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HOME > 新人賞 > 新人賞投稿作品 > あなたとわたしと自殺の意味

新人賞投稿作品

あなたとわたしと自殺の意味

新倉 るま
2013年06月29日 投稿

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文字の通りの自殺の意味の本です。

カテゴリ

日本社会

内容紹介

 シンプルな問いです。わたしたちは、自殺してはいけないのか。その答えを探そうとするものです。

 複雑な話ではありません。刑法において自殺とは。その意味を明らかにしようとするものです。



 自殺を手伝ったりすると、刑法202条―自殺関与・同意殺人罪―の下に違法とされ、罰せられます。ここに自殺自体、違法か罰せられるべきかが問題になります。

 この点について、法の専門家がどうみてきたか、どう語ってきたかをまとめます。明治から平成の約140年、「これまで」と「いま」のまとめです。刑法の教科書にみる解釈、制定や改正時の議事録における議論、その過去からの流れを追います。また現在進行形でなされる裁判、そこでの問いかけに注目します。

目次案・語りたい項目

第1章 はじめに
 第1節 はじめましてのごあいさつ
 第2節 いっちょめいちばんち
 第3節 ほうりつ
 第4節 ケイジとミンジ
 第5節 まえ
 第6節 ちいさなまど
 第7節 はいるやいなや
 第8節 なか
 第9節 しかるべく
 第10節 ことば
 第11節 ひらひら、すらすら、ひらり。
 第12節 みられる
 第13節 こちらも、あちらも、
 第14節 もくてき
 第15節 はじめに、のおわりに

 第1章は、刑法における自殺という、主眼点への導入です。ここで意識したことは、2つあります。1つは、抵抗感を下げることです。もう1つは、一方向的な情報の付与とならぬよう、読み手と書き手の関係性を設定することです。
 また、比較的イメージしやすいであろう裁判から、刑法202条へとつながる構成にしました。第6章との対応を考え、裁判の一連の流れがわかるようにもなっています。


第2章 刑法と民法
 第1節 ケイジとミンジふたたび
 第2節 民法と自殺
 第3節 刑法202条

 第2章は、刑法202条の概要です。第1節では、刑法と民法の違いを説明します。第2節では、民法における自殺の定義についてです。心理的瑕疵としての評価、不法行為や公序良俗との関連などに触れます。第3節は、刑法202条についてです。旧刑法から現行刑法に至る歴史、条文の内容、具体的な事例、刑罰の相場などに触れます。


第3章 数字でみる刑法202条
 第1節 昔と今
 第2節 自殺、心中と202条

 第3章は、刑法202条に関するデータをみていきます。第1節で、起訴率、年齢、動機などについてみていきます。第2節では、自殺率、とりわけ心中との対応についてみていきます。


第4章 学説と自殺の意味
 第1節 刑法各論と刑法総論
 第2節 旧刑法における議論
 第3節 現行刑法における議論

 第4章は、刑法学者による法解釈についてです。第1節では、刑法学者の著作が、刑法総論と刑法各論とに分かれること、単独で著された刑法各論を分析対象とすることに言及します。第2、3節では、旧刑法段階、現行刑法段階とに分け、その詳細をみていきます。


第5章 制定、改正段階の議論と自殺の意味
 第1節 旧刑法制定段階
 第2節 現行刑法制定段階
 第3節 改正刑法假案作成段階
 第4節 改正刑法準備草案、改正刑法草案作成段階

 第5章では、審議会に相当する議論に注目します。第1節では旧刑法制定段階、第2節では現行刑法制定段階での、第3、4節では刑法改正案の作成段階での、議論についてみていきます。


第6章 裁判と自殺の意味
 
 第6章では、実際の裁判における、裁判官、検察官、弁護人の問いかけをみていきます。主に、被告人質問のやり取りを取り上げます。傍聴した事例の内、いくつ掲載するかは思案中です。
 法曹三者の問いかけにみる自殺の意味と、被告人にとっての、また被告人からみた被害者にとっての、自殺の意味の対比性に注目します。
 WHOの自殺報道のガイドライン、さらにノンフィクション逆転事件、捜査一課長事件、石に泳ぐ魚事件などの判例を参照し、この章の執筆にあたります。


第7章 おわりに
 
 第7章では、まとめをおこないます。

書き出しの第1章

「はじめましてのごあいさつ」
 はじめまして。新倉るま、と申します。どうぞよろしくお願いします。

 この本を手にしていただき、ありがとうございます。本題に入る前に、大まかな内容について、お話させてください。
 ジャンルとしていえば、この本はノンフィクションです。わたしの想像によって、創作された物語ではありません。社会における現実を記述したものです。
 ルポルタージュ、インタビュー、体験取材……。ノンフィクションには、現実を切り取り、枠づける形式が必要です。わたしにとって、それは社会学ということになります。この本は、社会学に基づいたノンフィクションである、ともいえるでしょう。
 社会学に基づくとは、わたしの発想の根幹として、情報をまとめる基準としてです。
 社会学の理論的解釈が飛び交うことは、ありません。専門用語で飾り立てられたもの、社会学者の方を向いたものでもありません。
 いろいろな場所に行ったり、埋もれた古資料を探したり。わたしが足を使って、みてきたもの、集めてきたものがあります。それらを、わかりやすく、お伝えしていきます。

