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HOME > 新人賞 > 新人賞投稿作品 > もう一度、嫁を口説こう

新人賞投稿作品

もう一度、嫁を口説こう

かわむら こう介
2014年06月30日 投稿

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愛とは?恋とは?これは泣ける仮説。

カテゴリ

教養

内容紹介

・「一生あなたを幸せにします!!」なんて言ったあの日を早くも後悔しそうな人。



・本当にこの人と結婚して大丈夫なのか悩んでいる人。



・恋がうまくいかないなんて悩んでいる人。



・夫婦の仲が悪くてどうしたらいいのかわからない人。



あげだしたらきりがないほど、世の中にはたくさんの男女関係に悩んでいる人がいる。



いつの時代も人々を悩ませる男と女の関係。うまくいかない原因は恋愛に対する誤った考え方にあった!?恋とは何なのか?愛とは何なのか?何故それらが存在し、そしてなくならないのか?その理由を1つずつ明らかにし、私達が真に築きあげるべきものに迫る。



恋、そして愛に悩むすべての人へ、新しい21世紀の恋愛の仮説を届けたい。

目次案・語りたい項目

1.初めに

2.愛とは努力だという説

・悲しい人の性

・愛という名の経済活動

・ぬぐいきれぬ逆説

・人類の発明

3.人が恋をするのは訳があるという説

・恋の科学的見解

・恋が必要な理由

・文化が生んだ副産物

・幻想がもたらした社会問題

4.永遠の恋愛はあり得るという説

・巷の噂

・恋と恋愛

・「永遠」のヒント

・たゆまぬ努力

5.今日嫁を口説いてみれば、うまくいくという説

・家族

・日本の取るべき道

・愛の種類

・どちらが動くか

6.最後に

書き出しの第1章

1.書き出し

「あなたが、愛する人に向けるその感情は、果たして本物の愛情であると確信を持てるだろうか?」

この問いに対して、明確にYESと答えられる人もいるかも知れない。とても素晴らしいことだ。しかし、答えにつまる人も多くいるのではないだろうか?

そしてもし仮に、あなたが自らの愛情に確信をもっていると答えられる人だったとして、その確信は果たして一体どこからやってくるのだろうか?あなたは一体何を根拠に確信を持っているのだろう?

「自分の心が、私に愛の確信をもたせている」なんていうのだろうか?

しかし、私達は知っている。感情なんてものは、どんなに強く思ったところで気がつけばすぐに薄れていってしまうということを。少し考えれば、すぐに思い当たる。「明日から痩せよう」「今日から勉強しよう」なんて口約束、一体今までどれだけの人が本当にその思いを達成させられただろう?きっと一握りの数しかいないに違いない。

人は通常、何かしらの思いを確固たるものにする時、その思いを明確な言葉で定義し、行動に移して実行していく必要がある。例えば、ダイエットの時は、自分にとってダイエットの成功とは50キロのことであると定義し、そのために必要な行動を洗い出し、スケジュールをつくり、実際に実行に移していく。人は、なかなか思うだけではその本懐を遂げることはできない。

愛に対しても同じことが言える。「私は本当にこの人を愛している」と漠然と思ったところで、その思いは一体いつまで続くのだろう。「一生あなたを愛します」なんてプロポーズをする人のうち、一体何人の人がしっかりとした根拠を基に言っているのだろう。対策でもあるのだろうか。多くの人はそこまで考えて言葉を発していないに違いない。

以上に述べたように、愛することに確信を持つということは、実はとても難しい。そしてそれは同時にもう一つのことを意味する。それは、愛される側の人間は、自分が本当に愛されていると確信を持つのは、更に難しいということだ。あなたは果たして自分の愛する人に愛されているという確信を持っているだろうか?

