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HOME > 新人賞 > 新人賞投稿作品 > 子宮の考察  ~産んだ女はそんなに偉いのか~

新人賞投稿作品

子宮の考察  ~産んだ女はそんなに偉いのか~

塔田 篠
2014年06月29日 投稿

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人は二度生まれなければ、身のない貝殻のようなものである

カテゴリ

哲学・思想

内容紹介

昔、1匹の魚で1匹の蛙だったはずの生命体。地球46億年の時をたった1匹でわざわざ人になるまで旅をし、外とは別の夢をみていただろう私たち。だがいったん割れ目から放り出されると、なぜか再度取り込むしかない母子の直線の関係。すべての母親が毒にしかならない理由は「直線」にある。もし、今現在で心から自由に生きている人がいるならば、それは核家族化した現在では数少ない運のいい方々である。直線以外のつながりを持つことが許されたのだ。本来、すべての子供の世界も縦横無尽に広がっていていい。だが目の前のビルもアスファルトも家の中も直線しか描いていない。なのでそんな直線の世界に瘤を作り爆破し外に出るための考察である。

目次案・語りたい項目

プロローグ
第1章 無意識が意識化される瞬間
まる1 子宮から逆襲されるとき
まる2 親の意識が消える瞬間
まる3 鼻からスイカ、という陣痛の噂の真相
まる4 三猿が昔嫌いだったわけ
まる5 すべての母親が毒にしかならない理由


第2章 混ざり合わずに「ある」ということ
まる6 光の三原則、RGBとCMYK
まる7 多様性を失った白と黒の世界
まる8 道祖神と一色刷のチェーン化する街
まる9 直線の世界と「身土不二」
まる10 見えている世界は1/4


第3章 雨が降ると
まる11 宮沢賢治の狼森のはなしと高野山の神社
まる12 ハワイアンの考え方と、けんかくん
まる13 七番目の方角と自己本位の考え方
まる14 カンダタが蜘蛛の糸を登りきれなかった理由
まる15 曼荼羅と細胞共生説


第4章 生はいつも死をまとう
まる16 直線の世界は、いつか破綻する
まる17 女手ひとつで、という人は雨蛙を見ていない
まる18 循環しない皮膚は硬い殻
まる19 いい母親とは、本来「いない」母親である
まる20 サボテンのご先祖さま、モクキリン


第5章 すべては輪になっている
まる21 強制されている人間は必ず強制する
まる22 あちこちに母親の見えない秘密基地をつくろう
まる23 和とは「仲良く」と勘違いする母親
まる24 本来、出会いは「死」だ
まる25 で、人は二度生まれるか、死んだまま生きるか

エピローグ

書き出しの第1章

女には2つの頭がある。


ひとつは空に近い方、もうひとつは土に近い方である。
ひとつは一応中身が詰まっている風だが、まあお察しいただきたい。もう片方は名の通り宮であり、また入口出口であるため、普段は空っぽである。
いつでも何かしらで埋めておこうとしている、自分の血液くらいならいいが空いた隙間を「怒り」や「不満」、「他人の心配」などで満タンにしていたがるおっかないほう、と思って頂いていい。


古も今も基本的に人の形は変わらない。


まあ多少、不具合があったりなかったりするだろうけれども、おおもとのカタチはそのままのはずである。まるいカタチを、わざわざ正方形や直線にするほど困難で無理やりなことはないように、ジェンダーフリーや男女平等を問う人ほど私は男女共のお互いの、いわば全体の首をしめているような気がしてならないのだ。

ただただ「不自然」なのである。

女を外部から批判するのではなく、子宮を宿す体を持ち上げ、母親や女に媚びるわけでもない。権力で脅されるのもいやだが、ニコニコ、もしくはすらすらと美しい涙の被害者面で欲しいものだけ好き勝手もっていかれるのも気持ちのいいものではないからだ。
社会や世の中、男性諸君が女に詫びねばならないことは何もない。もし今を生きる女が何か不快な思いをした際、理不尽に苦しんでいるときですらも、男や子供にそういいう考えをごり押しして、そう願い望んだ母親の影が目に入らんのか(印籠ではない)。