 社会における現実を記述……
 社会学に基づいたノンフィクション……

 こう書くと難しそうですが、実際にしようとすることは、そんなに小難しいものではありません。わたしとしては、意味の整理整頓とでもいった方がいいかと思います。
 社会には、いろいろな観点から、みられ、語られ、意味づけられるテーマがあります。そして、話せば話すほど複雑さを増し、意味が不確かとなるテーマがあります。
 そのようなテーマに対して、いくつかある観点の内から、重要と考える観点を1つ取り上げます。そこでの意味の歴史的変化をみていきます。
 さて、この本で扱うテーマは、自殺です。ここでは自殺を、自らを死に至らしめる行為としてではなく、自らの意識における死の決定として捉えます。
 自殺は、意味の不確かさを持つテーマの1つといえるでしょう。立つ観点によって、それは悪いことだという人もいれば、反対に、個人の自由だという人もいます。
 この本では、法律、とくに刑法という観点に着目します。ここでおこなう意味の整理は、これから大切なこと、死のあり方を考えることにつながります。

 大まかな内容については、以上です。ここまで読まれて、いかがでしょうか。

 ノンフィクションって、堅苦しくって、ちょっと……
 テーマ、重いなあ……

 そのような感想をお持ちの方も、いらっしゃるかと思います。
 確かに、ノンフィクションの中には、お堅いノンフィクションといったものもあります。しかし、この本については、そういったものではありません。
 確かに、重いテーマを扱いはします。しかし、「現実を括目せよ」とか、「己を省み、社会と対峙せよ」なんて、いうつもりはありません。いますぐには読む気にならなければ、仕方のないことです。無理やり読んでいただくわけにもいきません。
 どうぞ、そっと閉じ、書棚に戻してください。もし、いつか気が向いたら、書棚の前にいらしてください。ほこりをかぶりつつ、日に焼けつつ、気長にお待ちしております。
 それでは、次のページから本題です。この本で注目するのは、法律、そして刑法です。その点について、少しずつ詳細に触れていきます。

「いっちょめいちばんち」
 プラットフォームに降りると、湿り気の混じった金属の匂いが鼻孔を擽る。ドアが閉まり、束の間訪れる静寂。号令を掛ける車掌。鉄の塊は、聊か緩慢な所作で円状の闇を切り裂き始める。その音は、装われた無関心に反射し、残響を構成する。
 自動化された昇降を経て、自動改札機へ。自動化された心的装置に由る、身体運動機能の賦活。接触に次ぐ通過。然るに、対人関係を疎外された旅客運送契約は滞り無く終了。
 カツカツカツ……。等間隔に配置された蛍光灯が、地下道を歩く音を白々しく照らす。地上へと通じる階段から射し込む朧げな光。地下という下部構造から上部構造へと移動。
 東京地下鉄有楽町線桜田門駅五番出口。雲霞の如く押し寄せた鉄の塊が、皇居の周縁を廻り続ける。排気ガスを吹き付けられた空は、兎にも角にも優柔不断なグレー。
 「ふん、象徴的な色だナ」。空を仰ぎ見て、独り呟く。その刹那。路傍の換気口から、地下を切り裂く音が吹き上がる。有為転変。止む事を知らぬ大都会、東京。
 眼前には、悠然と横臥する法務省赤れんが棟。互いの身を寄せ合い屹立する、裁判所、検察庁、弁護士会館のビルヂング。
 東京都千代田区霞が関一丁目一番地、差し詰め法治国家日本の一丁目一番地――

 ハードボイルドっぽい、といいますか……
 漢字が多く、表現も気取ってて……

 いわゆる、お堅いノンフィクションだと、このような感じでしょうか。これでは苦手な方も、いそうです。こうした堅苦しさを心配されているのであれば、ご安心ください。
 わたくし新倉、やわらかく書いていくことを、ここに固くお誓い申し上げます。

 さて、と。地下鉄の出口左手に、横断歩道。2つほど、てくてく。これで皇居のお堀沿い。反時計回りに走る、皇居ランナー。対向するように、時計回りに歩きはじめます。
 進行方向右手にお堀、正面遠くは国会議事堂。道なりに進みます。カーブのあたりで、さようなら国会、こんにちは首都高。
 のんべんだらり。しまりなく歩くわたしですが、地下鉄の出口から、だいたい16、7分。どうやら、ゆるやかな坂を登っていたことに、どうやら、息が切れはじめていることに、わたし自身が気づくあたり。どっしりとした建物が、目の前に現われます。わあ、まるで石のお城みたい。それこそが最高裁判所になります。

