった。旅なんて、やめてしまいたくなった。
顔が、泣いているのか水浸しなのかわからないほどに、ずぶ濡れだった。
とにかく、人生最大級に悲惨な状況だった。
予約してある札幌のユースホステルまで行かないと、泊まれる場所がない。
そう思い込んでいた。
いま思えば、苫小牧で台風が過ぎ去るまで待機していれば良かったのだけれど、前に進まないとあとがないという気持ちだけで、暴風と豪雨のなか、ペダルをこぎ続けた。最後は、無の境地にいたっていた。
なんとか無事に札幌に到着した時、身体も心もボロボロだったけれど、悟りを覚えた自分自身がいた。こんな20歳の経験は、なかなかできるものではないし、これ以上に辛い経験も、そうそうないような気がする。
台風という名の試練をくぐり抜けることができた僕は、どこか無敵な心境だった。
絶対に沖縄まで行くんだと、決意を確固たるものにした。
カメラ
北海道の雄大な風景を眺めがら、淡々とペダルをこぐ日々が続いていた。
地平線。空。雲。太陽。草原。牛。羊。風。そして自転車と、僕。
前進あるのみの、シンプルな運動。広がる、シンプルな世界。
思考は、鋭くもシンプルに研ぎ澄まされてゆく。
目標に少しずつ、たしかに近づいているという実感。旅先での出会いも、人見知りな僕をちょっとずつ成長させてくれている。
このシンプルだけど新鮮な、目まぐるしい世界を、残したい。伝えたい。
気がつくと僕は、一眼レフカメラを買っていた。
ジャンプ
旅先では風景などを撮りながら、自分自身を撮ったりもした。
自分に自信がなかった僕は、写真写りも悪いと感じていて、撮られることが好きではなかった。
でもせっかくの記念ということで、最初は思いつきで、自分がジャンプしている写真を、三脚を立ててセルフタイマーで撮ってみた。
いつもこわばった姿勢や眠そうな表情で写っていた自分が、こんな姿を見せるんだと驚くほど、明るい表情や思わぬ変なポーズをしていた。
笑った。心の底から、笑った。
なかなか面白いところあるじゃん、自分。
そして、写真って面白いもんだなって、思った。
達成感
20歳の夏に北海道を出発して、毎日ペダルをこぎ、旅先で写真と出会い、冬に沖縄の与那国島(日本最西端の地)に到達した。
……達成感!
紛れもなく、自分自身の力で獲得した感情。経験。
生まれてはじめて、確かな手応えを感じることができた。
今までの人生になかった、突き抜けるような気持ち。
自分の力で、世の中を生きてゆくための、自信の芽生え。
自分を好きになることができそうな、写真に対する興味。
僕は自転車で旅をして、ようやく人生のスタートラインに立てた気がした。
きっとこれから、僕は僕を満たすことができる。
もう、空っぽなんかじゃないんだ。
オセロ
僕の人生のターニングポイントは、間違いなく20歳の自転車旅行だった。
今まで抱えていた僕のコンプレックスが、オセロの角を取った時のように、黒から白へとパタパタパタと一気にひっくり返るような経験だった。
昔の自分があってこそ、今の自分がある。
これからも前向きに行動することで、黒く感じてた自分を白く変えていこう。