目に見えることほどそれはいとも簡単に片づけれられていく。そして目に見えないものはそのままだ。問題解決の種はやっぱり種のほうで実ではない。それはもうなってしまったもので、誰かが受けて立ったものだから。
誰も、誰の代わりにはなれず、そうしてそこに「意味」はないのである。
そこには誰かの「願い」があるだけだ。種子の願いはいつか花になり、実になるように。
誰かが誰かを貶め、苦しめる願いを放っただけなのだ。世の中や時代、ではない。

子供を虐待する母親も、反対に放置する母親も、それを無視し続ける身近な男も人間も、実は「誰か」の願いを無意識に叶えている。果実がゆっくり熟しはじめ、「今」実った瞬間に立ち会っただけのことだ。
誰かが、そうするようそうなるよう、意識的にまたは無意識に願ったのである。自分の手を汚したくない母親の母親の母親の子宮あたりが試みたのである。

そんな種撒きに忙しい女のど真ん中、子宮あたりから考察し、内部から解体し爆破することで女の本質を問いたい。転女得仏(女は女のままでは成仏できないという誓願※注:あくまで個人的解釈)とはよくいったものだが、不快なものほど手に取って観察すべきではある。そうしてそこにそれを乗り越える方法を探るヒントがあるかもしれない。防御一辺倒のエゴや否定的精神の奴隷、被害者意識という殻にこもることなく、たった一人の戦士としてである。

母親至上主義が男尊女卑、女尊男卑を支えている。

男尊女卑も女尊男卑も、二つは一つの門から出でてつまるところ同じことをいっている。相手や見えない誰かに何かを負担させ、わずらわしいことはすべて見えない誰かのせいにするのが気持ちいいのだ。もしくはそうすることへの罪悪感から、自分が信じたい思い込みを相手に投影し攻撃している。
取り込むか、排除するか。わざわざ敵を中心において気にし過ぎて文句言い続けるか、まったくなかったことにするか。
二択しかない白と黒の世界で。

自分の内部がブラックホール状になっており、誰かのパワーやマネーやエネルギーをいつも吸い込むだけ吸い込んでご満悦なのだ。そんな自分の立場、自分の本質を正当化しや立場を守るためにそういっている。誰も誰かのため、などではない。未来のためですらない。
年配、金持ち、権力おやじのクライアントさまが多ければ前者、大人女子、がんばるママ、なんてのが多ければ後者の意見で石の投げ合いである。
前者は自分の母親や妻に内心怯えたまま「産んだ女は偉い」など思っている風である。その実、その母親の子宮に潜ったまま、その本質を見ることができない。
子供を産むのを頑なに拒む女も、すべて一見引き受けてる風の必死な母親も同じである。
すべては自分の母親の呪いに引っ張られたままなのだ。無意識にそうすることが、自分の幸せと頑なに言い張るだけなのだ。実は自分以外の誰かさんの願いを叶えていることに気づくことができない。
もしくは気付いた瞬間、縁を切っておしまい、と見たくないものに蓋をしたまま、無意識にまた次世代に背負わせてしまうことに気づかない。

もし自分の本心からの願いで、それが叶ったのであれば、今の自分があればなんの不満もないはずだ。
もちろんどんな選択をしても問題は常に起こるだろう。だが自分が納得して選び、問題と真摯に向き合い対峙していれば、一瞬一瞬が感動に満ちているはずだ。