「ほうりつ」
 多くの官公庁のある霞が関から、国会、最高裁判所にかけて。東京のこのあたり一帯のコミュニケーションは、強い影響力を保持します。全国津々浦々、わたしたちの振舞いを決めてしまうといっても、いい過ぎではありません。
 それは法律を通じてです。法律は、わたしたちの生活に、密接に結びつくものです。例えば、食品衛生法に照らして、食材を取り扱う基準が変わったら。それまで生で食べられていたものが、気軽には食べられなくなってしまいます。

 ここで、ちょっぴり学校で習ったことのおさらい。法律について、少し確認しておきましょう。
 まず、国会は立法府、法律を作る場所。法律案を委員会や本会議で審議し、賛否を問います。衆参両議院での可決により、法律となります。
 そして、最高裁判所は司法府、実際に法律を運用していく場所。司法府の最高機関に位置づけられ、その略称は最高裁。最高裁は、それ以前の裁判に不満が示された場合に、最終的な判断を下します。

 国会や最高裁の前の段階です。各省庁では、国会に送る前に、法律の原案を作ります。その際に、専門家などが議論をおこなう、審議会を開くことがあります。その機関の長が諮問、つまり意見を求めるのに対して、審議会が答申、すなわち意見を述べます。これとは別に、議員が直接、法案を提出する場合もあります。 
 最高裁は、下級裁判所から送られてきたケースを扱います。下級裁判所とは、高等裁判所、地方裁判所、家庭裁判所、簡易裁判所のことです。略すと、順に、高裁、地裁、家裁、簡裁。
 高裁は、地裁、家裁、簡裁の裁判に不満があった場合に判断を下すもの、家裁は家庭や少年に関連した問題を扱うもの、簡裁は比較的罪の軽い問題を扱うものです。
 それらを除いた問題の、入り口となるのは地裁です。以下で地裁を例に取り、裁判の様子についてみていきます。

「ケイジとミンジ」
 地裁に入るのに、予約などは必要ありません。基本的に、平日9時5時で開いています。
 建物の前に警備の人がいても、心配ご無用。するすると建物へ。東京地裁など、どこかホテルのよう。建物に入るや、高い吹き抜け、行き交う人びと。思惑、交錯、錯綜。
 だいたいの場合、入ったところに、まずソファ。また、受付の人がいるかと思います。そのあたりに、当日開かれる裁判の一覧表、開廷表があるはずです。机や台の上に置いてある、あるいは、壁などに張られているはずです。
 この開廷表は、2つの種類があります。ケイジとミンジ。漢字で書くと、刑事と民事。ここで取り上げるのは、ケイジです。

 ケイジとミンジは、大きく異なります。ミンジの裁判は、ふつうの人たちによる、もめごとの解決を目指すもの。ケイジの裁判は、いってみれば、国VSふつうの人です。
 検察官が逮捕された人に対して罪を問い、起訴することが裁判のはじまり。この段階で、逮捕された人は、被疑者から被告人と呼び名が変わります。新聞やテレビだと、被告と縮められますが、正しくは被告人です。
 裁判を通じて、検察官と弁護人との攻防がなされます。弁護人とは、被告人を弁護する弁護士のこと。両者のやり取りをみて、判断を下すのが裁判官です。これらの人は、実際の裁判に携わる人たちであり、法曹三者と呼ばれることもあります。
 外見からいうと、検察官や弁護人はスーツ姿。裁判官は、法服と呼ばれる、黒いガウンを着ています。

 ケイジの開廷表をみると、罪の名称や被告人の名前が書いてあります。また、新件、審理、判決などの文字も。新件は裁判の初回、審理は2回目以降の裁判、判決は裁判の最後を意味します。
 担当する裁判官の名前や、裁判が開かれる場所である法廷の部屋番号、開始時間、終了時間なども書かれています。
 興味を引く裁判が開かれているとします。原則として、裁判は公開でおこなわれるもの。気がねせず、法廷へと向かいましょう。