ひょっとすれば、そこまで愛に対して深く、具体的に考えていくことは無粋だと考える人もいるかもしれない。愛とはもっと抽象的なものであり、それだからこそ美しいものであると。

しかし、それは違う。愛を抽象的なものに留めておいてしまったが故にお互いの感情がすれ違ってしまい、お互いの関係を破綻させてしまった事例などこの世の中にはたくさんある。そして、お互いの感情がすれ違っていくことがもし無かったなら、よりうまく事が進んでいただろう事例などはさらにたくさんある。

もっと具体的に、そしてもっと掘り下げて私達は愛のことを考えなければならない。それ程に、人が自らの愛情に確信を持つというのは、この社会においてとても大切なことなのだ。詳しいことは後述するとしても、例えば恋人関係、夫婦関係、人間関係においてお互いの愛をお互いに示すことができなかったせいで、お互いの愛の関係がいびつに歪んでしまったせいで、お互いに愛することができなかったせいで、起きてしまった悲しい結末などごまんとある。

私の家では、両親の仲が良くなかった。すこぶる良くなかった。ずっと良くなかった。それは、世間からすればそんなにたいしたことではなかったかもしれないが、私と妹にとってはひどくたいしたことだった。そこでおきた悲しい出来事の大小は、私に、どうすれば両親の仲が良くなるのか、どうすれば幸せな家庭を築けるのかに対する考察を深めさせた。それから様々な人出会い、そして様々な考え方に触れ、自分の中で整理・分析し・研究してきた結果、今、1つの結論が導き出されようとしている。

これから書くことは、愛に対する仮説であり、その源流についての考察である。しかし、愛というものに対して、人それぞれがなにかしらの理解を示し、答えを持ち、言葉を持っているということは、人と愛のある関係性を築きあげる上で非常に大切なものとなる。

ぜひ、みなさんの周りとの関係を築く上での参考に少しでもなれればと、祈っています。

2.愛とはなくてはならないものだという説

恋に落ちるという表現を聞くことはあっても、愛に落ちるという表現はめったに聞くことはない。それは、愛と恋というのは明確に違うものであるということを示している。愛と恋は違うものだ。それはひどくありふれた言い回しである。しかし、それらは具体的にはどう違うのだろう。恋とは何なのだろう。そして愛とは何なのだろう。そして、その間にはいったいどんな違いがあるのだろう。

愛と恋の違いは何なのか?今ここに1つの簡潔な答えを用意する。別にたいした答えではない。しかし、その答えに対する証明をしてみよう。そして、その証明の中で、愛と恋に対する考察を深めていこう。

愛と恋の違いは何なのか。それは、「愛とはなくてはならないもの。恋とはなくても別に構わないもの」である。では、今からその証明を始めていこう。

・悲しい人の性

愛には努力が必要である。愛に努力が必要な理由、それは、人は見返りを求めるからだ。

もちろん見返りを求めない人間もいる。ガンジーやマザーテレサのように。しかし、彼らのような人は特殊である。多くの人は、人に何かをしてあげる代わりにどうしても見返りを求めてしまう。だが別に、見返りを求めてしまうこと自体は悪いことではない。むしろ必然であるといえる。問題は、人が、自分たちが見返りを求めてしまう人間であるということを自覚していないこと、そしてそれがもたらす問題や解決策を把握していないことにある。

ではなぜ、そういったことが問題なのか?それを知るには、まず「なぜ人は見返りを求めてしまうのか?」という問題から考えていかなければならない。まあ、結論を言ってしまえば「見返りがあるということが、この社会に存在するルールの基本となるから」ということなのではあるが、ではそれは一体どういう意味なのか。説明しやすくする為に1つのわかりやすいモデルを基に考える。

もし、とある無人島に2人の人間が流された時のことを考えてみよう。シチュエーションはなんだっていい。例えば、ある豪華客船に乗っていたがその客船は沈没してしまった。そしてとある無人島にその客船の乗客であった2人が流されてきた。そしてその2人は同じ言葉をしゃべるとしよう。別に他のシチュエーションでもいい。ただ話はわかりやすい方がいい。色んな可能性の話がでてくるとややこしくなる。まずは、人が2人しかいない空間での話を基に考えてみよう。今回はこのモデルを基に話を進める。