だが、どうもそうではないらしい。


見えない敵や社会といった漠然としたものを、変わりようもないものを変えたいらしい。
思考を忘れ、自分の五感で感じることを忘れた首のない大群が右往左往するばかりだ。
暇人と不幸な人間がそれだけ増えたのも、また誰かの願いなのだろう。
自分の経験や思い込みを相手に押し付け、一方的にごり押しする。不毛だ。
他人の思考にまで首を突っ込みたがるほどの不幸ぶりだ。誰が何を考えていようが勝手じゃないか。キチガイにはキチガイなりの理由がある。なぜ自分と同じじゃないと気が済まないのか。ケンゼンな思考はそんなに病気を排除したいのか。それこそ病気だ。まあ、さっぱりワカランが、その誰かの考えすらも、他の誰かの願いや自分の母親の大便(いや代弁)かもしれないのだから仕方ない。

なので、自分が決めて、自分で歩きだし、自分の生きる世界と周りを取り囲む人々の関係が変わるだけである。
誰だってゴキゲンな人とゴキゲンに暮らすほうがいいに決まっている。そんなことないって?そんな人も誰かの、自分以外の願いを無意識に体言している。子宮から生まれたつもりで、もう一度生まれなおしたほうがいい。子宮さまからのお達しがあったのだろうけど、そんなものは食いちぎって外へ、冒険の旅へ出たほうがいい。

私は、私自身を解体し、探り、生命や体の深いところから感じ、考察し、実験し、どうすれば、現実のこの世界と折り合いをつけながら「心地よく」気ままに過ごせるかを模索し続けてきた。

そんなキチガイの考えたキチガイじみたお話である。



■■■ 子宮は、自らの意思を持つのか ■■■ 


男性はよく自分の股間にあるものを「自分の意思では動かせない別人格」と称する。いやいや俺の意思の思うがままだ、なんてそれは本当に素晴らしい理性の持ち主だ。きっとそんな方は女性に何か神さまめいたものでも見ていらっしゃるのだろう。そしてその「怯え」を理性などというのだ。健康な男性ならば、それがジョンでもモジョでも我が息子でも、なんでもいいが別の呼び名で別人格として丁重に扱われることすらある。たまに、そちらの人格に乗っ取られている方もいるほどである。いくら据え膳でもなかなかお座りしたまま言うことを聞かなかったり、子種が欲しいとせがまれても嫁にはなんの反応も示さず知らんふり¨……などそちらの傍若無人ぶりもよく聞く話だ。

女はどうなのか。昨今、女のゴキゲン斜めっぷりが半端ない。それは怒らせる俺が(私が)悪いのか、犯罪者やDVや基地外が悪いのか、彼女が悪いのか、いやいや下の頭だけたまたまぶつくさ怒っているだけのか。

子宮もまた文明でも上の頭のほうでもコントロールしかねる代物だ。徹夜明けだろうが、校了前だろうが赤い波がくる。お月さんなんて拝む余裕もないほど、仕事やら売上やら怒涛の撮影やらに追い詰められていても。月の引力に引っ張られ、まったく上のほうの頭とは別の夢を見ている。
いっそ枯れた木の枝のようになれば、あるいはこっちの力も弱まってくれそうだが、噂ではそうなると上のほうの頭も縮んでしまうんだから、これはもう生きているとは言いがたい。自分で自分を縛り上げてもろくなことがない。

子宮が文句をいう理由なぞさっぱりわからない。そしてお手上げ、という方もいらっしゃるにちがいない。
それはそうだ。どこぞの大きな虫ではないが、「●●の怒りは大地の怒り」。
子宮の怒りは大地からやってくるのかもしれないし、どこか見えないところから吹っ飛んできて、泉のように湧き出てくるのかもしれないのだから。

とはいえ、とにもかくにも解決策を考えないといけない。なぜなら弱いほうに(弱者は強者に愛撫されるので、ここでは中間者としておく)とばっちりが回ってくるからだ。
弱い方へ、弱い方へ、なんて分かりやすいほうではない。
責めても責めてもバレないほう、そちらにゴミを捨てても心地よく「善人」のままいられるほうへ、下へ下へ見えない土の中へと溜まっていく。そして突然、空から降ってくる。