「まえ」
 法廷の前に到着。ここにも開廷表。あらためて、それをみると、今から開かれる裁判は新件、開始時間はもうそろそろ。電光掲示板には、開廷中の文字が表示されています。
 さっそく法廷の中に入り……、おや、法廷の入り口付近に何か書いてあります。注意事項の掲示板。服装をととのえること、騒がしくしないことなどと書かれています。許可なく、写真を撮ったり、録音したりしないこととも書かれています。メモやスケッチをとることは禁じられていません。
 法廷に入るドアにも、ご用心。ドアは2種類あります。1つは、ふつうに裁判を聞きに来た人、傍聴人のためのもの。ドアに傍聴人用と書かれています。もう1つは、裁判に関わる人のためのもの。ドアには、訴訟関係人用とか、検察官・弁護人用とか、書かれています。
 また、ドアに小窓が取りつけられていることも。小窓は、紙のサイズでいうA5ぐらいの大きさ。取手をつまんで、チョイと上げるタイプです。

「ちいさなまど」
 よくわからない場所に入るのは、緊張するもの。下見をしておけば、少し、緊張はやわらぎます。こんな時こそ、小窓の出番。中に入らず、中をみる。ドア1枚分、部外者でいさせてくれる。そんな小窓から、法廷の中をみるとしましょう。
 ステップとしては、つまむ、上げる、覗く。3つの動作。
 事前のイメージトレーニング。イチで、つまむ。ニで、上げる。サンで、覗く。イチ、ニ、サン。イチ、ニ、サン。それでは本番。ポン、ポン、ポンと。テンポよく。

 つまむ、上げる、……おっと。
 小窓のサイズに、不釣り合いな開閉音。金具の油が切れているためか、錆びているためなのか。鳴り、響き、渡り。静けさの中、圧倒的な存在感。

 吃驚。
 …………不測。動揺がもたらす、一瞬の間。空白を埋めようと、あわてて動作を再始動。顔を小窓へ。体ごとグイと前へ。テンポの乱れを力業で押し切るように。

 覗いた瞬間、中から視線。
 しっかり、目が合います。
 まっすぐ、目が合います。
 眼球による、眼球の知覚。
 瞳孔、虹彩、強膜を知覚。
 反射的に、小窓をパタン。

 どぎまぎ、ドキドキ、胸の高鳴り。生理学的反応と連動した感情の生起。
 中にも音が響いたのでしょうか。それで、こちらをみていたのでしょうか。はっきりとした理由はわかりません。いずれにせよ、中の人にみられたことは確かです。
 覗きみるはずが、みられ返す。なんともいえぬバツの悪さ。自意識を鏡写しにされる、みたいな?背徳感の顕在化、的な?
 ミラレチャッタ。声に出さずに、口の形だけ動かします。眉間に力を入れ、歯を噛み合わせ。片方の口角を少し上げます。短く区切って、息を吐き出します。はにかんだような、苦笑いのような顔つきで、タハハとカラ笑い。一連の流れは、意識せずになされます。

 一呼吸からの一休み。
 誰かとの視線のやり取りを経て、視線をやり取りすることへの葛藤を経て。心の波が落ち着きを取り戻すまで。お澄ましした顔に戻るまで。
 もう一度、ソーッと小窓を開けます。おそるおそる、音を立てないように。覗く時も、少しばかり、小窓から体を遠ざけて。中からの視線の死角に身を潜めながら。
 ひっそりと中をみると、スーツを着た人、法服を着た人がいます。傍聴しに来た人でしょうか、ふつうの服を着た人も何人か。全員が座った状態。
 時間としては、丁度はじまる頃合い。いよいよ、入るとしましょう。

「はいるやいなや」
 ドアを開き、法廷の中へと一歩。ただちに、視線の気配。
 開廷中の法廷は厳粛な雰囲気。不必要な言葉は交わされません。代用されるのは、音を立てない、視線という伝達手段。
 小窓越しの視線がそこに含まれるのか、定かではありません。確かなのは、わたしが、いまここで、複数の視線にさらされているということです。
 誰かが、わたしをみる。わたしが、その人をみる。わたしは、その人にみられる。その人は、わたしにみられる。みる。みられる。みられる。みる。
 時間にして、コンマ数秒。視線の応酬。視線は対称。

 もしや、視線を通じた、わたしという来訪者に対する挨拶なのでしょうか。
 「どちら様?ご関係者様?」、「こちらには、何をいらしに?」、「ドアを開けっ放しにしないで!」、「早く席に着いて!」。相手は、そういいたげなようにも思えてきます。しかし、いずれもあてはまりそうで、いずれもあてはまらなさそうで。
 何を問われているのか、わからないことへの不安感。相手の視線が問うもの、それが何かを探します。
 なんで、みられるんだろう?入ったらダメなのかな?裁判って、関係者だけのもの?誰がいてもいいんですよね?違いましたか?わたしって、挙動不審ですかね?ちゃんとした、振舞いできなさそう?常識なさそう?服おかしい?髪が変になってる?そっち?どっち?……っていうか、わたしの方をみたの、たまたま?深い理由はなく、こちらをみただけ?いわゆる、気にし過ぎってヤツ?わたしって、自意識過剰なんですか?そうなんですか?そうなんですよね?もう、なんだかホントごめんなさい!……って、誰に謝ってるんだ? あ、こういう内省的な面が、表に出てるのかな?昔、そんなこと、いわれたことあるかも?今、この瞬間も、暗いオーラが出てるとか思われてるのかな? 
 意識的な、自分自身の振り返り。考えと考えが、相互に結合。内側に食い込むように、連鎖していきます。心の奥へ、奥へと。考えるほどに浮上してくるのは、どちらかといえば、考えたくはない自己像。
 そのようにして自分自身を振り返ることは、相手からみられるところの、自分の姿の想像でもあります。しかし、相手はそう思ってるかもしれないし、そう思ってないかもしれないし。
 結局、わたしの中から、相手からの視線、その確たる原因をみいだすことはできません。