さて、2人はどういう行動をとるだろうか?考えられる行動は2つ。その土地で暮らすか、もしくはその島を脱出しようとするかだ。しかし、そのどちらを選ぶかは、今回は話の本筋とは関係ない。両方の行動を生産・消費活動とまとめよう。知りたいのは、どうやってその消費活動を行うかだ。

考えられる可能性は3つだ。1つ目はそれぞれが別々に生産・消費活動を行う。2つ目は一緒に協力し、生産・消費活動を行っていく。そして、1人がもう1人から搾取し始めるというのが3つ目だ。1人がもう1人を殺してしまう場合は1つ目と同じだと考えられる。1つ目と3つ目は、結局は1人で1人分、もしくは2人分の生産・消費活動を行うことになる。2つ目は2人で2人分の生産・消費活動を行うことになる。

さて、この2人はどれを選択するだろうか?おそらく2つ目を選択するだろう。いや、するべきだ。なぜなら、2人で生産・消費活動を行ったほうが、1人で生産・消費活動を行った場合よりも、1人あたりの生産・消費量が大きくなるからだ。その理由は協力したほうが、人1人あたりの能力値が大きく上昇することにある。例えば、重いものを持ちあげるという作業も1人でやるよりも2人でやるほうがずっと楽で時間がかからないということだ。

少し話がややこしいかもしれないが、要は人というのは、1人でやるよりも2人で協力して色々やっていく手段を選ぶという話だ。人1人で出来ることなどたかがしれている。2人で何かをしたほうが、ずっと早く、そしてずっと色んなことができる。

ではここで、2人が協力して物事を進めていくまでの過程を考察していこう。2人はどういうプロセスを経て、2人で協力して物事を成し遂げていくようになるのだろう?1人がもう1人のところにいって、協力を要請しに行くところを想像しながら考えてみよう。

2人で物事を成し遂げるようになる為には、2人はお互いに協力することが1人で何かをすることよりも良いことであるということをお互いに確信する必要がある。その為には何が必要なのか。それは信頼だ。つまり、お互いがお互いに対して信用を得ることが大切になってくる。なんでもない当たり前のことだ。信用出来ない奴と協力なんてできない。2人で生産したものを、1人が裏切って1人で消費されてしまってはたまったものではない。それだけは避けなければならない。

では、人は人から信用を得るためには、まず何をするのだろうか?

それは、自分の情報を開示するのである。自分の情報を相手に伝え、そのうえで協力することによって得られる自分にとっての利益を話す。そして、協力することによって相手に得られる利益を示す。次に、自分が裏切るメリットがない理由を説明し、もし万が一自分に裏切るようなことがあれば自分にも損害が出るような条件を相手にも提示するのだ。

こういった契約の形は、有形である場合もあるし、無形である場合もある。そもそも契約という形を取らないこともあり、なんとなくこういった形のことを無意識に行っている場合もある。それは暗黙の了解だとか、今までの経験だとか、なんとなくだといった形で記憶されていく。いずれにせよ2人は、お互いにルールをつくり、そしてそのルールを守りながらお互いに生産・消費活動を継続していく。こういったプロセスを経てお互いはお互いを信用していくのだ。

これらのことは人が自分の身を守っていく上で基本的なことだ。人は生き延びていく為にルールをつくり、そのルールを支えるものとして見返りを提示していく。人が見返りを求めるというのは、至極当然のことなのだ。

応募者紹介

かわむら こう介さん

大阪府堺市生まれ堺市在住。私立灘中学校・高等学校を卒業し、現在は大阪大学経済学部に所属する24歳の4回生。趣味は合気道で初段の腕前。お笑いが好きで、漫才や新喜劇、宴会芸をつくったりしたこともある。(アマチュアではあるが)あとは特にプロフィールに書くことのない、しがない大学生。高校の時に書いた卒業作文の評判が良かったのがきっかけで小説家を志すも挫折。その途中で、自分はノンフィクションの方が向いていると勘違いし、今回の応募に至る。今回は自分の中での永遠のテーマの1つである、家族間関係をテーマに世間様に訴えたいと思い執筆。

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