文明や社会が女性にどんなに媚びようが、どんな完璧な待遇を施そうが彼女たちの機嫌が継続的に直ることは「永遠」にない。
子宮が永遠に「持続的に」、満たされることがないように。



目に見える災禍や理不尽を生みだし続けるメカニズム。
ゴミの最後は消える、じゃない。燃やす、だ。
こっそり埋める、という手もあるだろう。だがゴミは消えない。誰かや何かが知らないところで引き受けてくれている。


誰かが無意識に投げつけ、誰かがすっきりし、そのゴミもただどこかへいき、別の誰かがこっそり燃やしてくれている。もしくはおおっぴらにド派手に燃やしている。そして周りから、またゴミが集まる「よく燃えるほう」となる。


昔、アメーバや粘菌などがやってくれていたことを、今じゃ子が担う。まるくない世界、白と黒しかない世界で。
親の親世代あたりからのゴミや悪意をも次世代が分解し解体しなければならないという。親は森とも鳥居ともつながっていないからだ。善人の彼らは社会には投げつけられないので、こっそり子供に投げ、子は子同士で押し付け合う。

命を大切に、などちゃんちゃらおかしい。誰がいつ誰を何を大切にしてきたのか。



子供を森や木や虫と切り離した結果、すべてを子や孫が燃やすか負わせようと親はもくろむ。
子は狂い、親を解体する。ばらばらにしてそれを喰らう。それは衝動である。もうこれ以上ゴミを引き受けられない、ゴミ箱が満タンになったためである。衝動は理屈よりも悪意がない。それはちょうど蟻が飛び終わった蝶を分解し大地に還るのをうながすかのように、愛と責任をもって子が土に還そうとする。それを悪だというなら、子がゴミにまみれて死んでいくまでだ。


因と果、誰が種をまいて、誰や誰や何がそれを大きくし、誰が最終、その果実を食べたのか。おいしい果実ならいいが、誰が手を汚す「役目」に堕ちたのか。
誰かを責め、排除しても仕方がない問題なのである。すべては輪のように回っている。


拾わずに勝手に腐っていくのを待っていればいいものを、誰も食べたがらなかったものを、つい子供はその実に思わず手を伸ばしてしまう。愛されたくて、繋がりたくて。
だから直前で混ぜなくてはいけない。回さなくてはいけない。下から上へ。穴から外へ。

膠着した善と悪を爆発させて混ぜるのは悪人である。狂気と恐れられるほうである。
狂気は、混ぜるためにある。
何か起こった後の仕事はたくさんある。パトカーも救急車も霊柩車も起こった後、終わった後、ぶんぶん走っていく。
でもそれでは悪意しか回らない。だから善と悪をこっそり隠れて回さなければならない。

なぜなら誰かが今日もどこかで、こっそり「種」を撒きつづけているからだ。
それを今日も誰かが無意識に育てているかもしれない。
それは自分かもしれないし、無意識に自分の望む望まないにかかわらず、周りの欲求に応じただけの「空洞」かもしれないのだから。


応募者紹介

塔田 篠さん

地元関西にて25歳までに倒産とリストラを1回ずつ。26歳で入社した広告制作会社で入社3か月で売上トップに。その後、年商30億の外食企業の広報、女性初の総合職として引き抜かれる。印刷物はじめすべての広告媒体、撮影ディレクション、デザインの企画や運営や管轄を任される。その後結婚しなくて済むだろうと選んだ高卒フリーター(現旦那/8歳下)と結婚し、会社始まって以来、初の産休育休をありがたく取得。その後、残業ができないためありがたくリストラされる。当初はなぜか仏教ライターとして京都・関西の宗派問わずのお坊さん達と交流。が、断念。現在はコピーライターとして観光PRや販促、広告の仕事をメインに活動中。

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