 相手の真の意図を読み取ろうと、1つ1つの視線に目を合わせつづけるわけにもいきません。あまり、有効な解決策ではないでしょう。むしろ、トラブルを引き起こしそう。
 視線の意図がわからないことを、わからないでいるわたしを、あえて悟られたくもありません。
 さてさて、わたしというシステムは、この環境をどう処理したものか。相互作用という社会的な環境を、他者からの視線という荒波を、どう乗り切るべきか。ここは意識的に、伝家の宝刀を抜きます。
 「あら、何か御用かしら」、そういわんばかりの涼しげな顔を偽装。高めを気取って、チラリと一瞥。並みいる視線を、切捨て御免と一刀両断。

「なか」
 ツン、と作った顔で、法廷の中をみまわします。法廷は、柵で仕切られています。傍聴人は、柵のこちら側、傍聴席にひとまとめ。
 どこかに座るとしましょう。たまに報道用というカバーがしてあったり、使用不可とされている席もあったりするので、ちょっと注意が必要です。

 柵のこちらにあるのは、イスだけ。劇場のようなイスの置かれ方。全員が同じ方向を向くように、配置されています。
 柵のあちらをみると、同じような机とイスのセットが、3つほど。ほほう。これは、立派なイスに、しっかりとした机。配置としては、コの字の開いた部分が、こちらの傍聴席を向くような形。
 正面のセットの後ろに、もう1セット。机と呼ぶには違和感の残る、巨大な物体。大きなカウンターといった方が、しっくりします。イスの置かれた位置も、他のものより高くなっています。階段にしていえば、1段、いや2段分くらい高いでしょうか。
 また、長イスも置かれています。ふーん。これは、病院の待合室にありそうなもの。その位置としては、左右にある内の、一方の机の前であったり、柵の近くであったり。
 あちらの空間の、ど真ん中、ともいうべき場所。そこに、小さな机と、合わせてイスが置いてあります。それは、証言台というものになります。

 傍聴席からみて、正面一番奥、少し高めのところにいるのが裁判官。裁判官の手前、少し低いところには、裁判所書記官という人がいます。裁判の記録を作るなど、裁判運営に関わる人です。裁判官と同じく、法服を着ています。
 検察官、弁護人は、左右にわかれます。両者の位置は、決まっていません。どちらが右でどちらが左かは、地裁によって、法廷によって異なるようです。
 被告人は、弁護人の前だったり、柵の近くだったり。例の長イスに座ります。ふつうの人が審理に関わる裁判員裁判では、弁護人の横に座ることもあります。

 位置と服装から、裁判官と裁判所書記官のことは、すぐにわかると思います。それに対してです。パッとみただけでは、どちらが検察官で、どちらが弁護人か、わからないかもしれません。
 その時は、左襟をみてみましょう。十の字っぽいバッジがあれば検察官。色は、白が基調です。丸っこいバッジがあれば弁護人。色は、光り輝く金から銀に近いものまで、人さまざま。
 ただ、バッジをしていない場合があります。なぜだか、裏返しにしている場合も。
 そこで、もうひとつのみわけ方。検察官は書類を運んでくるのに、風呂敷を多用します。紺や紫が多いでしょうか。ピンクや黒をみたことも。机の上に風呂敷が置かれていれば、そちらが検察官です。対する弁護人は、ふつうの鞄やキャリーバッグが多いかと思います。このみわけ方も、100パーセントではありません。違いましたら、ごめんあそばせ。

「しかるべく」
 さて、この裁判は新件、今日がはじめての日です。
 まず裁判官が、被告人に証言台の前に来るよう促します。イスもありますが、この時は、だいたい立たせたまま。
 被告人は、裁判官とは正面から向き合い、検察官と弁護人には横顔を、傍聴人には背中をみせます。
 裁判官は、被告人に対して、名前や本籍などをたずねます。罪に問われた当事者で間違いないかを確認します。
 つづいて検察官が、疑われる犯罪の内容と適用すべき法律を述べます。それに対して、被告人が、犯罪の内容を認めたり、否認したりします。そうして聞いていると、次のような会話がなされることがあります。

弁護人 「…さんを、証人として申請します。」
裁判官 「検察官、ご意見はいかがですか?」
検察官 「しかるべく。」
裁判官 「それでは、採用します。」

 はじめて、この会話を聞いた時、はて?と考えてしまいました。なにやら珍妙な音が、わたしの鼓膜を揺らしていきました。
 しかるべく? し か る べ く Si Ka Ru Be Ku ……。
 「しかるべく取り計らう」という用いられ方なら、わかります。そこでは、適切、適当といった意味で、修飾する言葉となっています。しかし、ここでの「しかるべく」は単独。それだけで成立しています。
 この言葉には、何度も出会います。それは、時おり独特の所作を伴いつつ。
 相撲の立ち会いのよう、とでもいいましょうか。イスを後ろに引き、両手を肩幅強に開き、頭はやや下げ気味、両手を机に突き、両肘を直角にし、机と胸にかけて長方形の空間を作ります。
 そこから、手を突いた反動を利用し、中腰あるいは起立した状態に。そして裁判官に顔を向け、「しかるべく」です。

 当初は戸惑っていたものの、何度か傍聴し、いろいろ調べる内に、その意味がわかってきました。
 裁判では、当事者同士、検察官なり弁護人なりが、互いに持ち寄った証拠を調べていきます。その証拠は、書類であったり、物であったり、証人であったり。そして、証拠として採用するか決定する際に、裁判官はそれぞれの意見を聞くことになっています。
 ここでは、弁護人が証人を呼ぶことを請求しました。そこで裁判官は決定を下す前に、もう一方の当事者、検察官に意見を聞きます。
 そして、その返答としての、「しかるべく」。それは、積極的な賛否を表明せず、判断を裁判所に任せることを意味します。
 右の例とは逆に、弁護人がいうこともあります。また、そのいい方はさまざま。力強くいう場合もあれば、少し気だるそうにいう場合も。任せるとはいっても、多少のニュアンスがあるのかもしれません。

「ことば」
 別の法廷に行ったとしましょう。開廷表には、判決と書いてあります。裁判の終わりの時です。それまでの審理を経て、裁判官が有罪か無罪かを判断し、被告人にいい渡す時です。耳をすまして聞いていると、次のようなフレーズがでてきます。

「被告人の規範意識はドンマしている…」

「被害者は、ユウジョの意思を示しており…」

「…被告人に有利に、シンシャクされるべきである。」

「…更生の機会を与えるのを相当と、シリョウする。」

 文中のカタカナとなっている箇所は、本来漢字で表記されます。その漢字が、おわかりになりますでしょうか。

 正解は、順に、鈍麻、宥恕、斟酌、思料。意味としては、順に、感覚が鈍ること、許すこと、事情や心情を酌むこと、思いをめぐらせ考えることです。
 これらの言葉は、判決の時によく用いられます。ふつうの場合、それらの言葉は、なじみがないものかと思います。
 いいかえましょう。日常生活における言語活動を斟酌するに、鈍麻や宥恕といった言葉は、一般性が欠落したものであると思料します。

 このような場合もあります。それは、「ないし」という言葉に関連してのこと。言葉自体は、なじみのある言葉です。裁判の中では、「(1)ないし(5)の証拠により、次の事実が認められる」というように、使われます。
 この流れで、「ないし」という言葉を聞いた場合。ふつうの人は、「(1)あるいは(5)」という意味と思うのではないでしょうか。裁判では違います。「(1)から(5)まで」という意味で使われることがあります。
 右の例でいえば、(1)、(5)が関係するのか、それとも、(1)、(2)、(3)、(4)、(5)が関係するのか。「ないし」の意味次第で、文章がガラリと変わります。ふつうの意味で解釈しながら、裁判を聞いていると、話が妙におかしなことに。
 なじみの言葉の知らない一面に、なんだか困惑。そんなこともあるのです。

「ひらひら、すらすら、ひらり。」
 判決の流れを、まとめておきましょう。傍聴席からみて正面奥。裁判官が法廷に入ってくるドアがあります。開始時間の少し前、ドアの向こうから足音。
 裁判官が入廷。胸元にプリーツの入った法服がひらひら。裁判官は席の前で立ち止まります。傍聴人を含め、法廷にいる全員が起立し、一礼。着席。
 裁判官は、被告人を証言台の前に立たせ、判決をいい渡します。すらすらと、途切れることなく。判決を伝えると、刑の細かい説明や今後の手つづきの話を補足します。被告人に対して、これからの生活で注意すべき点を話すこともあります。
 これで裁判は終わりです。裁判官の「閉廷します」を合図に、これまた全員起立からの一礼。裁判官はひらりとターン。退廷。ものの数分で終わることは、けっして珍しいことではありません。
 判決は、今後の裁判のため公開されることも。その場合、判決を記した文書が、裁判所のホームページなどからみることができます。
 文章としてみると、その特徴がわかります。20行つづいてようやく一文終わり、主語も入れかわりの立ちかわり。誰が何をしたのかを追いかけるのも大変です。

 1つ1つの言葉も、文全体としても、わかりにくく。それが判決の特徴です。
 数をこなせば、耳が慣れてはきます。ただし、もし唐突に、被告人という立場になってしまったら……。
 判決は、どう聞こえるのだろうか。どのような心持ちで聞くのだろうか。そんなことを考えてしまいます。

「みられる」 
 傍聴席にいると、被告人と目が合うことがあります。被告人からすれば、傍聴人と目が合うことになるのでしょう。視線のやり取りは、ここでもまた対称です。
 しかし、傍聴人と被告人の置かれた状況は、極めて非対称。傍聴人は、基本的に法廷に出入り自由。一方、被告人は出頭するようにいわれ、許可なく退廷することはできません。
 そもそもの話。場合によっては、逮捕から数十日以上、勾留され、身柄を拘束されます。留置場や拘置所で自由に過ごせるわけではありません。法廷であっても、同じこと。
 被告人の入廷の時。2人の警察官、あるいは刑務官に挟まれ、入廷。両手には手錠。隠されることなく、露わになった手錠。それは、黒い色をしています。体にぐるりと腰縄。どうやら、手錠とも結びつけられているよう。その端はしっかりと握られています。横一列となって着席。右をみても、左をみても、監視の目。逃れることはできません。
 
 さて、勾留されていても、勾留されていなくても。被告人は、法廷にいつづけなければなりません。また裁判の中で、何度か、証言台の前に足を運ぶことになります。それは、法廷内の視線が、その身に集中する瞬間です。

 全方位から視線。
 死角は一切ありません。
 一方的に、みられる存在となります。
 みられることに向き合わざるをえません。
 涼しげな顔でやり過ごすことはできません。
 みられることを、自ら問わなければなりません。
 被告人は、このように尋ねられることがあります。

 「自分のしたこと、ここにいる人から、どうみられると思う?」

「こちらも、あちらも、」
 柵のこちら側をみます。
 傍聴人は、みな同じ方向を向いています。イスの配置が、そうさせます。
 しかしながら、柵のこちら側と一括りでいっても、被害者に近い人もいれば、逆に被告人に近い人も。双方で、真逆の感情が抱かれていることもあるでしょう。
 その他にも、報道のため、研修のため、学校の宿題のため、捜査の結末を見届けるため、あるいは傍聴を趣味として、はたまた、同じ法廷で次におこなわれる裁判の関係者として、傍聴席に座る人たち。
 傍聴席から被告人に向けられる視線。視線に反映されるであろう、間柄も、感情も、肩書きも、法廷にいる理由も、てんでバラバラ。

 柵のあちら側をみます。
 裁判官、検察官、弁護人は、異なる方向を向いています。それぞれは三角形の頂点に置かれ、その位置はバラバラです。
 しかしながら、被告人に向けられる視線には、一律、一様、一貫した側面。その視線は、共通の観点に基づき、裁判に臨んでいます。
 それこそ、法律に他なりません。刑法であったり、覚せい剤取締法であったり、銃砲刀剣類所持等取締法であったり。
 それらは、社会における規範を反映したものです。してはいけないことが、まとめられています。行為あるいは結果が、規範に反する犯罪と認められれば、刑罰が科せられます。

 あらためて、柵のこちら側をみます。
 刑罰を伴う法律が、傍聴席の視線をある程度、枠づけることは確かです。わたしたちは、罰せられることをおそれます。規範から逸脱しないことは、自らを、また他者をみる基準となります。
 同様の基準に照らし、自らも他者からみられます。ここに、みること、みられることに、規範という重みが加わります。
 判決の時に、「大きく報道され、社会的制裁を受けている」などと、裁判官がいうことがあります。その言葉は、象徴的です。裁判を踏まえた、法律に基づいた評価が確定する以前から、みること、みられることが、規範を維持するかたちで機能していることを示唆します。

 ふたたび、柵のあちら側をみます。
 法曹三者であれ、交通事故を起こし、相手にけがをさせてしまったら、裁判を受けることになるでしょう。
 その職務に関連した場合であっても、そうです。裁判の審理、起訴のための捜査、弁護活動に違法性があれば、刑罰の対象となります。
 法律を、特権的に専有するわけではありません。被告人をみる側で、いつづけるわけではなく、被告人としてみられる側に回る可能性は排除されません。

 誰も、逃れることはできません。

「もくてき」
 ある人が死を決意。そのための準備や行為を頼んだとします。それに応じた人は、罪に問われることになります。
 また、2人の人が死を決意、互いに準備や行為におよんだ場合。心中の場合です。結果として、1人が亡くなり、1人が助かったとします。その助かった人は、罪に問われる可能性があります。
 具体的な法律としては、刑法202条に触れることになります。刑法202条は、自殺関与・同意殺人罪と呼ばれるものです。文字通り、自殺に関与すること、同意を得て殺害行為におよぶことが罪とされます。

 このようにして、自殺を手伝ったりすることは、違法とされ、罰せられるべきこととされます。
 それでは、自殺それ自体は、違法とされ、罰せられるべきことなのでしょうか。刑法に反映された規範に照らし、自殺はしてはいけないことなのでしょうか。
 問いとしては、単純です。話としては、刑法だけです。あれもこれもの、話ではありません。それにも関わらず、すぐに答えられるかといわれると、わたしには答えられません。
 ここに法の専門家のあいだで、自殺がどのようにみられ、語られ、意味づけられてきたかをみていくことになります。

 この本の概要を、お伝えします。ここは、はじめの第1章。まとめの章を含めて、7章仕立てとなっています。
 第2章は、刑法202条についてです。刑法の特性を踏まえ、その細かい定義についてみていきます。第3章は、統計資料からみる刑法202条の特性です。件数や適用される人の属性などについて、時代ごとの特徴を示します。
 第4章では、刑法を研究の対象とする人びとが、どのように解釈してきたかをみていきます。第5章では、刑法を作った、あるいは作ろうとしてきた人びとが、どのような議論をしてきたかをみていきます。第4章および第5章では、歴史的経緯をみていきます。それに対し、第6章は現在の事柄です。実際の裁判に関わる人びとに注目します。被告人への問いかけから、どのように想定しているかをみていきます。

「はじめに、のおわりに」
 この本で着目するのは、刑法です。刑法という観点から自殺が、いかにみられ、いかに語られ、いかに意味づけられてきたかを、まとめます。
 転じて、この本が、いかにみられ、いかに語られ、いかに意味づけられるかについて、お話しておきたいと思います。
 仮に、社会学理論を引用し、専門用語で書き、社会学者の目にさらされるようにしたら。この本は、学問という観点でみられ、語られ、意味づけられるでしょう。
 わたしは、そうはしません。わかりやすさ、やわらかさを重視した書き方をし、より多くの人に読まれるように、その目にさらされるようにします。そうすることで、ある期待を抱いています。

 十数年前のことです。ディスカッションの授業で、キヴォーキアンという人による自殺幇助の事件が取り上げられました。それはアメリカでの話でしたが、世界中で議論の的となり、尊厳死や安楽死の是非が論じられました。
 現在、この日本においての話です。終末期医療の停止に関わる尊厳死法を制定しようとする動きがみられます。いずれは、安楽死に関する流れも出てくるかもしれません。
 その一方で、ふつうの人たちのあいだで、積極的な議論がなされているようには思えません。十数年前の頃から、国民的議論の必要性が主張されていたにも関わらずです。
 「問題をウヤムヤにする日本人の国民性が……」などと、いう人もいそうですが、そうは思いません。ふつうの人が議論するための、とっかかりがなかったことに理由があると考えます。
 さて自殺は、自らの意識における死の決定という点で、尊厳死や安楽死とつながるものと考えます。
 また、わたしたちは刑法を守り、そこに反映された規範に従います。それは、自らを、そして他者をみる基準となるものです。
 そのようなものに照らした、自殺の意味。それを明らかにすることは、社会の中で広く、尊厳死や安楽死について考えるヒント、議論のきっかけになると思います。
 こういった観点から、みられ、語られるのではないか。この本の、1つの、意味がみいだされるのではないか。そのような期待を抱いています。

応募者紹介

新倉 るまさん

 大学院にて社会学を学ぶ。社会構造を反映した意味という考えに影響を受ける。社会学と社会との距離に疑問を感じ、学問の世界を飛び出す。教育産業にて、受け手の近くで、教育を社会学的に分析した情報の発信を試みる。商業組織上、行政組織上、教育の意味が制度化された現状に直面。社会学的分析が、アンチテーゼの提唱に過ぎないこと、学術組織上においてのみ有効であったことを痛感。
 広く社会に向けた社会学のかたちを模索、社会学に準拠したノンフィクションに取り組む。現時点で、社会の中で不確かなテーマに対し、意味の整理整頓を目指す。死の自己決定としての自殺というテーマ、それに対する刑法上の意味に着目。社会学風にいえば、刑法各論の言説分析、立法過程の歴史分析、裁判のフィールドワークを進める。

ジセダイユーザからのコメント